蒼海の剣奴 VS 以遠の射手
デュートラストの胸を蹴り飛ばし、キキは上昇し、距離を取る。ずるりと肩を貫いたサーベルが抜け、肩に入っていた力がずるりと抜け落ちるように感じた。ただの脱力感ではない。ああ、これは筋ごと逝かれたな、とキキは鼻白んだ。
左手に握りっぱなしの強弓をまだ使える右手に移し、遠巻きにキキはどうするかを考える。もちろんどうするかというのはデュートラストのことだ。
迫り来るデュートラストははっきり言えば手負いだ。傷口から流れ出るはずの血は凝固し、顔は判別することができないほどに焼け爛れている。まるで幽霊船の船長のような姿だが、それでもキキに追随してくるだけの胆力と体力がある。サーベルを握るだけの握力も残している。怒りと執念に彩られた夕陽のごとき瞳を見るだけで自然と背筋に悪寒が走る。
改めてキキは自分の内側に意識を向けた。体力はまだ十分に残っている。気力も十分ある。肉体が受けているバッドステータスは如何ともしがたいが、右手が使えるので、まだ最悪ではない。相手が手負いならばちょうどいいハンデだ。
おもむろに弓矢を背中に背負い、キキは腰の剣を抜く。弓ほどではないが、剣もまたキキの得意分野だ。剣技だけでもレベル90台の純剣士に匹敵する、と自負している。そも、飛び道具使いは近づかれたら危ういのだから、近接戦に備えておくのは当然のことだ。そのために剣技系の技巧だけでなく、純粋な技術としての腕も磨いてきた。
「しぃ!」
空を蹴る。上段から振り下ろし。呼応するようにデュートラストがサーベルを振るった。両者の剣が交錯し、鍔迫り合いが行われる。上はキキが取っている。力任せにデュートラストを海面に叩きつけようとキキは「飛空」による加速を試みる。
「甘いわ!」
直後、瞬間的にデュートラストの体から力が抜けた。驚異的な速度の脱力、さながら布切れと押し相撲をするがごとく、キキの体は前のめりに倒れ込む。丸出しになったキキの背中にデュートラストは切り掛かる。負けじとキキは体をひねり応戦するが、上を取ったのはデュートラストだ。元々の剣士としての膂力の違いがぶつかり合った二人の力勝負の明暗を分けた。
ギリギリのところでデュートラストの剣撃をキキは受けるが、その力の差に抗うことはできず、彼の体は海面に叩きつけられた。瞬間、デュートラストは水面を漂うキキ目掛けて鋭い突きを放つ。
たまらずキキはスキルを用いて回避するが、彼が漂っていた水面に突き立てられた神速の突きはまるで海底火山が噴火したかのように隆起し、突如として破裂した。周りの艦船を巻き込んだ神代の再来かと疑うような一撃、それを受けては今頃キキは冥界への途上にいたことだろう。
明らかに手負いとは思えない力だ。そんな力を目の当たりにしてキキもただ手をこまねているわけではなかった。相手のレベルや体力、気力、魔力を測るためのスキルを発動させ、さらに極限までエルフ種としての超感覚を研ぎ澄ませる。
もしこれがレイド戦ならば味方の魔法使いに幾重もの強化魔法をかけてもらうのだが、あいにくと対人戦ではそれも望めない。純粋なスペック、地力の差、駆け引きがすべてを決する。かつてのプレイヤー、キキは初めてこの時、デュートラストをそうやって倒すべき敵だと認識した。
まず手始めにキキは向かってくるデュートラストへ突きを放つ。何の変哲もない、面白みのない、普通の突きだ。もちろんキキのレベルを考えれば音速に迫る一撃なのだが、歴戦の雄であるデュートラストにとっては避けることはたやすい、それくらいまっすぐな突きだ。
躱し、セオリー通りにデュートラストはカウンターを入れようとサーベルを振るう。狙うのはキキの死角、あるいは不角とも言える左側だ。左手が使えないキキにとって、左からの攻撃は致命的だ。
——それゆえに誘導できる。
次の瞬間、デュートラストの左脇腹をキキの剣が切り裂いた。
たまらず吐血する彼の顔面を容赦無くキキは蹴り飛ばす。だがそれで気絶するわけでも増して死ぬわけでもない。すぐに体勢を整えるデュートラストはちぃ、と短く舌打ちをした。
おおよそ人間業とは思えない超反射による手首の切り返し、慣性の法則を無視して手首の筋力だけでキキは剣の向きを変えた。ましてサーベルを受けるために剣を引き戻すのではなく、袈裟斬りの要領で左肩からばっさりとデュートラストを切り裂こうとした。間一髪で上半身を退け反らせなければ間違いなく、デュートラストを仕留めていただろう一撃だ。
