断章——リリウスは笑わない
昔の話をしよう。
あれは、そう今から数えて170年以上も昔の話だ。まだ世界中に奇跡の体現者にして、不死身の英雄たるプレイヤー達がどこにでもいた頃、花と歌、活劇と冒険譚、情愛と悲哀に愛されていた頃の話だ。
当時の私はとあるレギオン、わかりやすく言えばプレイヤーの寄り合いのようなものに所属していた。そのレギオンのマスターは黒髪の少年でいつも笑顔を振り撒き、みんなをワクワクさせるような存在だった。小柄で一見、いや長く付き合っても頼りないことは変わらなかったけど、そんな彼が私達は好きだった。
私なんて言っていると妙にこそばゆい。場違い、風情に合わないと言うか、当時の情景には不釣り合いと言うか。やはりここは昔の通り、俺がふさわしい。ここからの一人称は俺で統一しよう。
さて、当時の俺は一介のプレイヤーに過ぎなかった。どこにでもいる、凡庸なプレイヤーの一人だ。レベルは117。当時はレベル100を超えていればやり込み勢なんて言われていたが、なるほど確かにやり込み勢ではあったのだろうが、やっぱり第三者視点で見れば俺は凡庸なプレイヤーだったのだと思う。これと言った「読み」の力があるわけでもなく、並外れたプレイヤースキルがあるわけでもない、十全に備え、同等以上の相手に勝ち、仲間内でキャッキャと騒ぐ、よくいるプレイヤーの一人にすぎなかった。
決して格上には勝てない、そんなどこまで言っても凡庸だった。それは今でも変わらないが、まぁそんな俺でも人に聞かせられるような冒険譚は持っているわけだ。だから今こうして立っていられる。
あの日は、いつものようにレギオンホームにいて、仲間と二階のテラス席で酒を飲んでいた。冒険前に景気付けの一杯、という奴だ。ワイワイガヤガヤとどうでもいい話をしていると、突然下の階から何かが天井に突き刺さった。怪訝そうに上を見上げると、逆犬神家と言うべきか、コートを肩に掛けたスーツ姿の男が天井から足だけ出した状態で突き刺さっていた。
それが誰かはすぐにわかった。レステルさんっていう刀使いだ。レギオンの主力を担うレベル130以上のプレイヤーで、大規模なレイドなんかでは後衛の魔法使いを護衛する役割をよく担っている。そんな俺らからも見ても憧れの人物が、無様にも天井に突き刺さっているという光景は笑っていいのか、唖然とすればいいのかわからず、ただ呆然とするしかなかった。
しばらくすると、まばらにだが笑い声が聞こえ始めた。苦笑まじりの、と付け加えさせてもらうが。
なんで天井に突き刺さっているかは階下を見ればすぐにわかった。銀髪赤眼の少女から手ひどいアッパーを喰らったからだ。出立ちはまさに少女趣味とも言えるが、どこか彼女のにマッチしたブラウスと黒いロングスカートにブーツと商家の活発的な箱娘のような印象を受ける。彼女が、セナさんがぷりぷりした様子で何やら魔法を唱え始めたところで、その周りにいたプレイヤー達、さっきまでゲラゲラ笑っていたプレイヤー達は慌てた様子で彼女を止めにかかった。
「おーい、セナー。やめとけ、やめとけ。今時暴力ヒロインなんてはやらねぇーぞぉ」
止めに入らず、清酒が並々と注がれたおちょこ(直径二メートル)を飲み干しながらセナさんを諌めていのはレギオンの中核メンバーの一人である「なのはなさん」さんだ。名前がややこしいのはもう本人のクソみたいな自己顕示欲の産物、悪ふざけゲーマーの性と割り切るしかない。あれでもレギオン1、いや世界屈指の剣の使い手なのだから、人は見かけや名前ではないことがよくわかる話だ。
そんな「なのはなさん」さんに諌められる、わけもなく、より一層セナさんは怒った様子でぐぎゃーと叫びながら取り押さえていたプレイヤー達を、レベルが俺よりもはるかに高い一線級の人達を吹き飛ばし、赤色の、ゆらめく炎とは違う別種の真紅の炎を生み出し、レステルさんに放とうとした。
