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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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大戦序幕

 「何をしているのだ、カトゥヴァ大佐は!」


 部屋の中に陶器が割れる音が響く。荒々しく地団駄を踏んで玉座の前をぐるぐると足早に歩き回りながら、ジェンダーは顔を真っ赤にして、時折扉の向こう側から聞こえてくる叫声に驚き、白歯をガタガタと怯えた様子で何度も何度も鳴らした。


 周りにいるのは傷ついた使用人ばかり、彼の衣服はボロボロで、血が滲んでいるものもいる。映えあるギマイオン家に仕える人間にはあってはならない惨めな姿だ。あまつさえそんな姿で主人の眼前に姿を晒すことにはこの上ない憤りを感じたが、状況を考えればそれは仕方がない、と使用人達への怒りを沈めた。


 苛立ちを覚えるのは何も使用人の出立ばかりではない。家具も調度品も美術品の数々もすべからく、刻まれ、切られ、絨毯であればただの布切れに、ソファであれば中の綿がこぼれ、彫刻品は石屑に、絵画はただの汚い一枚紙に成り果てた。先祖の武勇を讃え、彩る絵画は燃やされ、城門前の彫像は水堀に沈められて愚民共の足蹴にされる始末。一夜に味わうには千度憤死して余りある屈辱を味わい、今にもジェンダーの頭は張り裂けそうだった。


 その中にあって、頼み綱は駐留軍の指揮官であるカトゥヴァ大佐だ。こういった反乱を想定して、わざわざ高い駐留費を払って軍を養っているのだ。ただでさえ北部に比べ南部のアスカラ地方は税率が高い上に、駐留費まで払っているとうのに、一向に現れない帝国正規軍への苛立ちから、ジェンダーはさらに激しい憤りを感じ、玉座の左右にある垂れ幕を思いっきり引きちぎった。落ちてきた欄干が玉座を潰し、手当をしていた使用人達が悲鳴を上げることも顧みず、クソがクソが、と落とした垂れ幕を踏み続ける中、一人の使用人が彼に歩み寄った。


 「なんだ、何事だ!」

 「はい。東の空より、狼煙が上がっております。カトゥヴァ大佐からと思われます」

 「やっとか。それで、内容は?」

 「は、はい。それが、どうやら市壁の外に数万の軍隊が集結しているため、こちらは身動きが取れぬ、と」


 「な、なんだ、それはぁ!いや、それよりも数万の軍隊!?どこの軍だ?」

 「そ、そこまでは狼煙では皆目」


 もうよい、と語気を荒げてジェンダーは使用人を突き飛ばす。髪をかきむしり、歯をこすり、かつてないほどに汗ばんだ眉間から流れる塩油が口舌を伝う。


 逼迫しているなんて言葉では足りない。絶体絶命と言わざるを得ない絶望的な状況だ。どこの軍だ、などと聞いたが、どこの軍かなどということはジェンダーの頭の中ではすでに結論が出ていた。反乱を主導しているのがアウラムスの甥であるアルジェンティスであること、何故かただの市民までもが武装していること。そして、極め付けに登場した謎の軍隊。それがヤシュニナによる一連の手引きであったことなど、誰の目にも明らかだ。


 「ふ。だが。誤算だったな」


 振り返り、砕けた玉座にジェンダーは手を伸ばす。彼が玉座の土台部分を使用人と共に押すと、その下から階下へとつながる階段が現れた。


 それは彼の祖父であるグラハルト・レ・ギマイオンがローダン王国崩壊後に作らせた隠し通路、万が一に備えての最終逃走手段だった。城の内部を大規模に改修するにあたって、帝都から招いた技術者達に作らせたこの通路の存在を知るものは男爵家の中でも知るものはほとんどいない。まして外部の人間が知ることなど不可能だ。玉座をどかすのを手伝ったジェンダーの使用人達も目を丸くしてその存在に見入っていた。