逆カウンターを警戒してかデュートラストはキキを睨むばかりだ。すかさずキキは距離を詰め、左から切り上げる。腕をほとんど使わない、手首の運動だけの必要最小限の動きによる斬撃の数々がデュートラストへ迫る。
「しゃらくさい!」
対して純粋な剣士であるデュートラストはその斬撃を適切に処理するため、防御用のショートサーベルを抜剣した。防御と手数において二刀流は一刀流に勝る。迫る斬撃の速度がどれだけ多かろうと、絶対数では敵わない。
ボロボロの体でよくやる、と嘆息するキキを他所にそのショートサーベルはデュートラストは蹴ってよこす。よこす、というかもう蹴っていた。そのショートサーベルを受けるわけにもいかず、剣で弾くと見計らったようにデュートラストはマントの内側からさらに小さい、サーベルなどとは呼べない暗器と呼ぶべき無数のナイフをキキに向かって投げつけた。
「イルタティス!」
避けきれないと判断したキキは瞬時に魔法を使う。シドが使うような一般的な魔法ではなく、彼が装備している魔法アイテムに元々封じられている魔法、1日に3回だけ発動できるこの魔法は投擲物に限定してどこにでも転移させることができる。回数制限のせいで致命的な状況下でしか使えないが、回避する必要がない分、魔法の発動中に体勢を整えることができる。
思わぬ魔法の発動にデュートラストは目を丸くする。その隙を逃さず、キキは剣に込められた能力を発動する。彼の剣、轍剣ティアリストは三つの能力を有する伝説級武装だ。一つは武器そのものの軽量化、一つは闇の種族が接近すると光ること、そして三つ目は使用者がエルフ種であることによって発揮される。
「綻びろ、ティアリスト」
刀身が割れる。まるで初めから亀裂が走っていたかのようにあまりにも唐突に。砕けたいくつもの破片はその姿形を次第に変えていく。一つ一つが独自の形へと変形する。体積を無視して、轢き殺された死骸をこの世に顕現させる。
——ティアリスト、それは古エッダ語にて涙の剣城という意味である。剣ではない、剣城だ。かつての冥王バウグリアの時代、彼の邪悪なる王がその支配地に築いたという剣であり城であった居城に由来するその言葉が示す通り、ティアリストは剣ではなく、城だ。無数の亡者の魂を束縛する楔とも形容すべき城だ。
大きさは様々、姿形も様々、無数の骨格がキキを守るように現れる。その数、実に40体。剣士として戦った時のキキの切り札、それがティアリストの第3能力、ティアリストを用いて殺害した「闇の種族」以外のすべての魂の使役、及び召喚である。
「第二ラウンドだバカヤロォ。数だけだと思うなよ」
「ほざけ下郎。そちらが切り札を切るならば、こちらもそうするまでよ」
時を同じくしてデュートラストもまたサーベルを構える。彼の持つサーベルの表面が剥離し、青く、碧く輝き始めた。この海原よりも深い碧、それはまるで海面から深海にかけてのすべての海の顔を切り取ったかのようだった。
「それが噂の碧洋剣か」
「そうとも、碧洋剣イグジット。私と、この剣が帝国にある限り、海原で勝てると思うなよ」
まるで儀式のようにデュートラストはサーベルを顔の前で垂直に構える。直後、それまで荒れていた海原が一瞬、静まり返った。
だがそれはやはり一瞬だ。
静まり返ったかと思った海原が隆起する。巨大な水柱がどこからともなく現れ、それに巻き込まれて連合艦隊、帝国艦隊問わず、いくつもの戦艦が打ち上げられ、転覆する。
「もっと早くそれを使えばちったぁマシな結果だったろうがよぉ」
「味方が多くいる中でこんな武器を使えるか。だが、今ならば存分使えると言うものだ」
屍と大海。二つの力が交錯する。
はじめに動いたのはキキだった。召喚した屍兵を盾にして、デュートラストへの接近を試みる。大型の屍兵を先頭に、自分の傍を小型、中型の屍兵で固めて特攻する狙いだ。
それに対してデュートラストは真っ向から立ち向かう。いくつもの水柱が興り、それは竜巻のように回転して、次々にキキに向かって打ち出された。
大渦に抗うため、大型の屍兵はその身に結界を纏う。魔法使いが使う防御用魔法とも違う、原型となった生物特有の防御機構、否、防衛機能は放たれた大渦に耐え、そしてそれを弾いた。
「舐めるなよ」
しかしデュートラストは止まらない。彼がイグジットを一振りすると、再び水面が荒れる。そして数十メートルはあろう巨大な大津波がどこからともなく現れた。諸共に叩き潰そうという魂胆だ。
