大戦城砦
ポリス・カリアス。その名を聞かないものは帝国の全土を見渡しても皆無だろう。誇り高き三重防壁、天高い城壁よ、と帝国人ならば誰もが想う白亜の城壁の内側には活気溢れる大市場が広がっていた。
都市の中央にある円柱状の建物が連なる、この街を統治する市長が住まう城は街の各所から望むことができ、都市に生きる者、都市で交易を行う者、都市を訪れる者、その他すべての都市に関係する者にとっての心の支柱となっているのだ。城を中心に西には市街区と倉庫街、東には港湾区と商館通りが立ち並んでいて、民家と商業区は完全に分たれている。その証拠に城へと伸びる水路はさながら壁のように西と東を隔てていた。
市街の民家の造りは一般的な帝国中期の造りで、高床式とも言うべき前通りと家の床部が大きく離れた設計が特徴的だ。これは海沿いの街特有の津波を警戒しているだけではなく、都市を強襲するかもしれないゴブリンやオークといった亜人種に対する対策のためだ。高所の有利はいつの時代もある、ということだ。
民家の壁は白塗りがほとんどだが、中には塗料が変色して黄ばんでいたり、赤茶けていたりするものもある。屋根の形はいずれも極々平均的な煉瓦屋根の三角型で、どの屋根の鼻隠しからも異国情緒のあるガラス細工の飾り物が吊るされていた。
住民達の多くはこの市街区に住んでいる。多くの帝国臣民よりも上等な衣装に身を包み、都市の隆盛のおこぼれをもらっている彼らの多くは倉庫街を出入りする荷運び人であったり、城勤めの役人であったり、街の酒場の踊り子であったりする。夜でも街には明かりが灯り、繁華街などは日中夜にかけて開いている店もザラにある。
転じて倉庫街は同じ形、同じ色の壁と屋根の建物がいくつも連なっている。それぞれの倉庫には番号と番地が割り振られ、いずれの内部も穀物や木材、鉱石など様々な物資、特産品でいっぱいだ。青みがかった屋根の下、いくつもの荷馬車が行き交い、倉庫の中を出入りしていく様はこの都市の繁栄ぶりと賑わい振りを物語っている。
大まかに倉庫街を分けると穀物、建材、鉱石、酒、果実といった主だった資源が種類ごとに収められている。その中からさらに細分化して〇〇産の××といったように細かく番号付けされて収蔵されているが、そのあまりの細かさはさながら迷路のようにも見える。よく出入りする荷運び業者でも迷うほどに複雑な番号割がされていて、倉庫街の造りを暗記している人間は皆無と言っていいだろう。
それほどまでに倉庫街が入り組んでいる所以はその位置にある。無数の小路と大路が入り組んだ倉庫街はすべて城壁近くにあり、それ自体が城壁を乗り越えてきた外敵に対しての対抗手段となっているのだ。
三重防壁と呼ばれる三段構造の防壁があるにも関わらず、居住区画に外敵が侵入しないように設計された迷路、それがポリス・カリアスの第四の壁とも言える倉庫街である。
華やかな市街区と繁華街に彩られる中、薄暗い理由を秘めた倉庫街の存在は一切の差異がない外見も相まって、いささか不気味に見える。このような薄暗さがあるからこそ、その反対側にある港湾区や商業区はより一層の華やかさを持つのである。
「——将軍閣下。アスカラ地方ペシャン伯爵領サーダナより兵1,000、現着いたしました」
ポリス・カリアス中央の白亜の城。街の行政、政治、そして湾を出入りする全ての船舶を管理する権力の象徴の中で、非常によく響くクリアな声で軍服をまとった将校が報告をあげていた。彼の前に立つのは軍装ではあるもののマントに、金のチェーン、やたら袖口にはフリルが多用され、衣服にはところどころ金細工があしらわれている。
衣装がけばだたしいならば化粧はなおのこと破廉恥にすぎる。まず顔が白い。肌色のことを言っているのではなく、本当に一切の比喩でもなく白いのだ。「幽霊ってどんな色?しろー!」と答えるくらいには白い。口紅は深い赫で、化粧はなんとも言えない珍妙振りとはでやかさのオンパレードだ。もう旅芸人かなんかにでも転職すればいいんじゃないか、と誰もが思う程度には派手だった。
「うぅむ。その兵団を率いるものの爵位は?」
「爵位はありません。平民の出です。軍大学において」
「ならば会う必要などないな、城壁の防衛でもさせておけ。まったく、栄光ある帝国軍の士官が平民出身とは嘆かわしい」
