断章——リリウスは笑わないⅣ
あらすじ。
時代は本編よりも175年前、まだプレイヤーという存在が身近に存在していた頃、大手レギオン「七咎雑技団」に所属するプレイヤー、トーチロッド・イクエイターはパーティーメンバーであるキース、焞一郎、マダム・フィッツジェラルド、コーギー、四蒼と共に訪れた探索先で一人の少年を見つけた。
六人が少年を助けようとしたその時、彼らの背後から一人の吸血鬼が襲いかかった。吸血鬼はとても強く、六人が全滅を覚悟したその瞬間、彼らの騒ぎを聞きつけて樹海の主、八大獣王ノーベルが姿を現した。ノーベルの猫パンチの衝撃によって空に打ち上げられた彼らは四蒼の機転によって辛くも危機を脱することになった。
これは一人のプレイヤーの自分語り。武勇伝とは名ばかりの人生最高の幸福の時間の物語である。
ファンゴルンの大樹海から離脱した俺達はとりあえず、ヴェルディ・メイスン協会がある中都市に滞在していた。離脱してちょうど4日ほど経った頃のことだ。
協会に依頼の達成を報告し、報酬金をもらって泊まっている宿屋に帰ったところ、例のアービノンの少年が泣いていた。なんで、とキースに聞くと、彼は肩をすくめて、さぁね、と返した。曰く、彼が帰ってきた時にはもうこんな感じだったらしい。それじゃあ、とマダムに視線を送ると、彼女は一冊の本を俺によこした。
人魚姫かマッチ売りの少女か、それともねんどぼうやでも買ってきたかな、と思ったがそんなことはなく、ごくごく一般的な日常童話の類だ。赤ずきんちゃんとか、三匹のこぶたみたいなちょっとグロテスクな作品というわけでもない、なんと驚き「はだかの王様」だ。泣く要素、ある?
中身を確認してみたが、やっぱり普通の「はだかの王様」だ。俺がよく知っているやつと大差なんてない。だからなんで泣いているのか余計にわからない、とマダムも首を横に振った。でも泣いているっていうのは事実だ。泣き止ませないといけない。
あーよしよし、と焞一郎が甲斐甲斐しく彼を泣き止ませようとする。爪で少年を傷つけないように注意して、なんとも結構なことだ。そんなままごとに興じていると、俺以外の外に出ていたメンツ、四蒼、コーギーの二人も続々と帰ってきた。食糧調達と情報収集をしてきた二人は買ってきた包を机の上に置くと、ふーと大きく息をついた。
「で、どうだった?」
「何も。ただ言えるのは街中を見た限りじゃあそこで泣いている少年っぽい外見の人はいませんでした。顔つきからして違いますから」
キースの問いにコーギーが答える。だろうな、とキースは返した。俺達が今いるのはファンゴルンの大樹海から西に数十キロの場所にある都市だ。民族的には「イースト」と呼ばれる人間種が多く、中にはさらに西の大陸に住んでいる「エレ・アルカン」も少しだけ混ざっている。もっとも、両者の違いはさしてないが。
この「イースト」の中でもヴェッツコシュタンと呼ばれる民族が大陸西部、つまり、今俺達がいる地域には多い。見た目は白人と大差ないが、若干赤みがかっているから、アングロ・サクソン辺りがモデルなんだろう。いかにもな白人って感じだし。
対して例の少年の目鼻立ちを見るに、ここよりもはるかに南に住む「イースト」のゴルツヴァに似ている。国で言うとメトギス王国辺りだ。そこらの人間の顔立ちはアラビア人っぽい。もっとも、少年の肌の色は白で、ゴルツヴァが黒であることは留意すべき点だ。まぁ、黒と言ってもオークみたいな純黒、鴉色、墨色というわけではなく、どちらかと言えば茶色っぽい黒だが。
「だとすると、どこから来たのかしら、この少年」
泣き止んだ少年をマダムが指差した。注目が集まったことを怖がって、焞一郎に少年は寄り添った。
「転移、とか?」
「ファンゴルンの大樹海に元々いた、とは考えられませんか?」
「あのクソ猫共の縄張りに?おいおい、そりゃ冗談きついぜ。ぁあ?でもあれ、あれってなんて言ったっけ?ほら、ノーベルの足跡の」
「シュルケー?」
「それだ。それに住んでるって奴かもしれねぇ」
シュルケーとはノーベルの足跡のことだ。彼女の足跡にはその圧倒的な強者のオーラから並大抵のモンスターが寄り付かず、ファンゴルンの大樹海に住んでいる原住民が集落として活用している。だがそれならばなおのことありえない。二つの理由でだ。