「てめぇこそなぁ!!」
対するキキはデュートラストの大津波をかき消すべく、自分の周囲の小型、中型の屍兵に魔法を行使させる。強力な炎の魔法、それを用いて大津波を蒸発させようという魂胆だ。そしてそれは建物ほどもあろうかというサイズにまで膨れ上がり、キキの号令と共に彼らの手を離れた。
放たれた巨大な火球が大津波と衝突し、巨大な水蒸気爆発が起こる。周りまで巻き込むほどの圧倒的な熱量が周囲にふりかかる。耐性がなければ肌は焼け、筋肉までもが爛れてしまうかのような熱量の暴力が敵味方を問わず、拡散される。
熱から逃げようと狭い船の上を右往左往する人間は数知れない。その中にあってキキは自ら、迫り来る蒸気の塊の中へと飛び込んだ。
韋駄天のごとく、キキはただ唯一の敵のみを狙って疾駆する。水面の上に立つ影など、それしかいないとばかりにただ一つの影を探す。
そしてその影もまたキキ目掛けて走っていた。まるで相思相愛、もし平和な時に出会えていたら互いの体を求め合う良き関係になり得たかもしれない。
「死ねぇえええええ!!!!!」
「おまえが死ねぇえええええ!!!」
霧の中から突き出されたイグジットをキキは一緒に連れてきた屍兵を盾にして防御する。ガラ空きになった相手の喉笛を狩らんとするため、わずかに残ったティアリストの刀身が空を滑る。蹴り飛ばそうとする相手の足を砕き、ティアリトスの刀身がデュートラストの喉に触れる。
そこから先は一瞬の出来事だ。
喉笛を掻き切られたデュートラストはうめきつつもイグジットをキキの胴体に突き立てようとする。しかし届かない。腕が上がらない。まるで戦いを忘れたかのように。
「動かねぇよ。テメェの腕の筋肉を切り飛ばしたんだからなぁ」
右肩と上腕の間をつなぐ筋繊維、それをキキは目にも止まらぬ速さで切り飛ばしていた。喉笛を切ったその延長線上で、デュートラストの右手にまで彼は手を伸ばしていた。
「この、卑怯者がぁ」
「不意打ちで俺の左手を潰してくれたあんたには言われたかねぇよ」
「それも、そうか」
苦しげにキキを睨むデュートラストは残った左足で水面を蹴り、彼から距離を取る。
「さぁ、いい加減死んでくれよ。そして敗者として歴史にも語り継がれないくらい惨敗しろ」
大将首を晒すこと、それ以上に敵兵の士気を落とす心理的ダメージはなかなかにない。ましてその大将が敵軍の精神的支柱だったのならばなおさらだ。
「敢えて返そうか。『やなこった』」
直感的にキキはしまったと思った。会話を挑んだことでも、まして距離を取らせたことにでもない。喉笛を切るのではなく、首をねじり切らなかったことを後悔した。彼が未だにイグジットを使える状態で放置したことを後悔した。
右手が使えなかろうと、まだイグジットはデュートラストの手の中にある。それはつまり、死の間際であってもまだイグジットの能力が使えると言うことだ。
「喰らうがいい!我が最後の技を」
止める暇もなかった。走り出しかけたキキを嘲笑いながらデュートラストはイグジットを水面に突き立てる。まるで本来の在処を知ったかのようにイグジットの刀身は海へと還っていく。
刹那、水面を破り巨大な渦が彼を喰らった。波に揉まれるなんて野暮な形容はなく、本当の本当に一瞬にしてデュートラストの体は海の内側へと消え去った。
何が喰らうがいい。何が最後の技だ。
後味の悪い幕引きにキキはたまらず、舌打ちをこぼした。
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キャラクター紹介(ライト版)
キキ)レベル141。種族、エルフ(ルーンリット)。元「七咎雑技団」メンバー。弓使いとしてはプレイヤーの中で上位50人に入る腕前。超速度の連射を可能とする四人の弓使い(プレイヤー限定)の一人。雑な性格ではあるが、エルフとしての特性から矢の命中精度は高い。
デュートラスト・ディオネー)レベル108。種族、ハイ・エレ・アルカン。帝国正規軍六大将軍にして、帝国海軍総司令官。老骨。数多の海賊や海棲モンスターを屠ってきた歴戦の雄。かつてグリムファレゴン島へ侵攻した際の帝国海軍司令官、エンバッハ・ディオネーの孫にあたる。剣技もさることながら、暗器を用いた投擲術に優れており、彼のマントは無限の遺産級〜伝説級の暗器をランダムに生成するマジックアイテムであり、等級は幻想級。もしキキが撃ち合いを続けていたら彼は負けていた。




