大戦開幕
深夜、炎が一つ、また一つと暗闇の中からふっと現れ、それは鬼火のごとくゆらめいて市内を駆け巡り、それが一点に集まると、一際大きな火球を作り上げた。それはさながら焚き火台のごとく、メラメラと燃えたぎり、その松明を握る者達の恐ろしくも勇壮な輪郭を夜街の中に影として浮き上がらせた。
いずれもてんでんばらばらの装束、まちまちな鎧兜、武器と呼べるような装備はなく、ほこりを被ったガタガタの剣や薪割り用の斧、包丁を洗濯棒に結えた即席の槍を手に握り、しかし、いずれも執念の炎が宿った紅蓮の瞳をしていた。数にして100人にも満たない彼らの先頭を歩くのは黒いマントを羽織った中年の男、その手には鍔に刻まれた紋章がすり減った一振りの長剣が握られ、もう片方の手にはバックラーとも呼ばれる丸みを帯びた盾が握られた。
「諸君、今こそ我らは取り戻すのだ、かつてのローダン王国を、耀き昔日の栄光を!」
アルジェンティスが檄を飛ばすと、彼の背後を固める戦士達は怒号を挙げ、その手に握った凶器を天に向かって振り回した。それは夜明けを晴らすが如き勢いを彼らに与え、一気呵成に王城へと攻め込む原動力となった。
彼らがこの広場に集う時、鎧がこすれる音が市中に怒号と共に響き渡る。寝静まっていた市民達が目を覚ますには十分すぎる大音量、誰も彼もが、窓へ、あるいは玄関へと急ぎ、市中を走る集団を目にした。それは恐怖と動揺を生じさせるには十分すぎた。
口々に彼らは憶測を語る。あれは誰だ、あの集団はなんだ、あの旗はなんだ。見知った顔があった。あれは市長補佐の人だ。あれは水道整備長だ。あれは税務長だ。あれは、あれは、あれは。次々に集団の中にいる戦士達の素性が割れて行く。その中で無論、アルジェンティスもまた面が割れ、彼が先頭を走ることに市民達は驚きの声を上げた。
広場に集まった市民達の目は一際目立って壇上に立ったアルジェンティスに釘付けになる。そのあまりにも似合わない意気軒昂なアルジェンティスは瞠目する彼らを前にして、猛々しく宣言する。
「市民達よ!長き忍従から解放される時が来た!我々はついに、立ち上がる!私は叔父の、いや、先代ローダン王国国王、アウラムス・エーレ・ローダンの跡を継ぎ、この国の王となる!自由を望む市民達よ、我らと立ち上がるならば、武器を取れ!戦の火蓋は切って落とされたのだ!」
アルジェンティスが広場の一角へ手を振ると、槍や斧、剣に弓矢といった多種多様な武器を山ほど積んだ馬車が一台、二台ととめどなく、道奥から姿を現した。武器が入った木箱が置かれた時、じゃらじゃらと中の武器同士が擦れ合う音が聞こえ、それが見てくれだけのものではないことを市民達は実感した。
武器の存在に息を呑む市民達を一瞥したアルジェンティスは代わって配下の兵士達へと視線を移す。見知った顔がいくつもある。部隊長と思しき面々はいずれも知った顔だ。長らく、ローダン王国の崩壊から今に至るまで、彼らが叔父を支え、また叔父はそれに報いてきたのだろうと実感させる錚々たる面々を前にして、気持ちがわずかに臆するが、ぎゅっと左拳を握り締め、アルジェンティスは右手の剣を夜空に高く掲げた。
「諸君!いよいよだ。いよいよ、我らはあの牙城を落とす!よいなぁ!」
「無論です!この時をどれだけまちわびたか!」「亡きアウラムス様に代わり、アルジェンティス様が指揮してくださること、無上の喜びにございます!」「父の遺言、否、先祖の大願を果たせる時がきて、感無量でございます!」
次々に飛び交う賛辞の声に後押しされ、壇上を降りたアルジェンティスは真っ先に駆け始めた。彼を先頭に黒鉄の一団が都市の中心へ、かつての旧王城へ向かって走り出す。それに触発されたように市民達も武器をとり、走り出した。帝国を打ち滅ぼすため、自らの祖父母、あるいは父母の無念を晴らすため、総勢一万を超える群衆が松明と鉄器を持って走り出したのだ。
それは王城に住む者達には紅蓮の大河のように見えたことだろう。夜闇の静寂を切り裂いて、血河の亡者達が溢れたような光景に腰を抜かしたかもしれない。だが真に彼らの心胆を奪ったのは押し寄せる群衆を城下に見たことにではない。
城と市街をつなぐ跳ね橋が何の前触れもなく開いたことこそ、彼らが最も恐怖した瞬間だった。そのまま流れるように城門までもが開け放たれ、城内の人間は完全にパニックを起こした。