させじと周りのプレイヤーの中から颯爽と大柄の人物が飛び出した。ハリネズミのように鉱石が背中から飛び出している、まごうことなきケンスレイさんだ。その背後から顔を覗かせたのはパートナーであるキキさん。ケンスレイさんを盾にしたキキさんの超射撃がセナさんの炎を打ち消していく。なんらかの技巧だったのだろう。一部の射手は魔法を打ち消す技巧を有していると聞く。まぁ、当たらないと効果がない、当たっても全部が全部消えるわけではないのだろうが。
「邪魔すんじゃねぇ!」
「狭い空間であんたが戦うなよ、ホームが崩れちゃうでしょうが!」
「そうだそうだぁ!大人しく席につけ、こんちくしょう!」
「あのクソ野郎をぶち殺したら大人しくしてやるってーのぉ!『エル・カーラ、トルネ、アンサズ』」
三節の魔法、魔法の等級で言えば中級くらいで、本来ならレベル130を超えている二人ならばさして深刻なダメージにはならないが、使い手がセナさんとなれば話は変わってくる。彼女の周りを再び炎が逆巻く。そしてそれはいい知れない恐怖のようなものを観衆である俺達にすら与えさせた。
セナさんが魔法を使うというのは畢竟、そういうことだ。明るく、快活そうな雰囲気とは裏腹にどこか陰湿で不穏な気配を感じさせる彼女の魔法に撃ち抜かれ、ケンスレイさんとキキさんは思いっきり盛大に倒れ伏した。死んではいないが、体力を四割は持っていかれたのだろう。かなり苦しそうだ。
二人がやられたとあって、周りのプレイヤーはパニックになった。やべぇぞ、やべぇぞ、と喧々轟々の中、リドルさん連れてこい、とか、「なのはなさん」さん止めてくれ、とか、マスター呼んでこい、とか、色々な悲痛の叫びが聞こえてくる。
「じゃ、俺らもそろそろ行くか」
もちろん喧嘩の仲裁ではなく、クエストをしに。そそくさと立ち上がる俺以外の五人のメンバーも、そうだな、とか、あー今日も平和だ、とかいけしゃあしゃあと言ってのけるくらいにはありふれた光景だ。レステルさんがセナさんにセクハラして殴り飛ばされたり、蹴り飛ばされたりするところから含めて。
セナさん以外はぶっちゃけ本気で戦っているわけでもないからこそ、いつもなぁなぁで済ませられる。二日に一回は起きることで、テラス席の片側ではあと何人がセナさんに吹っ飛ばされるか、なんて賭け事までやっている有様だ。苦笑するしかない。周りがやんややんやと騒ぎ立てる中、俺達六人は装備を整えて玄関へと向かった。
レギオンホームの玄関に到着すると、三階から降りてきた一人の少女とすれ違った。ラビットマンみたいな大きな耳を側頭部から生やした少女だ。でもラビットマンと違うのは彼女の耳はちゃんと顎骨の少し上、定位置についていたってことだ。だから頭から生えているのは耳ではないんだと思う。
少女の名前は、確かNoteと言ったかな。よくレギオンマスターら中核メンバーと一緒にいるところを眼にする。マスターの首をに抱きついていたり、腕立て伏せをしているリドルさんの背中に乗っていたり、ノタさんとテレビゲームをしている姿を度々目撃したことがある。でも彼女が前線に立つことはない。レイドのキャンプとかにいることはあっても、決して戦いの場に立つことはないのだ。
活発的で朗らか、笑顔の絶えない少女だったけど、俺にはちょっと不気味に見えた。レギオンに加入して少し経ってから、彼女のレベルとかステータスがどんなものかと思って鑑定スキルを使ったことがあったが、結果は「ERROR」。鑑定失敗でも鑑定妨害でもなく、「ERROR」とだけ返ってきた。その時に彼女が俺の方に振り返ってニコリと笑ったのだが、その笑顔があまりにも屈託がなくて、余計に怖くなった。
