大戦渦中
クターノ王国と帝国の国境に程近い都市、ジョーアはかつてはローダン王国の王都だった。
高さ10メートルを超える高い城壁に囲まれた市街は入り組んでおり、その中央には決して大きくはないが、堅牢な王城が置かれている。市街の建物は高低差が激しく、街の各所に立っている防衛目的の尖塔は一見すると目印のようにも見えるが、その実方向感覚を狂わせるための布石に他ならない。
それら迷路のような市街を超えた先にある王城があり、一階部分と二階部分には窓がなく、三階部分も日光を入れるための最低限の大きさの窓しかない。城は四階建てで、最上階ともなれば見栄えを考えてか大窓こそあるが、それにも鉄格子が嵌められている。おおよそ、入り口しか突破口がないため、籠城戦ともなればどれほどに屈強な軍隊でも攻めあぐねることは必定だ。
このような王都を造るのはアスカラ地方東部の風習である。クターノ王国の王都ガイゼムにも代表される迷宮都市と言っても過言ではない堅牢な都市、その現在の支配者はかつてのローダン王国の重臣にして首都防衛の責任者でもあったグラハルト・レ・ギマイオン将軍の家系である。当の将軍本人はすでに逝去しているが、その孫筋に当たるジェンダー・ド・ギマイオン男爵によってジョーアは治められていた。
「——いいか、諸君!我らはこれより戦に入る!敵ははるか東方の蛮族、ヤシュニナである!」
先祖代々の鎧を身にまとい、勇ましい言葉を訴えるジェンダーに市民達の視線が向けられた。細身で鎧が大きすぎるひょうきんな印象を受ける領主に向けられた。
「私は、皇帝陛下よりこう厳命された!帝国のためにその身を捧げよ、と。これは誉れである!市民諸君!私と共に立ち上がり、悪しき侵略者を撃退しようではないか!」
背後に肩幅が広く、胸板が鍛え上げられた帝国正規兵を控えさせ、勇武の騎士、憂国の徒であるかのような場当たり的な言葉を投げかけるジェンダーを市民達は空虚な、あるいは「はぁ」というどこか他人事のような気持ちで見つめていた。
その中から一人、小柄な老人が前に出る。杖をつき、腰を介護人に支えられた、今にも倒れてしまいそうな老人はか細くおどおどした声でジェンダーに問いを投げかけた。
「だ、男爵しゃま!しかし、ヤシュニナ軍は三万以上というてはありましぇんか。どうあって、この城で迎え撃つ、というのでしゅか!?」
「ふん、なんだ、ローダン。怖気付いているのか?安心せよ。この都市は四方を強固な壁に囲まれ、市街区は迷路のように入り組んでいる。やりようはいくらでもあるさ」
「で、でも!もひかしたら、ヤシュニナ軍が腹いせにわしらを、八つ裂きにするやも」
「なんだ、死ぬのが怖いのか?不敬だぞ。死したとて、帝国を守った英雄として、国家繁栄の礎となれるのだ。その卑賎の血が皇帝陛下のために活かされるのだぞ?少しは考えてしゃべるがよい」
そんな、とローダンと呼ばれた老人は悲しげな表情を浮かべる。言いたいことを言い終えたジェンダーはすぐにローダンを含めた集まった市民達への興味を失ったようで壇上から降りると、高笑いと共に正規兵を率いて旧王城へと帰って行ってしまった。
後に残った市民達は口々に憶測を語る。
「ヤシュニナって正規軍を倒したんだろ!?」「商人がヤシュニナは三万人以上だって」「捕虜を取らない蛮族だって聞いたぞ」「違う、とらえた兵士を引き廻しにするんだ」「怖いよ、怖いよ」「男爵様は何を考えているんだ!」「どうすればいいんだ」
旧ローダン王国とヤシュニナには一切の交流はない。時折、ヤシュニナ商人が男爵や市長の家を訪ね、物品を売っていく傍ら、売れ残った商品を市場に出店をする、くらいの浅い関係だ。それでも彼らが運んでくるヤシュニナや東方大陸の物珍しい品を見るだけで、その国力の高さを計り知ることができる。
帝国ではほとんど流通していない陶磁器の食器などが最たる例だ。通常、帝国の一般国民が使っている食器は良くて木製、悪ければ硬く焼かれたトランスショワールという食べることを目的としていないパンの上に食事を乗せる有様だ。彼らからすれば洗うのが楽な陶磁器の食器など珍しいことこのうえないのだろう。
そんな珍しい物品を流通させている国、それがヤシュニナ、というのがジョーアの市民達をはじめとしたアスカラ地方東部に住む人々の認識だ。しかしつい一ヶ月前の「アンダウルウェルの海戦」による帝国の敗北という訃報は認識を新たにさせた。すなわち、ヤシュニナを驚異的な技術を持った強力な軍事国家と認識させ始めた。
ざわめきだつ市民達を尻目に市長であるローダン、もといアウラムス・ローダンは介護人を連れて自宅の扉を叩いた。他に比べて比較的大きな屋敷、かつての貴族屋敷を改装して利用している自宅の扉を開けたのは彼の甥に当たる、アルジェンティス・ローダンだった。
「なんだ、帰っていたのか、アルジェンティス」
「叔父上、男爵はなんと?」
数週間振りの再会だというのに、冷たく矢継ぎ早な甥の問いにアウラムスは閉口した。それよりも茶だ、と介護人にお茶を淹れさせる。二人がリビングに着席したとき、改めてアルジェンティスは先ほどと同じ質問をアウラムスに投げかけた。
「男爵様は戦うと仰せだ。わしらにも戦えということじゃ」
