大戦佳境・爆轟
まるで火山噴火のようなドス黒い煙が戦場を覆った。
いや、事実としてそれは噴火と同義だった。一瞬にして臨界に達した鉄球から放たれる圧倒的な破壊の力、黒煙と獄炎を撒き散らし、圧倒的な衝撃力が白亜の城砦を底から粉砕した。
高さ40メートルの壁を裕に超える赫炎が亀裂を塗って噴き上がり、それに目を奪われていると、今度は視界いっぱいに瓦礫の雨が落ちてきたのだ。紅蓮の炎が滾る角材と共に炎上した瓦礫が落石となって降り注ぐ。瓦礫の雨と言ったが、正しく燃えたぎる噴石の雨だ。それは上空へ、内へ、外へと波及して、かつてない大惨事を引き起こした。
まず立ち上がった紅蓮の衝撃が城壁を縦に切り裂き、壁上にいた帝国軍兵士を軒並みその豪炎に巻き込んだ。一瞬にして何百という命が奪われ、彼らは遺骸すらも残さずに灰燼に帰した。
たった一撃で多くの人命が失われた。立ち上がった炎の一触れで百を超える人命が消え去った。続いて巻き起こった噴煙、粉塵と火石が周囲へと波及する。それはさながら飛び石のようで、鎧すらも貫いて容赦なく周囲の兵士達の命を奪った。それがさらに数百、士官も兵卒も関係なく大勢が死んだ。
それで済めばまだ易かった。被害はさらに下へも及んだ。すなわち無数の落石が噴石の雨へと代わり、防壁周辺の市街区へ内外問わずに降り注いだ。当然と言えば当然だが、屋根の骨組みなどほとんどが木造で、崩落してくる瓦礫が当たれば一溜りもない。瞬く間に市街区が紅蓮に染まり、ドス黒い煙が晴天に手を伸ばした。
被害など考えたくもないほどの邪悪、目の前で広がる光景に生き残った帝国兵のみならず、ヤシュニナ軍ですら戦慄していた。奇しくも彼らが目にしていた光景は彼らが知るとある歴史的事実を思い起こすきっかけにもなった。
かつて、おおよそ2000年ほど昔の伝説の時代、歴史区分において上古よりは浅く、近世よりも深い時代、俗に古代と呼ばれる時代においてはるか西方の騎馬国家ローハイムと指輪王アウレンディルの麾下にいた魔法使いの戦いで、追い詰められたローハイムの堅固な要塞の城壁を破壊するために用いられた「破壊の火」と呼ばれる兵器があった。それは爆炎と共に要塞の城壁を破壊し、それまでは優勢だったローハイム軍との戦いの天秤を大きく指輪王軍に傾けるという結果を生んだ。
目の前で使われた「兵器」がそれと同じなのか、彼らにはわからない2000も昔のことで、資料もあやふやだ。それでも同じように城壁を破壊した兵器は否応なしに同一視せざるを得なかった。この上ない破壊と最悪の結果をもたらした兵器の存在に畏怖せざるを得なかった。
戦慄からの立ち直りが早かったのはやはりヤシュニナ軍だ。その破壊の爪痕に目を奪われていた彼らはそれぞれの武器を手に取り、喜びの歓声を上げた。槍を天高く突き上げ、鼓舞の怒号を吠えた。
ヤシュニナ軍にとって爆発を起こす兵器は一般的だ。彼らが海戦で用いる重バリスタと専用の特殊弾頭は言うに及ばず、民間でも用いられている「黒鉄針」など、火薬を用いた武器、機械はありふれている。彼らにとって予想外だったのはその一撃が白亜の城壁を裂くほど威力があったことで、それが可能であると理解した今となっては有頂天だった士気をさらに高める結果となった。
「全軍に告ぐ。蹂躙せよ、逃げ惑う帝国兵を一人たりとも逃すな!」
「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」
