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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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大戦開花

 事切れた叔父を抱き抱えたアルジェンティスを扉に近づいたビクターが招き入れる。悲しみと怒りで両肩を震わせながら、慚愧の念に心を揺れ動かされた。


 「アルジェンティス殿、よろしいでしょうか?」


 夜になり、部屋の扉をノックする人間がいた。ノックストーンは無機質な、感情をこれっぽっちも感じさせない声で叔父の遺体を黙って見つめるアルジェンティスに立ち上がるように促した。低い吐息と共にアルジェンティスは立ち上がり、ノックストーンに促されるがまま、席についた。


 「——先ほどまで、市井を見て回ってきました。アウラムス殿の件はすでに市内のあちらこちらで聞くようになっており、遠からずして、あまねくすべてのジョーアの民が知るところとなりましょう」


 アルジェンティスの心情など全く考えていない無遠慮で、無感情な話の切り出しに、アルジェンティス本人は苦笑してみせた。そんな話など聞きたくない、と言えばそれまでだ。おそらく目の前にいるノックストーンという男はアルジェンティスの言葉に従って、何も言わなくなる。


 状況は決してよろしくはない。旗頭として祭り上げるはずだったアウラムスが死に、市長を、あるいはローダン家の血統を殺されたことによって決して少なくはない市民達は帝国への反感を抱いたはずだ。この状況でどうするべきか、頭の中ではわかっていても、言語化ができない歯痒さ、目の前の商人の無頓着さに端を発したいじらしさに腹の中がムカムカとしてきた。


 「——私が、旗頭となる。それでは不十分でしょうな」

 「それに答えようと一介の商人の分を超えた発言となるでしょう」


 「では、それでよろしい。私は、今日まで、帝国の域内を旅する商人として暮らしてきた。北も南も東も西も中央も多くを見てきた。ゆえに断言できる。この国はもうだめだ、と。上がり続ける多様な税、地域格差、地方貴族の悪質化、欠点を挙げればキリがないほどだ。このジョーアの街に限れば、私ほどに帝国が末期患者であることを知るものはいない。——同時に、私ほどこのジョーアの街を知らない人間もいないのですがね」


 アルジェンティスは自重気味に鼻で笑う。小さな笑みがこぼれ、その白い前歯が淡いオレンジ色の輝きを放った。机の上に乗った両手を骨が鳴るほどに強く握り締める彼の切実な声に、なるほど、と小さくノックストーンが頷いた。


 「それが貴方の本音ですか。いえ、この話を最初に貴方にお伝えした時、不思議だったのです。なぜ反乱に乗り気だったのにも関わらず、こうも老齢の叔父を巻き込みたがるのかが」


 「私はせいぜいが街の住民が名前を知っている程度。人望などこれっぽっちもありません。果たして、そんな私が旗頭たるか。叔父のように自分を殺し、私心よりも民を優先することができるのか。想像ができないのですよ」


 それは否定しようのない事実だった。街の住民はアルジェンティスの顔と名前は知っていても、彼の仔細を知らない。彼自身も街の仔細をとんと知らない。意気とは裏腹の自気の無さはここからきていた。


 項垂れるアルジェンティスはビクターが出した紅茶を唇へ運び、味わうことなく喉奥へと流し込んだ。熱かったろうが、気にしているそぶりは見せなかった。


 ひりつく口唇の痛みすら忘れるほどにアルジェンティスにとって叔父の死は大きいものだった。日頃は、情けない、とか、惰弱とかなじっていた叔父だったが、しかしいざ改めて死んでしまうとその背中は自分よりもはるかに大きかった。自分にできないことができる人物だったのだ。


 人生の支柱とまでは言わなくとも、大いなる先達の喪失は弱い50を超える人間でも心にくるものがあり、涙こそ溢れないが、胸の内をしめつける痛みとも痒みとも捉えられる息が詰まるような感覚はアルジェンティスの心を掻き乱してならなかった。そんな悲しみの淵にいる人間に対して、ノックストーンは冷厳な口調で感情を逆撫でするような言葉を放った。


 「——アルジェンティス殿。大変申し訳ないが、私には貴方を勇気づける言葉も、民衆を立ち上がらせる雄弁を振るう力もない。精神医のごとく、貴方の内心の吐露を聞くことしかできない。だが、そう。敢えて言わせてもらうならば、——何を気負うことがあるのでしょうか?」