 「この通路は軍の駐屯地に使われている大区画と繋がっている。あそこにまで辿り着いてしまえばこちらのものよ」


 「し、しかし男爵様。外には謎の軍隊が」

 「バカめ。それを突破するために駐屯地へ急ぐのだ。私は帝国貴族(ブルジョワ)だ。そして奴らは帝国正規兵だ。貴族を守る責務があるとは思わないか?」


 なるほど、と使用人達の表情がほころぶが、ジェンダーにとっては彼らが何を考えて、何に安堵しているかはどうでもいい話だった。自分が逃げるための囮になればいい、とすら思っていたのだから。


 「では、行くぞ。おい、お前」


 使用人の一人にランタンを持たせてジェンダーは彼に自分の前に立たせた。


 「なにぶん、60年以上も使ってこなかった通路だ。安全を確かめよ」


 不承不承といった様子でその使用人がジェンダーの前を歩き、他の使用人がそれに続いた。ジェンダーも含めて六人ぐらいの小部隊が暗闇に足を踏み位入れる。


 階段は螺旋状になっていて、松明を置くための燭台もない。ただ唯一、最前列を歩く使用人のランタンだけを頼りにおっかなびっくりしながら、彼らは地下までの道を降りていく。いつの間にか喧騒も遠のき、地下の下水道の波音が聞こえてきた頃、彼らの前に古びた扉が現れた。湿気と経年劣化で古びた木製の扉を剣の鞘で押すと、ギィーと軋みながら、それは開いた。


 途端に腐臭を纏った下水の匂いが鼻腔に直撃した。壁一つ隔てた先に下水路があるから当然なのだが、生まれながらに除染された空気しか吸ってこなかったジェンダーからすれば吐き気が込み上げてくるくらい不快な匂いだった。その容姿に似合わぬ聞き苦しい音でえずきながら、彼はランタンで照らされたアーチ状の通路に目を向けた。


 通路は階段と同じように、燭台がない石壁が延々と続いている。かまぼこを思わせるアーチ状の天井の上からは水流の音が聞こえ、石天井一つ隔てた先を下水が流れていることがわかる。天井からこぼれた汚水が水溜まりを作っていて、それが地面に染み込んでいるせいか、大変ぬかるんでいる。とにかく不快な場所、泥に塗れて、とはまさしくこんな惨めな逃走劇を意味するのだろう、と取り違えた怒りを覚えながらジェンダーは前を歩いていた使用人を押し除け、その手からランタンをひったくると鞭を打たれた駄馬のように通路を走り出した。


 刹那、彼の向こう脛を一条の鏃が貫いた。痛みを感じる間もなく、体から力が抜け、ジェンダーはランタンを泥中に投げ落とした。


 「ぅ、ぅあああああああああああぁああああ」


 「仮にも帝国貴族のはしくれならば、戦って命を投げ捨てるべきであろうに。惰弱だな」


 「な、貴様!貴様!」


 暗闇の中から現れた男を睨み、ジェンダーはかつてないほどの衝動に胸を焦がした。それが憤激であることは表情より明らかで、どうして秘密の通路にアルジェンティスがいるのか、彼以外にも人がいるかなどはすっきりさっぱりジェンダーの頭から抜け落ちていた。


 「アルジェンティスぅ!貴様、気でも触れたか!」

 「問答をするつもりはない。選べ」


 「なに?何を選べと!」

 「この場で朽ちるか。私の王位戴冠を祝賀するか、だ」


 「ふざけるな!貴様を王として仰だと!?商人崩れがイキがるなよ!」


 「——そうか。ならば死ね」


 抵抗する余地はなかった。アルジェンティスの背後から現れた十数人の射手は瞬時に矢をつがえ、無言のままにそれを慌てるジェンダーらに向かって放った。暗闇の中、回避することなどジェンダーらにはできなかった。倒れていくかつての支配者達を尻目にアルジェンティスらの長い夜は開けた。


なぜ、アルジェンティスが隠し通路にいたのかの理由は、当時の水道局の長官が工事跡を不思議がり、調べていたからです。

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