その男、帝国六大将軍第二将、デオン・ド・ディートリッヒは不貞腐れた態度で脇に置いてあった水タバコのキセルへと手を伸ばし、紫煙を吐き出した。彼が手振りで報告に現れた兵士を追い出すと、左右に控えていた二人の美麗だがしっかりとした上腕二頭筋と胸板を持った男二人が、そのふくらんだ体躯には似合わない細やかな手際でデオンの前にティーセットの準備をし始めた。
忙しそうに左右をいったり来たりする二人を他所にデオンは遠い、北の空を睨んだ。それは聖都ミナ・イヴェリアがある方角だ。
彼には軍に属してからというもの、ある不満があった。それは帝国正規軍という組織が上級士官の門戸を平民出身者にも開いていることだ。帝国正規軍はその歴史の古さから幾度にもわたって変革を遂げてきた。その中でも最も革新的であったのが90年前のグリムファレゴン島侵攻に伴う上級士官への門戸開放だ。この政策によってこれまでは貴族出身者のみで固められていた大将軍や中将といった上級職に次々と平民出身者が加わることになり、人材の発掘という意味でそれは結果的に功を奏したと言えた。
この政策が貴族という特権階級出身者にとってこれまで虐げてきた平民の顎で使われるなどというのは彼らの自尊心を大いに傷つけたことは想像に難くない。政策の施行当初、貴族から不平不満はたくさん出た。映えある帝国貴族の誇り、「戦い、指揮する」という専売特許を駄馬のように醜悪な平民に解放するなど、と文句や苦言を吐露する貴族は大勢いた。いう特権階級出身者にとってこれまで虐げてきた平民の顎で使われるなどというのは彼らの自尊心を大いに傷つけたことは想像に難くない。
しかし今はどうだろうか。貴族出身の上級将校などは数えるほどしかおらず、六大将軍の中で貴族出身者はデオンただ一人、彼の直接の上司にあたる帝国軍総司令官であるヴィクトールも平民出身である。
彼自身も平民出身者の中に優秀な人材がいることは認めている。デオンには剣を打つことも、軍旗に刺繍を入れることも、巨船を操舵することもできない。適材適所という言葉があるように、その人物にとって最も相応しい仕事というものがある。ならば、軍もそのようにすべきではないか。絶対的な人事権を貴族が掌握し、適した役目を適任者に与える、というのが至極まっとうな考え方ではなかろうか。
「——平民の役目とはそれすなわち私達貴族に使われることよ。貴族の勤めとは思慮のない奴らに適した職を与えること。この関係が崩れることは罷りならん。これ為すことすなわちノォブリス・オブリージュである」
「誠に、ディートリッヒ伯爵のおっしゃる通りかと」
「お茶が入りました。どうぞ、ご堪能ください」
ソーサの上のティーカップを繊細な手つきで口元へと運び、その香りを堪能するが、デオンの腹の虫はおさまるところを知らない。一つのコンプレックスを刺激されると、また一つ、またまた一つと無数に苛立っていること、気に入らないことが出てくるのだ。
ここ最近で一番気に入らないのは、一ヶ月前に皇帝の直筆で記された命令書に書かれていた内容だ。皇帝のサインの下にヴィクトールのサインもあり、顎で使われているように感じたこともそうだが、何よりも許せないのがこれから起こるだろうポリス・カリアスをめぐる戦いで、聖都から来る別の六大将軍と共同戦線を張らなくてはいけない、という点だ。
同じ戦場、同じ軍隊で同格の将を置く、というのは本来あってはならないことだ。指揮系統の混乱を生む、という極めてまっとうな意見もさることながら、デオンにとっては自分と同じ位に平民出身者がいる、ということが我慢ならなかった。同格である、ということはデオンの命令に相手は抗命できる、ということだ。真反対の行動を取っても、デオンは相手を叱責できない。貴族が平民を自由に使えないのだ。それがどれほどにデオンの自尊心を傷つけるか。想像するだけで馬鹿馬鹿しい。
「まぁいい。どうせ奴の担当は港湾区だ。敵は陸から来るのだろう?ならば私が勲功を立てるよい機会だ。この勝利を以て、あのヴィヒターを蹴落とし、ハインハマーを蹴落として、帝国軍総司令官の地位を我が物としてくれる。そして再び栄光ある帝国軍を取り戻してくれるわ!」
微かで仄暗い野心をたぎらせ、デオンはキッと北部オルト地方を睨んだ。
次回は外伝を予定しています。