 「なんだと?」


 「礼を失している。人命を軽んじている。所詮は外野の囀り、どのように捉えていただいても結構です。貴方を奮起させられれば過程はどうでもいい」


 「カームフェルト殿?」


 「貴方は今、悲嘆にくれている。近しいもの、それも肉親を失ったのならば当然でしょう。彼らの代えはなく、ことごとくにおいて貴方の先達であり、心の拠り所であり、本音で話し合える仲だったのですから。ですが愛する人物の生の終焉を惜しみ、また厭うのならば、果たしてそれだけでよいのでしょうか。人は立って、進まなければなりません。誰であれ、立って、立ち上がって、その片足を一歩、また一歩と前に前に進めねばなりません」


 席から立ち上がったノックストーンは窓際まで歩いて行く。静まり返った夜警の姿もない街並み、蒼い街を見つめながら、不意にノックストーンはアルジェンティスに向かって振り返った。


 「貴方の、いえ貴殿の叔父上は一体何をお望みだったのでしょうか。その老体に鞭打って一体どうして、ああも男爵に泣き縋ったのでしょうか」


 「それは、それは、助命を請うたのではないですか?この街の人民の」


 「そうでしょうとも。王の座を追われながら、それでもあの方の心はいつまでも王だったのでしょう。私も彼の方の人となりは少しは把握しているつもりです。とても心配性で、臆病で、卑屈。男爵のご機嫌伺いをしているだけの肝っ玉の小さい老人、と。ですが、果たして。そう、ですが果たしてそのような心根の老人が事切れるまで城門を叩き、街の住民の助命を嘆願するでしょうか。何か、聞いてはいませんか。死の間際に彼の方は何か、言い残されませんでしたか?」


 ノックストーンの言葉を受け、それまで項垂れていたアルジェンティスはハッとなって顔をあげた。


 「『すまない』と。何度も何度も叔父は私に連呼していた。それが」


 「それが全てではないですか?貴方の叔父上の真意は定かではありませんが、私にはこのように言っているように思えます。『志を果たせずすまない』と。さながら、王が臣下に己の無力さを詫びるように。無論、これは私の勝手な憶測ですが」


 「いえ、きっとそうでしょう。叔父は、叔父は。王、だったのですな。このうえなく、勇敢な王だった」


 自嘲じみた笑みがアルジェンティスの口元からこぼれた。それが己の矮小さをなじるものだったのか、はたまた別の意図があったのかはノックストーンにはわからなかったが、しかしその瞳には先ほどまではなかった確固たる意志が宿っていた。


 その証拠、と言うわけではないが、席から立ち上がったアルジェンティスは確かにすっきりとした表情を浮かべていた。叔父の死を嘆いていただけの甥の姿はそこにはなく、確かに責任と自尊心を受け継いだ正統な王位継承者の姿がまさに、虚言癖の邪霊(メフィストフェレス)の前にあった。


✳︎

作中設定(地理)


 アスカラ=オルト帝国はオルト地方とアスカラ地方からなる国家です。オルト地方に比べ、アスカラ地方の方が温暖な気候で、農作物が多く取れるなど一次産業が盛んです。対してオルト地方は工芸品や美術品といった二次産業が盛んです。


 アスカラ地方のあらゆる特産物、納税品はポリス・カリアスと呼ばれる沿岸部にある経済特区を経由して聖都ミナ・イヴェリアに送られます。感覚的には江戸時代前期の大阪のようなものです。ただし、大阪と違って全国から、ではなく、アスカラ地方限定です。


 農産物が多く取れるという点から、オルト地方に比べてアスカラ地方は重税が課されています。これは単純な税収が北よりも南の方が多く取れる、という理由以外にも、アスカラ地方がオルト地方に比べて人口が勝っており、潜在的反抗精神を危惧しての明確な差別政策の一環です。


 オルト地方の各領主が帝国成立以前から帝室に仕えている譜代の家臣であるのに対して、アスカラ地方の領主はその土地のかつての有力者、勃興して100年以下の新興貴族などです。ただし、ヴィルアンヌドゥアン辺境伯爵領をはじめとした西部国境付近の領地はすべて譜代の帝国貴族によって治められています。

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