「にゃははははは、喧嘩だ、喧嘩だ!」
そう言って両腕を広げて走っていくあどけない少女が俺は怖かった。まるで人の感情の機微、情動を吸収しているようで、漠然とした不安を覚えた。他のパーティーメンバーは俺のような恐怖は覚えていないのか、完全に彼女をスルーしていた。マスターの女か何かだと思っているのかもしれない。
「そういやよ、トーチ。今回のクエストってファンゴルンの大樹海だよな?猫対策はどうするよ?」
「クエスト地点が樹海の外縁部だし、猫は出てこねぇだろ」
俺に向けられた質問に、別のメンバーが答えた。あだ名で俺を呼んだのはこのパーティの前衛攻撃職であるキース、茶々を入れたのは索敵・斥候担当の焞一郎だ。いずれもレベルも110以上。長くパーティを組んだ俺の戦友達だ。
そんな彼らとこれから向かうのはレギオンホームより東へ数千キロの位置にある大陸最大の樹海、ファンゴルンの大樹海だ。延々と森が続く巨大なフィールドで、中心部に行けば行くほど、生息しているモンスターのレベルは高くなる。キースの言う「猫」も樹海に生息しているとあるモンスターの隠語のようなものだ。
仮にレベル150のプレイヤーがいたとしても、探索には骨が折れる難易度の高難易度フィールド、それだけに採取可能なアイテムの価値も高く、ヴェルディ・メイスン協会を経由して、度々採取依頼がクエストという形でレギオンにも回ってくる。今回のクエストもまさにそれだ。
レギオンホームの玄関から出た俺達は、すぐ近くにあるレギオン専用の訓練場へと向かった。そして俺とキース、そしてこのパーティーの魔法攻撃職であるマダム・フィッツジェラルドの三人は誰もいない訓練場で笛を取り出した。それは枯れたウルガの枝から削り出された笛だ。
笛を吹いてしばらくすると、どこからともなく、空を薙ぐ音と共に三羽の鷲が降りてきた。ただの鷲ではない。翼を広げれば10メートルを超えるほどの巨大な鷲、王鷲だ。
徒歩で大樹海を目指すには時間がかかりすぎる。しかし王鷲を用いれば徒歩二週間の距離を二日ほどにまで短縮できる。1日1回6時間しか使役できないのが玉に瑕だが、レベル100を超えているプレイヤーが走ればクエストの採取時間も計算して往復一週間くらいでレギオンホームに帰ってこれるという計算だ。
「にしたって、毎回思うんだが、なーんで毎度毎度、この笛を吹くと必ず王鷲が来るんだろうねぇ」
「あーあれですよ。確かマンウェイの風が笛の音色を王鷲のいる巣まで届かせるんです。音色を聞いた王鷲はここに来てくれるっていう寸法です」
「いやーそーじゃなくてさ。実質無償奉仕だろ。なんか悪くってさぁ」
「笛と風の契約らしいですよ?俺らが感知しないってだけでなんか見返りがあるんじゃないですか?」
焞一郎のふとした疑問に魔法支援職のコーギーが答える。その名前の通り、コーギー犬の獣人である彼はよっこらせと言いながら俺の手を借りて王鷲に登った。
王鷲には鞍もあぶみもないため、落ちないようにするためにはその体毛をつかんでいるしかない。登る時に体毛を握ると、さすがに痛いのか、グルルと喉を鳴らした。
全員がちゃんと王鷲に乗ったことを確認し、一応はリーダーである俺が号令をかける。王鷲は飛翔する。はるか天空、限界高度をはるかに超えて。竜の領域を越え、彼らの空域へ。
これは俺の冒険譚。トーチロッド・イクエイターの冒険譚だ。
✳︎
※この話は本編にはほとんど関係ありません。時系列的には本編開始の170年前くらいです。まだ「大切断」が起こる前の、プレイヤーの全盛期、あるいは黄金期のエピソードとなっています。
本編時点だとすでに死亡してしまっているキャラクターなども登場します。




