討伐軍編成にむけて
その日の氏令会議は大いに紛糾した。理由はもちろん第12州で起きた反乱軍についてだ。臨時の氏令会議にも関わらずほとんどの氏令が会議に参加し、それぞれの派閥の代表が交戦論と対話論に割れて意見をぶつけ合った。
特に激しく対立を見せたのは埋伏の軍令シオンと賽の才氏リオールだ。シオンが交戦論を主張し、リオールは対話論を主張する。居並ぶ氏令達はまたこの二人か、といった表情で二人の討論を見守った。
「才氏リオールの言はいささか楽観論に過ぎるのでは?拳を振らずしてその身を犠牲にした将兵は浮かばれません」
「ですからそもそも拳に対して拳で対抗するという考えが野蛮だと言っているのです。彼らの主張を聞き入れ、我らの範疇で実現可能な形に収めれば事は万事解決するでしょう」
「それが楽観論だと言っているのです。すでにかの悪鬼共は我が国の民を傷つけ、慰み者にした挙句虐殺を村々で繰り返しているのです。許すなど考えられるわけもない。我が国の秩序が揺らいでいるのですから」
「秩序のために大いなる殲滅を許容すると?聞く限りでは反乱軍の規模は十数万ともされます。我が国の兵士の練度は伝え聞くところ精強でありましょうが、動かせる軍は全体の何割か。十数万と対峙せば数百数千の兵士が死ぬのです。勝利したらば報われるでしょう。しかし敗北したならば?無駄な犠牲だった、と詰られるだけではありませんか?」
両者はノーガードで互いの顔面を殴り合う。交戦を主張するシオンの論は詰まるところ感情論だ。目には目を、歯には歯をという古のハンムラビ法典に則った由緒正しきやり返しだ。対して対話論を主張するリオールの論は理性に則った末の結論だ。話せば分かり合えるという人類の道徳心を信じきった考えだ。
どちらが間違っているなどはない。どちらも正しい。だからこそ両者の弁論は平行線だ。このまま議論を続け、無駄に日にちを浪費する行為は利敵行為以外のなにものでもない。すでに朝の9時から始まった議論は翌日の午前3時にまで突入していた。肉体的疲労がある氏令は寝てしまったし、そうでない氏令も判断力が落ち始めた頃合いだ。
「水師の界令ディスコ、提案よろしいでしょうか」
収拾をつけようと立ち上がったのはシドだ。それまでずっと資料をペラペラめくり、何やらメモをしてばかりだったシドがようやく立ち上がったことで安堵の息を漏らす氏令さえいた。ディスコもシドの参戦に安堵を覚えたのか、即座に発言を認めた。
「現状を鑑みるに討伐軍の編成は急務であります。しかし才氏リオールのおっしゃる通り、敵軍は十数万とも言える多勢。対して現在の我々に導入できる兵力はそう多くはありません」
海洋国家であるヤシュニナはその兵力の大多数を海軍に向けている。必然、兵士達は海での戦いには慣れているが、陸上戦となると非常にもろい。
ヤシュニナにおける陸上兵力は主として二つあり、一つは首都防衛隊、もう一つは各州の常備軍だ。前者は総数二万人、後者は総数二万人、ただし前者は首都防衛の要であり、容易に動かすことはできず、後者は各州に兵力が分散していることに加え予備役を抜けば州それぞれは五百人から八百人ぐらいだ。
シドが説明するまでもなく、氏令会議に集まったすべての氏令はそのことを理解している。周知の事実だ。だからこそ彼らは耳を傾けた。この絶望的な兵力差を覆す良策をもたらすだろうシドの言葉に。
「反乱軍の数は多いとはいえ、実態は雑兵。相手が十万ならこちらも十万、という暴論を言うつもりはありません。そうですね、必要とされるのは三万人程度でしょうか。そこでまず考えられる手としては首都防衛隊の動員、全体の4分の3にあたる一万五千の動員です」
シドの言葉に数人が苦い顔を浮かべた。もっぱらそれは刃令らだった。なぜなら首都防衛隊とは軍ではなく、元来は警察機構であるからだ。軍というイメージを払拭しようとキャンペーンを行っていた彼らからすれば苦い顔を浮かべたくなる事案だった。
「また、東部、南部、北部の州軍をそれぞれ加えれば五千人くらいにはなるでしょう」
「いや待て待て。それでは各州の治安が悪化するのではないですか?」