アウラムスの言葉にアルジェンティスは両眼をかっ開き、憤慨して見せた。
「なんと傲慢な。我らが男爵に支配されている虜囚であるから、肉の盾になれ、と言うのか!?」
「アルジェンティス、なんてことを言うんだ!今の生活があるのは男爵様のご采配あったればこそ!なんたる不敬か!」
「不敬?叔父上こそ、なぜ唯々諾々とあんな成り上がり者の男爵風情の言うことを聞いているのですか!あの男が、叔父上に、いやこの国に何をしたか、忘れたのですか!」
怒りのあまり、アルジェンティスは拳を机に叩きつける。ドスン、という大きな音に驚いたアウラムスが両肩を跳ねさせ、紅茶の用意をしていた介護人までもが意識をアルジェンティスに向けた。
「ビクター!奥の部屋で待機されている方をお連れしろ!」
語気を荒げるアルジェンティスに怒鳴られ、はい、と素っ頓狂な声をあげて介護人は奥の部屋に続く扉をノックした。1分も立たずして、ぬらりと奥の方から一人の男が姿を現した。山羊の頭蓋を模した奇怪な被り物を被り、黒いロングコートを纏った異色の男。その奇抜な姿から彼が誰なのか、アウラムスにはすぐにわかった。
「カームフェルト殿!」
「ご無沙汰しております、市長殿」
その男、ノックストーン・カームフェルトはゆっくりと拝礼し、アルジェンティスに勧められた席に着いた。
「なぜ、貴殿が」
「この街にいるのか、ですか?私は商人です。もちろん、商売をしに来ましたとも」
「ぉお。それではすぐに男爵様に」
「いえ、それには及びません」
アウラムスはきょとんとした様子で目を丸くする。思えばどうしてこの場にノックストーンがいるのだろうか。いくらジョーアの街で広く認知されている商人であろうと、彼は所詮ヤシュニナの人間だ。いくらなんでも間諜と疑われかねない人間が帝国の一都市に堂々と滞在しているのはおかしい。
一瞬、恐ろしい考えが脳裏をよぎった。目の前の仮面を被った男が何者であるのか、どうして他国の商人がこのような敵地のど真ん中にいるのか。すべてを解決する恐ろしい考えが。しかしアウラムスがその考えを言語化するよりも早く、ノックストーンが動いた。コートの内ポケットから封がされた木箱を取り出し、アウラムスの前に差し出した。そしてアウラムスに開けるように彼は促した。
言われた通り、アウラムスは目の前の木箱の蓋をそっと開ける。中には湿気防止用の干された炭が両脇に置かれ、下部に敷かれていた赤布の上に綺麗に丁寧に密封された封筒が入っていた。その封筒を恐る恐るアウラムスは開き、内容に目を通す。読み進めていくにつれてみるみる内にアウラムスの表情は変わっていく。
「これは」
「お読みの通り、ヤシュニナを治める45人の氏令が一人、埋伏の軍令シオンからの書状です」
淡々とノックストーンはアウラムスの疑問に答える。
「手紙にはこうあると思います。『蜂起せよ、さすれば貴国を反帝の盟友と認め、その独立と繁栄に寄与する』と」
「わ、わしらが、わしらに男爵様を、弑せよ、と!?」
「弑するか否かはそちらに任せます。ですが、これだけははっきり言えます。蜂起が確認できなければ、ヤシュニナの兵どもは余すことなく、この都市の住民を戮殺する、と」
それは明確な脅迫行為に他ならなかった。「To do or not to do」というありふれた言葉の羅列。強者の特権と言わんばかりに服従を迫ってくるやり方は帝国という支配者となんら変わりない。その行動からもたらされる結果はどうあれ、人の心の機微を欠いた言動だった。
両眼を左右へ右往左往させるアウラムスにアルジェンティスの怒号が飛ぶ。アウラムスの消極的な態度に対する叱責が投げられ、汗ばんだ手できゅっとその手の杖を握りしめる。
「今こそ、今こそが好機なのです!数十年にわたる帝国の支配から脱却することができるのですぞ!」
「口を、慎め!男爵様を弑するなど、わしにはできん!まして、皇帝陛下に刃を向けるなど、言語道断だ!」
「叔父上はお忘れなのですか?あの男爵などという不相応な地位にいる成り上がり者が何をしたか。あの男の一族はかつて、ローダン王国の王都防衛を担う将軍でありながら、攻め寄せる帝国軍に恐れをなし、戦わずして開門した臆病者なのですぞ!」
かつて、まだジョーアの街がローダン王国の王都であったころ、止まるところを知らない帝国の侵攻に対して徹底抗戦の構えを見せたその矢先、この街は業火に包まれた。火を放ったのは他でもない、王国軍の一部。グラハルト・レ・ギマイオン将軍に指揮された反乱軍は城外の帝国軍を招き入れ、一気に王城を落としたのだ。
城内に押し入った賊は手当たり次第にねぶり、なぶり、いたぶった。何を、と問うは愚かの極み、彼らは城内の兵士も貴族もことごとく、切って捨てた。半狂乱のまま、王すらも切り捨てたその醜悪なものの顔を見たものは生涯にわたって忘れることはないだろう。
「——叔父上!」
席を立ち、部屋から、いや家から出て行こうとするアウラムスをアルジェンティスは制止しようと立ち上がる。ティーカップから顔を上げたロックストーンもその山羊頭蓋の裏側から、冷たい赤い瞳を覗かせる。
「少し、考えさせてくれ」
そう言ってアウラムスは家から出て行った。そして彼はその足でかつての王城へと向かっていった。