一つ目はシュルカーがあるのが樹海の第二層、愁域以下の層にしかないことだ。外縁部に当たる零域にシュルカーができるケースは滅多にない。ノーベルの生息域と被らないし、何より、仮に愁域に住んでいた人間なら、どうしてはるかに離れた零域にいたのかがわからない。自分から死地に飛び込むようなものだ。
二つ目は愁域に住んでいる種族と少年は違うということだ。愁域に住んでいるのは「カチ」と呼ばれる人間種と「ボラーマン」という亜人種の二つだ。後者は言うに及ばず、前者は前腕部にトカゲのような硬質な皮膚があるのが特徴的な人間種で、少年の前腕部にはそんな特徴は見られない。
以上の二つから少年がファンゴルンの大樹海の住人という線は考えづらかった。だから四蒼も転移と言ったのだろう。
「まぁ、とりあえず少年のことは置いておくとして。あの吸血鬼はどう?この街にも情報屋くらいいるのではなくて?」
マダムに言われ、思い出したように四蒼はポケットから情報屋からもらったと思しき紙切れを取り出して、机の上に置いた。代表して俺がそれを手に取り、中身を見た。曰く、最低でも死級の吸血鬼と書いてあった。名前はわからない。
「死級吸血鬼ってなんだ?」
「俺が知るわきゃねぇだろ」
「ボクもしりまーせーん」
「確か、吸血鬼の階級ではなかったかしら。えーっと、死級、帝級、死祖の順に序列が高いとかなんとか」
では死級は最下位ということか、と聞くとマダムは首を横に振った。嫌な予感がして汗が流れた。
「私も詳しくは知らないのだけど、確か、吸血鬼の階級は最下位が理知のない獣「グール」、その次が理知を持ったグール「ノスフェラトゥ」、その上が一般的な吸血鬼「ブラッド」、それよりも上等な連中を総じて上級吸血鬼って呼ぶ、だったはず」
「ぁーつまり、死級ってなぁ」
「上級吸血鬼ってことですね。まぁ、上級の最下位らしいですけど」
そんなあやふやな理解のまま、とありえずレギオンホームに俺達は戻った。今後の対応も決めなくてはならなかった。吸血鬼が少年を狙っている、というシューベルトの「魔王」みたいな意味不明な状況を解決するために、レギオンマスターであるシドにも協力を求めることが今は最善だと一致したから、早速シドに話を通そうとしたが、あいにくと例の少女を連れて、どこかへ行ってしまったということだった。
仕方なく、サブレギオンマスターのエスティーさんに話してみたところ、彼女は心底状況を楽しんでいるように見えた。若葉色の美しい長髪をたなびかせて、彼女は自室の茶室のケラケラと腹を抱えて笑い転げていた。
ひとしきり笑い終えた彼女は目尻の涙を拭いながら、俺達に一つ、助言を与えた。曰く、セナに話してみろ、ということだった。
セナとはセナ・シエラさんのことだろう。「七咎雑技団」でも珍しい吸血鬼の人だ。吸血鬼のことは吸血鬼に聞くのが手っ取り早い、ということらしい。礼を言って、俺と焞一郎が少年を伴って退席しようとすると、彼女は俺を呼び止めて、「いい選択を」と言った。当時はどういう意味なのかわからなかったが、今ではわかる。だけど、それを明かすのは今じゃない。今はまだ早すぎる。
エスティーさん、いや彼女曰くベルさんと別れ、俺達はセナさんを訪ねた。色々とその間に起きたことについて語りたいことは山ほどあるが、とりあえずこの話には関わり合いがなかったので、割愛する。
さて、セナさんに会いにいった俺達を出迎えたのは彼女ではなく、彼女の付き人もといストーカーであるレステルさんだった。彼は開口一番「帰れ」と俺達に言ってきた。
「お前らあれだろ、セナさんのストーカーだろ。か弱い乙女をストーキングするったぁどういう了見だ?」
「えっと、レステルさん、俺らエスティーさんからここに行けって言われて来たんですけど」
「ぉああ?エスティーさんだぁ?てめぇ、なに気軽にあの人の名前出してんだ、しょっぴくぞぉおあああああぁぁぁあぁ!!」
「——うっさい。お前がしょっ引かれろ」
果てしなくくだらない口論が始まったか、と俺がうなだれた矢先、レステルさんの体が一瞬で宙を舞い、さながら海底水族館のように俺達の頭上を通り過ぎ、四階の窓に顔面からスライディングし、そのまま突破してはるかなる大瀑布の彼方へと落ちていった。
俺達がその光景に呆気に取られていると、部屋の奥からけだるげそうな銀髪の少女が現れた。癖っ毛が目立つ少女で、前見た時は着ていたブラウスとドレスのお嬢様お嬢様している出立ちではなく、旧時代のパンクロック的な衣装を着ていた。
「入って。すぐに」
