大戦佳境・変動
一箇所での動揺は瞬く間に壁上全域へと広がった。飛びかかってくる竜馬に乗っている兵士が自分達の同胞かもしれない、という憶測は波及し、弓をしぼり、矢をつがえる帝国軍兵士らの心に決して小さくはないさざ波を生じさせた。
知らず知らずのうちに味方を射殺してしまったのではないか、大鍬で圧殺したのではないか、という負の感情が疑心暗鬼を呼び、彼らの心を鈍らせる。味方殺しなどしたくないのは誰もが同じだ。侵略者を撃退する勇猛なる衛士であったはずが、いつの間にか味方を殺す魑魅魍魎に成り果てていたなど、誰だって思いたくはない。思いたくはないから彼らは目を逸らした。
するとどうなるか。錆びた剣で人は切れない。絞りの甘い弓矢では遠くに飛ばない。腑抜けた構えの槍は容易く曲がる。当てる気のない罠は当たらない。すべからく、戦いたいと思わなければ戦いにならない。
「いけぇ!いけぇ!敵さん、やる気がねぇぞ!」
動揺を感じ取り、命令も待たずにイルカイが飛び出した。彼の号令に従って、その隷下の部隊も竜馬の腹を蹴り、全速力で突撃を開始した。降り注ぐ矢を盾で防ぎ、彼らはカタパルト目指して疾駆する。積み重なった夥しい数の兵馬の山を越え、壁に張り付いた彼らの速度は韋駄天のようだった。
すでにいくつもの傷跡が刻まれた壁は竜馬の爪を弾くにはあまりに脆い。次々と城壁に張り付き、その健脚を以て瞬く間に城壁を踏破した。決心が揺らいだ帝国軍の矢など彼には当たらない。ハエ叩きなど意味がない。攻め入るヤシュニナ軍の中に覆面を被った人間がいる限り、帝国軍は本気になれない。
胸壁に手を掛けるまでそう時間はかからなかった。着地と同時にイルカイを先頭にして彼の部隊は壁上に置かれているハエ叩きを壊し始めた。イルカイの大鉈はハエ叩きを一刀で両断し、彼の後に続くヤシュニナ兵らも思い思いの武器で端から順にハエ叩きを解体していった。
帝国兵がだまってそんな行為を見過ごすわけもなく、槍を突き立てようとする。するとイルカイらは方向を転換し、軍団技巧:烈星でもって槍兵の軍団に突撃を敢行した。彼らは軍団技巧を用いる間もなく蹴散らされ、壁上は瞬く間に血みどろの混乱に陥った。
「どぉした、どぉしたぁ!そんなもんか、帝国軍!」
討ち取った士官の首を砲丸投げの選手のように、敵陣へ投げながらイルカイは吼える。高笑いをしながら次々と味方の兵士を切っていく姿は帝国兵にとっては悪夢だったことだろう。軍団技巧という帝国軍最大の強みをただの個人が食い潰すなど悪夢以外の何ものでもないのだから。
だが、その悪夢に対して抗う人間も少数だが存在した。その一人がこの第二防壁の守備隊長にして帝国六大将軍第二将、デオン・ド・ディートリッヒの「両腕」の一人、カルティオ・ド・ベスティーノだ。精悍な顔つき、金髪のオールバック、青い瞳、逞しい胸筋と引き締まった腹筋、鍛え抜かれた左右の両腕は鎧越しでもその膨らみ具合がわかる。
軽装のイルカイに対してカルティオは重武装だ。愛馬を駆り、イルカイに対して真正面から彼は突撃を敢行した。重量で言えば明らかにカルティオが有利だ。それを大鉈の一太刀で受け止めた時、少なくはない戦慄をカルティオは覚えた。
「はぁ!!!」
「らぁああ!!」
両者の剣が空へと跳ね上げられる。互いに互いの攻撃を弾いた余波で大きく後退した。睨み合い、再び両者は激突する。イルカイの大鉈とカルティオの剣、二つの凶器が互いの喉元めがけて振り下ろされた。
両軍の大将が一騎打ちに興じる中、指揮を取るのは互いの副官だ。イルカイにはミルハが、カルティオには彼の家臣であるベイス・アルフレッドがいた。少数の騎馬でミルハは戦場を掻き乱し、それに対してベイスは圧倒的な数を以てその行く手を阻もうとした。すでにヤシュニナ軍の突撃によって生じた混乱は収まりを見せ、続々と登ってくるヤシュニナ軍も弾切れか、竜馬が数えるばかりとなった。相変わらず璧下から弓矢による援護射撃はあるが、壁上にまでそれは届かない。せいぜいが胸壁近くにいる弓兵を狙い撃てるか、という程度だ。
「10人がかりでやれ!暴れる熊や狼と同じやり方だ。包囲して各個撃殺しろ!」
ベイスの指示に従い、帝国兵らは動く。突き出された槍を竜馬が噛み砕こうとしても、死角から放たれた槍がその鱗を貫き、抵抗しようと側から別方向からの槍が突き出された。機動戦ならばいざ知らず、平地での混戦に対して騎馬というのはかくも脆い。包囲されれば得意の機動力が失われ、足を失うのと同じになる。
シオンもそれはわかっていた。だから彼は壁上にこれ以上の竜馬を送らないように指示を出していた。代わりに彼は別のものを壁上に送ろうとしていた。
「『火』の用意を始めろ!壁上の兵士達には中央から退けと狼煙で通達」
シオンの指示のもと、屋根の上にいた兵士達が動き出した。彼らが赤、緑、緑の狼煙を上げたと同時に四台の馬車、いや戦車が大通りを駆け抜けた。それが弓兵のいない、つまるところ、その頭上で大激戦を繰り広げている防壁の中央部へ到着すると、乗っていた兵士らが下馬し、積まれていた鋼の球体を降ろし次々と防壁と都市を隔てる水堀へと放り投げ始めた。
それは十や二十では収まらない。軽く四十を越える鉄球の大きさはバランスボールよりも一回りほど大きく、一つを運び出すだけで一般的な成人男性を3人は必要としただろう。だが、そこは他種族国家であるヤシュニナだ。鉄球を三つまとめて担げる亜人種はザラにいる。鉄球を投げ沈めるまでに数分とかからなかった。
鉄球は投げ込まれた側からゴロリと動き、深く沈んでいく。それが積もっていくと、最後の一つがぽっかりと水面に顔を出すくらいになった。
「準備、整いました。いつでも行けます」
「よし、走らせろ」
トーカストは頷き、目隠しをした兵士を走らせる。その兵士は聖火ランナーさながらに全力で鉄球目掛けて走る。舌からはよだれが垂れ、うまく思考がまとまっていないようなふざけた走り方で彼は鉄球に向かって、突っ込んだ。
——直後、大爆発が起こった。




