大戦哀歌
王城へと向かう足取りは重く、一歩の距離を三歩で歩き、杖を引く肩が万力で掴まれているような感覚すら覚えた。曲がった腰を右手で叩いて起こし、虚げな目でアウラムスははるかな石造りの城を睨め付けた。
ローダン王国の王城は王城とこそ銘打ってはいるが、その実は最終防衛拠点として設計された要塞であり、華美な装飾や派手な彫刻、彫像の類が一切ない戦うための城だっただけに、王城として本来は持ち合わせているような快適さや豪華さとは縁遠い産物だった。言い換えればローダン王国に住む人々にとってこの王城こそが自分達が戦士の末裔であることの、自分達のアイデンティティの証左だった。
それが今はどうだろうか。城門の前、水堀に架けられた吊り橋の前に立ったアウラムスはその見るも悍ましい左右の彫像をやるせない気持ちで見つめた。なかった窓が一階にも設けられ、それは高さにして人二人分、幅は人一人半ほどの大きなものだ。もともと、平城で、しかも一階部分が実質的な城壁だった城になんだって、窓を設けたりするのか、意味のない彫像を設置するのか、まるで平原に置かれた貴族の邸宅そのものではないか、と嘆きたくなる。
戦士の尊厳を、かつての国民の尊厳をああも破壊することはないだろう。
城門から城内へ移っても、その悲しみは拭えない。かつては幅が狭かった通路も今はいくつかの部屋を取り壊し、広々とし、なかったはずの大広間にはキラキラと輝くシャンデリアが二階の天井から吊るされている。煌々と照らされるのは貴族然とした暖色系の絨毯や燭台、絵画といった貴賓用のアンティークばかりが飾られている有様で、かつてのありし日の殺伐としつつも戦士の威風を感じさせた城とはとても思えない。通る通路の左右にも彫刻品や絵画、それも皇室ゆかりの戦いや人物、風景をモデルとした、あるいはギマイオン家の栄光を讃える品々があふれかえり、その度し難いナルシシズムとモナーキズムを感じさせる
建物があれならば、人もあれだ。アウラムスを出迎えた人間も、案内している人間も、いずれもギマイオン家の使用人であるが、貴族風を感じさせる戦士っ気が一切ない後ろ姿と歩き方はまるで野山を歩くために革靴ではなく、プーレーヌを履いているかのようだった。
気取っている、などと一言で片付ければそうだが、ローダン王国がまだ存在していた頃はこのような出立の使用人は一人としていなかったのだから、アウラムスにとっては衝撃もいいところだった。無論、これが初見であるわけではない。市長としてアウラムスは何度となくギマイオン男爵下の旧王城を訪れているのだから、初見であるはずがないのだが、何度見てもあの踵が高く、つま先がとんがった、靴を履いて、膨れ上がった腰を裸婦のごとく振っている使用人、白一色で袖口はヒラヒラとした、もう包み隠さず言って仕舞えばバカっぽい出立ちの彼らの後をついて回るのは慣れない。あまつさえ、その出立ちを当然のものと考え、品があるとまで思っているのだから、なおのことたちが悪いというものだ。
「なんだ、ローダン。つい先ほど別れたばかりだと言うのに。何か、言い忘れたことでもあったか?」
それら惰弱と軟弱の極みこそが今目の前で優雅に紅茶を音を立てて、啜っているジェンダー・ド・ギマイオンだ。ひょろりとした剣の一振りさえ持ったことなさそうな虚弱な細腕、形ばかりの上品で優雅な衣装、貴族然とした一室はまさしく、虚栄と見栄の宝庫だ。
事実、その部屋に相応しい人物かジェンダーは、と聞かれれば首肯はできないだろう。決して美丈夫とは言えず、かと言って間違っても醜貌ではない。さながら、上京して運良く大金を手に入れた愚物が、品位と品格を著しく欠いているがごとく、ジェンダーという人間は礼儀・作法といった貴族に必要なものを取ってつけたような人間である、とアウラムスは見ていた。
「男爵しゃま、いえ男爵様、この度はわたくしのような卑賎の輩を城内にお招きくださりまことに、まことに感謝いたします」
「うむ」
それでも一応は帝国男爵だ。傅くしかない。
「この度、わたくしが男爵の御前に参上致しましたるはただただ陳情したきことがありましたがゆえであります」
「どうした、ローダン。今日はやけに滑舌が良いではないか。いつものくしゃくしゃとした声はどうした?」
ジェンダーのこちらをせせら笑うセリフに呼応するように使用人達は苦笑する。教育、教養という概念を母親の胎の中に置き忘れたようだ。
「どうか、どうか」
「ああ、わかった。わかった。まずはその陳情とやらを言ってみよ。一体なんだ。徴税のことか、それとも街路の舗装か?不倫騒動か?私は寛容だ。大抵のことは聞いてやろう」
「で、では。謹んで申し上げます。どうか、どうか。ヤシュニナとの戦を、回避してくださいませ」
「なんだと?」
1秒前まで浮かべていた笑みが、ジェンダーの顔から喪失した。代わりに不機嫌そうな皺が眉間に、鼻筋により、ほうれい線が浮き上がるほどに表情が強張った。いつもならば、この表情をした時点でアウラムスは口を閉じただろう。しかし、今日ばかりはアウラムスも黙らなかった。
