決着Ⅱ
「——畳みかけろぉ!!!!」
兵の軍令フーマンの二振りの懐剣の一つ、天弓の将軍キキの号令のもと、ヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊が帝国艦隊に突撃する。包囲に参加していた艦隊の内、連合艦隊から見て左舷に位置していた部隊を、つまるところ帝国艦隊の右翼を横殴りに蹂躙する。
鉄製の衝角はいくつもの帝国戦艦を粉砕し、その船体を真っ二つにしていく。船のマストが折れる。船種が反り返る。渦潮を起こしていくつもの巨船が沈んでいく。
船が竜骨ももろともに砕かれていく中、次々に甲板から落とされる帝国兵に対して容赦のない弓矢の追撃が行われる。必死に船に取りつこうとすれば水夫達がカトラスやスケイルアックス、そしてオールで手首を切ったり、頭を叩いたりする。
瞬く間に海上は血と炎によって真っ赤に染まった。一方的になぶり殺されていく帝国兵だったが、彼らとて何もしないわけではない。勢いよく刃を振りかぶり、逆襲を試みようとするものもいた。だがやはり戦場が悪かった。船に飛び移ろうとした矢先、彼らは無数の鏃の餌食になり、ことごとくが水底へと沈んでいった。
「キィヒヒヒ、近接戦を挑んだ時点でお前らの負けよ。ワシらと操船勝負をして勝てると思ってんかぁ?」
バヌヌイバに代わり前衛を担うキキはその名前通りの意地悪な笑い声をこぼす。勝ち目など用意しない。隙など与えはしない。動けない敵を徹底的に蹂躙する。やっていることはついさっきまで連合艦隊がやられていたことをやり返しているだけだが、容赦のない苛烈な攻撃は実際の結果以上の凄惨さをまざまざと双方の将兵の心に刻んでいた。
おおよそ、高貴な血族を自称するエルフらしからぬ慈悲のかけらもなければ、優美さのかけらもない徹底的な攻め。それは意趣返しと呼ぶにはあまりにも残酷で、冷徹だった。エルフの異端児、あるいはエルフの面汚しと揶揄されるべき男の手練手管は寸分の緩みなく、帝国軍の右翼を完膚なきまでに殲滅していった。
「さぁやっちまえ、やっちまえ!倍返し、3倍返し、いやぁ、1000倍返しだぁぼけぇ!!」
操船技術においてヤシュニナに並ぶ国は近隣国家ではエイギル協商連合くらいなものだ。そのエイギルも保有している船数ではヤシュニナに劣る。帝国は船数では勝るが、操船技術において大きく遅れをとる。ゆえにヤシュニナが船の戦いにおいて1000倍返しにする、と言えばそれは本当に1000倍返しにする未来を確定させることと同義だ。
事実としてヤシュニナの艦隊を前衛とし、連合艦隊は帝国軍を一分の容赦もなく皆殺しにする勢いで進んでいた。重バリスタ、投石機、火矢と巧みに遠距離武器を使いこなし、敵方が遠距離戦に対応しようとすれば力任せのラムアタックに変えてくるその手際は見事と言えた。
そしてその魔の手はデュートラストの指揮する残存艦隊へと向けられた。
未だに立て直しを図ろうとしているデュートラストの背後からキキが指揮する連合艦隊が襲いかかる。怒涛の攻め、休む暇を与えないキキの果断とも言える行動は容易にデュートラストの本陣へと進んでいく。
その時だ。一条の青い軌跡が先頭を行くキキの頬をかすめた。ぎょっとしてキキは船の残骸の中を睨む。エルフの眼をもってしても直前まで気が付かなかった投擲術、それは集団の中では決して輝かない絶対的な個の技量の存在を意味する。
「なんだよぉ、面白えじゃねぇか」
薄ら笑みを浮かべ、キキは足元に手を伸ばす。彼が持ち上げたのは身の丈の倍をほどはあろうかという鉄弓だ。おおよそエルフらしからぬ、無骨で文明的ないっそ無機質も言えるその強弓の弦を引き絞る。
「技巧:穿閃」