「でしたらさっさと事態を収束させましょう。それに足りない分は予備役を一時的に徴用して補えばいいでしょう」
反論を試みた氏令をシドはぴしゃりと黙らせた。
「それでも二万人、ですので残りの一万の内五千は、軍令シオン」
シドの視線がシオンに向けられた。二人の視線が交錯し、火花が散った。
「軍令シオン麾下の兵から竜馬兵千、歩兵四千をお貸し願いたい」
議場が揺れた。シドの言葉に、その意味するところに彼らは揺れた。彼らの動揺はそのまま疑念に換わり、シオンに向けられた。
シオンの麾下。それは西部国境の兵士を意味する。彼の麾下にある兵士を動かすとは国境警備の兵士を動かす、ということだ。
ヤシュニナ西部には四小邦国と呼ばれる国家群があり、直接国境を接しているのはその中で最大の国、ムンゾ王国とカイルノート王国に限られる。どの国もグリムファレゴン島の同じ民族ということに変わりはないが、歴史的、民族的に見れば決して仲良しこよしの隣国というわけでもない。
過去、ヤシュニナにいずれかの国が攻め入ったことはないが、少なからず領土的論争と政治的衝突を繰り返してきた。必然的に軍を西部に集中することになる。その数は一万。森林部で国境があやふやな12州を除いた10、11州の国境付近に駐屯し、彼らの指揮権を持つのは軍令であり、また軍事院の総合委員会委員長を務めるシオンだった。
「——国境部の兵士を動かせば、ムンゾ王国が動くかもしれませんよ?」
唐突に指名されたにも関わらず、シオンは涼しげな顔で対応する。それに対してシドはわかっている、と返した。
「ですから可及的すみやかに状況を解決すると言っているのです。それこそムンゾが軍事侵攻などという馬鹿げたことをしないように。そうですね、才氏リオール」
シドの目線がリオールへ向けられる。無論、仮面越しで傍目にはわからなかったが、議場の意識が自分に向けられたことを感じ取ったリオールは静かに瞑目し、作ったような笑顔を浮かべて「もちろんです」と答えた。
リオールの生家はエルフの中でも生粋の名家だ。彼自身はまだ100歳未満と年若いが、幼少の頃より他国の王族との接点は多く持っている。過去、ヤシュニナ建国以前の暗黒期にグリムファレゴン島を生きる人間種、エレ・アルカンを救ったのは他ならぬリオール達、霜のエルフだからだ。
無論、ムンゾ王国の現国王とも彼は交流がある。ムンゾ王国との折衝にシドが彼を指名するのは筋が通っていた。それだけに議場から反論が飛ぶ余地はなかった。
「それで、話を戻しますが、残る五千ですが、こちらは傭兵団を用います。少々値は張りますが、そろそろ竜狩りの時期ですので相当数が集まるでしょう」
「傭兵が五千。致し方ない出費ではあるか。で?どのようにしてその集めた三万を使う?」
ディスコの問いにシドは「はい」と答えた。
「現状を鑑みるに雑兵十万に対し精兵三万と言えど、尋常ならざる策を用いなければ勝つことは難しいでしょう。なにより傭兵が混じる以上横の連携は取りづらい」
リオールは何か言いたげな目でシドを見るが、シドは話を続けた。
「先ほどの才氏リオールの発言の中に死者数の話がありました。同時に相対すべき敵軍の数も。確かに才氏リオールのおっしゃる通り十数万規模の反乱軍を前にしては少なくはない犠牲が出るでしょう。しかし相手すべき敵の数は果たして本当に十万を超えるのでしょうか。」
詰まるところリオールが問題としているのは兵士の犠牲だ。非生産組織である軍隊は人が死ぬほど出費がかさんでいく。遺族年金制度なんてものがある以上、常に兵士が死ねば財務を圧迫する。それを危惧してリオールは対話論を主張した。
ならば敵の数を減らしてやればいい。すでに国民の多くは反乱軍の蛮行を知っている。戦争は回避不可能だろう。だったら楽な戦争をするべきだ。
「前提として彼らは不法移民の集まりです。亜人種が人間種に比べ身体的に優れていることは周知のことでしょうが、それでも雌雄の差はあり、種によってはオスがメスより弱く、またその逆もあるということです。まして彼らの中には子供だっている」