「どうかお聞き入れください!ヤシュニナ軍は帝国の正規軍を最も容易く撃破するほどの精強さです。都市決戦とならば民にも無用の犠牲がでましょう!」
「民?言うに事欠いて『民』だと?ローダン、貴様何様のつもりだ?帝国の、ひいては皇帝陛下の民であって、貴様の民ではないぞ」
「失礼しました、男爵様!ですが、どうか!ジョーアの城壁は高く、かつても幾多の蛮族の侵略を防いできましたが、それとヤシュニナ軍とでは話が違います!あの国は、英雄によって建国された国、かつて指輪王を打倒し、この世界を救った英雄達が築き上げた国なのですぞ!」
謝る言葉よりも訴えかける言葉は倍、三倍で済まない。こと切れそうな老人とは思えない剣幕でアウラムスは真摯にジェンダーに訴えかける。
その言葉に、少なからずジェンダーも動揺するそぶりを見せた。いくら品位にかける、品格に難がある、とはいえ、大陸東岸部に住んでいてヤシュニナを建国した英雄達を知らない人間はいない。
童謡にすら語られるほどの英傑達、黒のシド、剣聖リドル、蹴り師アルヴィース、殲滅皇セナ・シエラ、剣鬼なのはな、傾国女帝ファム・ファレル。大陸東岸部に住むものならば誰もが一度は聞いたことがある英傑達が建国した国、それがヤシュニナだ。それが怖い、恐ろしいとアウラムスがまくしたてる中、ジェンダーはしかし怒号を飛ばした。
「黙れ!黙れ!黙れ黙れ黙れ!貴様のその言、その真意、わかったぞ!さては私を騙し、ヤシュニナをこの街に引き入れ、王座を奪還しようという腹づもりだな?70年以上も昔に失った王座にまだ未練があるとは笑わせる」
「そのようなつもり、つもりはございません!わたしめはただただ真摯にこの街に住む人々が心配なだけでございます!」
「黙れと言った!!」
激情に駆られ、席から立ち上がったジェンダーは駄馬のような足取りでアウラムスに駆け寄ると、その胸ぐらを掴み上げ激しく彼をゆすった。それは到底、老齢の人物にするべき所業ではなく、突然のことにアウラムスはゲホゲホと苦しそうに咳き込んだ。
それすらもジェンダーにとっては雑多な音、雑音にすぎない。しゃべるな、と言ったのにしゃべった、声を発した、音を上げた、ということでしかない。
「この老人め!我が祖父の温情で生きさらばえただけの老愚めが。私の決定に意見するのみならず、皇帝陛下の威信を汚すとは!なんたる恥知らずか、この売国奴め!」
絨毯の上に叩きつけられたアウラムスをジェンダーは執拗に蹴り付ける。老人が何を言おうと聞く耳を持っていなかった。先の尖った靴で足蹴にされ、吐血するアウラムスがそれでも何かを言おうとした矢先、ジェンダーの蹴りが彼の胸を叩いた。
「だ、だんしゃくしゃま……」
「その、ボロ雑巾のような老人を外に叩き出せ!手当の必要はない!」
伸ばした手を蹴り飛ばされ、悲痛な声でアウラムスはうめく。そんな吐血する彼の腕を使用人達が持ち上げ、ジェンダーの前から退席させる。持ち上げ、退席させる時が乱暴ならば、彼を城から出す時もまた乱暴だ。さながらゴミ袋でも捨てるかのように乱暴に吊り橋の上に叩き出された彼に、あまつさえ唾さえ使用人達は吐き捨てた。
うめくアウラムスは震える足で城門にすがる。何度も何度もその枯れた拳で城門を叩き、ジェンダーに合わせてくれ、と懇願する。しかし無慈悲にも門衛達に捕まれ、槍の柄の部分でどつかれ、いよいよ城門前からも遠ざけられた。
立ち上がり、なおも城門へと向かうアウラムスを門衛達は執拗に突き飛ばしたり、蹴り飛ばしたりした。それは肌も骨も乾いた老爺には酷と言うしかないむごい仕打ちだった。何度も鈍い音がした。周りの人間も彼が殴打され、蹴飛ばされている光景を見ていることしかできなかった。庇おうとすれば自分にも矛先が向くかもしれないから。
「叔父上!」
ちょうどその時だ。見物人の一人に連れられてアルジェンティスが駆けてきた。アルジェンティスが駆け寄った時、アウラムスは激しく咳き込み、喀血を繰り返した。手足はあらぬ方向に捻じ曲がり、甥の肌に触れることもできないほどに傷ついた叔父の姿を目の当たりにして、アルジェンティスは唇を震わせた。
「ある、じぇん、てぃす!すまん、すまんな」
「——おい、貴様!このジジィの親類か?なら、ちょうどいい。とっととそのジジィを連れて失せろ。貴様らもだ、市民共!城の前から即刻消え失せろ!」
門衛の一人が槍を天に向かってくるくると振り回しながら、怒号を上げる。物言わなくなったアウラムスを抱き抱え、アルジェンティスは城に背を向け、その命令に従った。両肩を怒りと悲しみ、義憤と悲哀で震わせて、ローダン王家の血族は紫炎の空に向かって去っていった。
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