それだけではない。一階の窓、かつては何もなかった城壁に設けられた人が二人は並んで入れそうな大きな窓目掛けて、建築に使われる角材が投げ込まれ、さながら破城槌のように窓ガラスを粉々に砕いたかと思えば、すぐにその木材を橋に替えて四方から市民が攻め込んだ。
「なんと!」
「驚くことはありません。我らは長年、この街で行政はもちろん、下水道や井戸の管理といった市民生活に必要不可欠な仕事を担ってきたのです。隠し通路の一つや二つ、把握していないわけがございませぬ!」
力強い兵士の言葉にアルジェンティスは感嘆を覚えた。雪崩のように押し寄せた反乱軍、いやローダン王国軍は防具もろくに着ていない城内の男衆を片っ端から切り捨てていく。ヒールが高すぎる、まるでケリかシギのような靴を履いているギマイオン家の人間はろくに戦えもせず、血飛沫をあげていった。
一階は瞬く間に制圧され、二階にローダン軍の手は伸びる。夜襲からの奇襲、すべては順調に思えた。しかしアルジェンティスには一つ、気がかりがあった。それはこの騒ぎをすでに聞きつけているであろう帝国正規軍の存在だ。駐屯している帝国正規軍の数は3,000から4,000ほどだが、素人の軍隊を制圧するには十分すぎる数だ。それが今、まさに城攻めを行なっている自分達の背後から迫ったら、と思うと、震えが止まらなかった。
ここまでのことをしたのだ。勝たなくては反逆罪で極刑だ。反逆者は絞首刑か磔刑と相場が決まっている。いくら決意したとはいえ、自分から死刑になりたいわけもない。失敗して、辱めを受けるなどまっぴらごめんだ。何より、こんな自分を信じて決起してくれた叔父の臣下達、未来のローダン王国の臣下達を巻き込んでの一大決戦なのだ。失敗して、彼らまでもが同じ道を辿るなど許せない。
焦らせる要因は帝国正規軍の他にももう一つある。二階の制圧が済み、ほとんど手勢を失った状態で、それでもジェンダーはまだ降参しない。帝国正規軍が援軍として駆けつけるのを虎視眈々と待っているのだ。何人、何十人と自分の従者が盾となって消えていく中、生き延びようとする生き汚なさには嫌悪感を覚えるが、それはアルジェンティス、引いてはアウラムスも同じこと。つまるところ、それがただの同族嫌悪でしかないと知りながら、アルジェンティスはやはりジェンダーを呪った。
三階が落ち、いよいよ残るは王座の間のみという報告が入った。ついにか、と安堵を覚え、目の前にいたギマイオン家側の兵士を切り捨てるとすぐさま知らせを届けた自軍の兵士に駆け寄った。
「王座の間に引きこもっているのか?」
「はい。外を見張っている人間の報告では救難信号を送っていると」
「なら、なぜ正規軍がこない。何か裏が」
刹那、市壁の東側から夜闇をつんざくような怒号と歓声が鳴り響いた。肌がざわめき立つほどの轟きに、アルジェンティスはもちろん、彼の周りを固めていた兵士達もまた音が鳴り響いてきた方向に目を奪われた。
「なんだ、何が起きている?」
「わかりません。すぐに確認します」
「——その必要はありません。あれは敵方の怒号ではありませんから」
なんだと、とアルジェンティスは声の主に振り返る。立っていたのは山羊の頭蓋を模した仮面を被った長身の男、アルジェンティスは元より、この街の人間ならば一度は見たことがある男だった。
ノックストーンは戦場に立っているとは思えない、返り血を一切浴びていない子綺麗な出立で、腰に両手を回した姿勢で立っていた。異質、それを絵に描いたような姿は否応なしにアルジェンティスらに警戒感を抱かせた。それを知らぬ存ぜぬ顧みぬとばかりに無視して、彼は市壁を指した。
「あれなるはヤシュニナの騎兵団。此度の決起に合わせ、見物に来たようです」
「なんだと?」
「あくまでも居るだけ。たまたま、そこにいるだけの武装勢力に過ぎません」
ノックストーンの言葉が何を意味しているのか、アルジェンティスは即座に察して踵を返して四階にある玉座の間へと走った。走り出したアルジェンティスを彼の臣下が追従した。
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