「つまり、実数はもっと少ない、そう言いたのかな?」
声を上げたのは羽飾りの軍令シュトレゼマンだ。老齢の氏令で、口元に蓄えた白髭のおかげか、無駄に貫禄がある。彼の発言を受け、シドはこくりと頷いた。
「加えて、反乱軍は亜人種の混成軍ではあり、種族間でわだかまりをかかえる種もおります。その中で数部族に対し、今後の生活の保障、反乱鎮圧後の職の斡旋などとにかく買収工作を試みるべきでしょう。時が来たら一斉に蜂起させ、我が軍もその流れに追従するのです。——味方同士で殺し合ってくれるならこれほど素晴らしいことはありません」
「ずるいの手のように思えますが?」
「我が軍の犠牲を抑える苦肉の策と捉えていただきたい。才氏リオールも今の国民感情から戦争は不可避とわかっておられるでしょう?」
道徳を説くリオールをシドは一蹴する。反乱軍が蜂起してからすでに4日経過し、ヤシュニナ国民の間にも今回の反乱に関する話が出回った頃合いだ。反乱を長引かせれば国民は不満を抱き、政府への不審を覚えかねない。早急に反乱を鎮圧する必要があった。
「才氏シド、私からもよろしいか?」
「軍令シオン、もちろんです。どうぞ」
思わぬシオンからの質問にシドは仮面の奥で動揺を覚えた。てっきりシオンは乗り気で賛成してくると考えていた。
「情報では旗の軍令ジグメンテを屠ったという謎の女戦士がいると聞きます。推定でも超人級の実力者だとか。これはどのように扱えばよろしいでしょうか」
超人級とはレベル100以上の人間を意味する。一般にはアースと呼ばれ、神話の時代に武名を轟かせた英傑達に匹敵する実力者だと考えられている。
ヤシュニナの一部の氏令の配下にはレベル100を超えている人間は何人かいるし、氏令自身がレベル100を超えているケースもある。だからと言って安易に潰せる、と考えてはいけないのがこの世界が元々はゲームたる所以とシドは考えている。
単純なレベル差を技量とアイテム、豊富なスキルで崩すことができるのが一番厄介だ。聞く話では例の女戦士は最上位等級である神話級の剣とフードを身に纏っているらしく、レベルと戦闘スタイル次第ではシドすら負ける可能性がある。シオンが気にするのは当然だ。
「それについては王炎の軍令リドルを当てようと考えています。彼を含め軍令を三人ほど回せば反乱軍の主力は対処可能かと」
リドルの名を聞き、議場に歓喜の声が響いた。ヤシュニナ最強の名をほしいままにする最強のプレイヤーが現場に出る、となればそこにはもう勝利以外の何も存在しないという心持ちで彼らは期待の眼差しを名前を出されて閉口するリドルへ向けた。
「軍令リドル、受けてもらないでしょうか。無論受ける受けないは貴殿の自由ではありますが」
慇懃な口調で暗に受けろと言うシドに対し、リドルは若干辟易した様子で沈黙を守ったままうなずいた。それを了承と捉え、ディスコは手元のガベルを打ち鳴らす。
「ではこれより決を採る。討伐軍の派遣に賛成する者、起立せよ」
シドをはじめ30人近い氏令が立ち上がった。それにより氏令会議の方針は固まったと言ってもいい。過半数の賛成を確認し、ディスコはガベルを景気良く打ち鳴らした。
「では討伐軍の派遣を氏令会議の総意として認めることとする。総大将には炎王の軍令リドルを任命する。副将として二名、兵の軍令フーマン、煙熾しの軍令イルカイを任命するものとする」
名前を挙げられた二名の軍令は静かに頷いた。翌日の午後3時、リドルを総大将とした総勢3万のヤシュニナ軍は第12州へ向けて進軍を開始した。
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ざっくりとしたヤシュニナ内の軍隊の内訳
海軍)約六万人。
州軍)約二万人。(約八千人が予備役)。
首都防衛隊)約二万人。平時は首都近海をパトロールする海上警備隊と港湾区を守る湾岸警備隊に分かれる。
首都警察)刑事院の組織。首都防衛隊の下部組織であり、防衛隊の戦闘力に及ばない人間の就職場所。例えるなら交番警察。数が多い。