「えぇ、全員すか?」
「でないとあいつすぐに舞い戻ってくるから」
あいつとはレステルさんのことだろう。レギオン内屈指の剣士をあいつ呼ばわりとは、さすがはセナさんだ。納得して俺達6人+1名はセナさんの部屋にあがりこんだ。
彼女の部屋は古いバンドのCDプレイヤーや、レコード、蓄音機にレコードプレイヤーなどなど、歴史を感じさせる数々の記録媒体が積まれていた。名だたるバンドのギターやらベースギターやらのデータコピー品もあり、有り体に言えば趣味人の部屋と化していた。
「ちょっととっ散らかってるけど、我慢してねー。あ、なんか音楽でも掛けようか?」
そんな旧時代のタクシードライバーみたいなことを言われても。呆れている俺達全員が各々、席に着くとセナさんもゲーミングチェアに座り、足を組んで咳払いをしつつ、俺に対して何の用だ、と聞いてきたので、ことのあらましを伝えた。
「ふーんじゃぁ、つまり吸血鬼うんぬん、謎の少年うんぬんってことか」
言い方に若干の違和感を覚えるが、かいつまんでしまえばそういうことだ。俺達は俺達が何を守り、何と敵対しているのかすらわからない。
「じゃぁ、まずは吸血鬼について説明しよっか」
そう言うとセナさんは指を鳴らし、ホロディスプレイを出現させた。ディスプレイには三角形が映っていて、彼女はそのディスプレイを指差しながら説明を始めた。
「まず、この世界における吸血鬼っていうのは異形種の一つで、高い再生能力、高い身体能力が特徴的な超攻撃的な種族なわけ。で、その吸血鬼は大きく分けて九つの階級に分かれている。下から順にグール、ノスフェラトゥ、デミ・ブラッド、ブラッド、ハイ・ブラッドとここまでの五つがいわゆる下級吸血鬼。わかりやすく言えば最底辺が猟犬、一番上がちょっと裕福な市民って感じね。ちなみにプレイヤーはブラッドから始めるの。ま、ハンディキャップみたいなもんよ。
で、ここから重要。ハイ・ブラッドよりも上の四つの階級がいわゆる支配者階級、わかりやすく言えば上級吸血鬼って奴ね。それが下から順に騎級、死級、帝級、そして死祖よ。下は騎士階級、一番上は吸血鬼の王、間の二つは下級貴族と上級貴族みたいなイメージね」
ずいぶんと細かい分類だと思った。付け加えると、セナさん曰く、プレイヤーがなれる実質的な上限は帝級までで、死祖にはなれないのだと言う。もっとも、それは他の吸血鬼達も同じらしいが。
そうなると、と俺はキースと顔を見合わせた。俺達を襲ってきた吸血鬼は騎級、死級、帝級のいずれかということになるのだろう。最悪なのはあれがセナさんと同じ帝級吸血鬼だったパターンだ。セナさんと真正面から戦うようなもので、勝てる気がしない。しかし俺のそんな不安をセナさんは笑いながら否定してくれた。
「基本的に帝級吸血鬼は自分の根城にこもって、ひたすら力を溜めているから動くことはないわ。だから貴方達を襲ったのは騎級か死級のどちらかでしょうね」
「その二つは、どんくらい強いんですか?」
「んー。騎級がワールドレギオンレイドクラスの強モブくらい、死級は、そうね。パス・モンスターくらいかな?」
パス・モンスターとは迷路の重要箇所に配置されているボス未満強モブ以上のモンスターのことだ。レイドクラスなら6人程度でも問題ないが、ワールドレギオンレイドクラスとなるとあと三倍は人員が欲しいところだ。思えば、よくもまぁそんな奴から逃げられたな、と思う。運が良かったと言えばそれまでだが、素直に自分達の幸運を喜ぶべきだった。
ちなみにセナさんも少年についてはわからないと言う。そっちはダメ元だったから、別に問題はないが、ごめんね、と謝罪する彼女がちょっといたたまれなかった。
退室する際、セナさんは何か思い詰めたような表情を浮かべていた。今に思えば「ああ、そういうことか」と思えたが、その時は何が何やらちんぷんかんぷんだった。
*
キャラクター紹介
エスティー・ベル)七咎雑技団サブレギオンマスター。レベル150。種族、ハイ・イースト。趣味、茶道、探検。好きなもの、晩酌。嫌いなもの、特になし。
七咎雑技団創設メンバーの一人。剣士。和装美人。とても面倒見がいい。特殊な技巧「殺陣」を会得している数少ないプレイヤー。剣技においてはリドル、なのはなさんに次いでレギオン内三位の実力者。抜刀術を得意としている。速度と精度においてはプレイヤー屈指。
本編時点ではすでに故人。