怒号と共に竜馬を先頭にしたヤシュニナ軍が城壁に開いた隙間から雪崩れ込んだ。混乱の只中にある帝国軍の予備兵を瞬く間に蹴散らし、彼らは跳ね橋の機動装置を目指した。城壁に裂け目を作ったとはいえ、無数の瓦礫によって周辺が塞がっているせいで、竜馬以外での登攀には時間がかかる。馬車などはもちろんだが入れない。広大なポリス・カリアスを攻略し、物資の運搬を円滑に進めるためにはやはり、大通りを用いた運搬が必要不可欠だ。
突入してくる城下のヤシュニナ軍に呼応して、それまで逃げていた壁上の騎馬隊も息を吹き返したように反転迎撃に出た。混乱から立ち戻れず、裂け目を凝視している帝国軍の背後から彼らは迫り、容赦なく壁の上から叩き落としにかかった。
この時、壁上の帝国軍は三つのグループに分かれていた。中央、右方、左方の三つだ。ヤシュニナが攻めたのはこの内、中央のグループだった。これだけでも八千を超える大軍だ。さらに壁下には一万強の予備兵が待機していた。もし、彼らにまともな指揮能力があれば左右の部隊が壁上のヤシュニナ軍の背後を突くこともできただろう。しかし彼らは動かなかった。微動だにしなかった。誉ある白亜の城壁が裂かれたその瞬間に戦意を失っていた。
この上なく自由にヤシュニナ軍は暴れた。生半可な軍団技巧による防御など彼らには通じない。打ち滅ぼされ、谷の奥底へと叩き落とされた。
「ぉおおらぁああああ!!!」
「ぅおっと!」
その中にあって一人、ヤシュニナ軍に対してカルティオは剣を振るった。業火で燃えたその体に鞭打って、鬼のような怒りの形相で彼は騎馬隊の先頭を走るイルカイに切り掛かった。
「生きてたのかよ」
「死ねぇええええ!!!!」
カルティオの振るった剣をイルカイはこともなげにいなす。手綱を引き、姿勢をほぼ90度に逸らして、ガラ空きになった脇腹へ蹴りを入れた。予想外の急襲にカルティオの表情が苦悶で歪む。それを見て楽しげにイルカイは起き上がると、上段からの大振りで彼の左手を切り飛ばした。
馬の手綱を握っていた腕を切り飛ばされ、姿勢が崩れたカルティオ目掛けてイルカイは容赦のない突きを放った。それは鎧を砕くまでには至らなかったが、正面からの大突きはカルティオの馬を断頭し、彼を地面に叩きつけるには十分すぎる威力だった。落馬したカルティオの胸に竜馬の体重を乗せながらカラカラとイルカイは笑う。周囲を見渡せば、すでに壁上の戦いは決していた。逃げ惑う帝国軍の背をヤシュニナ軍が討つ。実に好ましい光景だ。
「げぇふ。舐めるなよ!」
「ぁあ?ぉ」
その油断を突き、カルティオが動いた。イルカイの駆る竜馬の前足を切り捨て、姿勢を崩した彼目掛けて渾身の力で切り掛かった。
「やるじゃないの」
「黙れ、蛮族!」
しかし片腕のカルティオでは力が入らず、簡単にその一撃はイルカイによって跳ね返された。彼の最後の希望が壁下へと消えると、すかさずイルカイはカルティオの首に手を回す。さながら男子学生同士がいちゃつくように、うなじを回って二の腕と前腕でカルティオの首をイルカイは引き寄せた。そして万力で呼吸器官のみならず首の骨そのものを圧迫し始めた。
「あがせ」
「やーだよぉ」
武器を持たないカルティオはどうにかしてイルカイの手を離そうともがくが、血を多く失った彼にそれをする力は残されていない。やがて、キュポンという音が鳴った。首の骨が折れた音ではない。首が抜けた音だ。折るなどという生優しい所業ではなく、ただの圧力で首を引っこ抜いて見せたのだ。盛大に戦場を舞うカルティオの首はごろごろと壁上を転がり、そして壁にできた亀裂に吸い込まれていった。
——その直後、城壁の一角で爆発が起きた。
「ぁあ?」
怪訝そうにイルカイは音がした方角に目を向けた。眼下数キロメートル先から薄いもやが立ち上っているのを彼は認めた。
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