船の残骸へ向かってキキが放った鏃は白い燐光を纏う。それは触れたものすべてを貫通し、ことごとくを薙ぎ払った。吹き飛ばされていく残骸の中、黒い影が一つだけ瓦礫をわたり、こちらに近づいてくる瞬間をキキは見逃さない。続く二射目をつがえ、狙いをつけずにキキは乱射する。いずれも技巧を用いた一撃ではないが、並の兵士が受ければ上半身が消し飛ぶほどの一撃であり、何より速い。そんな矢の連射を軽々と躱し、例の影はキキに近づいていた。
「やるねぇ、最高だ」
キキもまた甲板から飛び出し、空を蹴る。「飛空」と呼ばれる空中歩行技術を用いて空中戦に身を乗り出した。
キキの矢をつがえる速度は常軌を逸している。弓矢による遠距離戦を得意とするエルフだと考えてもその速度は尋常ではなかった。さながら旧世界のオートマチックライフルのごとき装填速度、それが戦車砲のごとき一撃をもたらすのだから、おおよそ人間業ではない。
対する影の主も避けるばかりではない。体を翻す傍、無数の鋭い凶器が彼のマントの影から放たれ、それは子供がクレヨンで壁にいたずら書きをしたかのような不規則な軌跡を描いてキキに迫る。キキは放たれた凶器すべてを矢で撃ち落とす。キキの放つ矢の内何本かは影の主ではなく、この迫り来る凶器を狙ったものだった。
遠距離戦において両者は互角、装填速度が速いためわずかながらにキキの方が有利かもしれない。それを察してか、影の主は強く空を蹴り、キキに接近を試みる。相手の接近に反応し、空を蹴り、キキが直上を取る。
「技巧:天哭」
放たれた一条の弓矢は放たれたと同時に無数の紅隕へと転じる。海原めがけて放たれたその光の雨を見て黒い影はその身のマントを翻し、防御の構えをとった。
バカめ、とキキはほくそ笑む。天哭はただの光の雨ではない。一つ一つが1000度以上の高熱を帯びた熱の塊なのだ。海面に触れれば水蒸気爆発を起こすほど殺傷力の高い大技、マント一枚で防げる代物ではない。
無数の光陰が影の主に降り注ぐ。影の主の苦痛にまみれた断末魔が聞こえる。喉が張り裂けているような悲痛な呻き、マントにも穴が空き、全身が焼かれていく、否、溶けていく男を覆い隠すように蒸気が彼を襲う。その数秒後、飛沫の音が小さく鳴った。
相手が倒れたことをその音を聞き確信したキキは矢筒の中を見る。普段は五十発ほど入っている矢筒の中には四本しか鏃が入っていない。あのまま撃ち合いを続けていればこちらが負けていた、と自戒する彼は不意に痛みを覚え、自らの右手を一瞥する。
キキの技量は並大抵のものではない。同じエルフであっても彼ほどの装填速度で、同等以上の威力で弓矢を放てる者はほとんどいないだろう。技量もその理由の一つだが、もう一つ理由をつくるとすればそれは弓を絞る手にかかる負担が大きいことだろう。
右手が赤く腫れ、あまつさえ皮が裂けて血が滲んでいることに加え、人差し指と中指の神経が裂けていた。キキの肉体が彼の技量には付いていけていない証左だ。平時は専用のグローブを付けてやるような妙技を素手でやれば、短時間の戦いとはいえ、戦闘に支障をきたす。彼が最後の一射を精密狙撃ではなく、範囲攻撃に変えたのもこれが原因だ。指を動かすことにすら激痛が伴う有様の右手では、いかなエルフと言えど正確な狙撃は難しい。
適当な布を右手に巻き、キキは空から甲板へ降りようとする。——瞬間、首筋に悪寒が走った。
「マジかよ」
反射的にキキは高度を上げた。それを読んでいたのか、彼の左肩を一振りのサーベルが刺し貫いた。
「捕らえたぞ」
「デュートラスト・ディオネー、か。思ったよか老けてんなぁ」
互いの最高戦力はこうして初めて顔を合わせた。最強の弓使いはその両腕を封じられた状態で海域の覇者と相対した。
「戦いの勝利はくれてやる。だから譲れ、この俺にテメェの命を譲れよ」
「やなこった」




