アンダウルウェルの海戦Ⅵ
迫るはヤシュニナの海兵達、彼らは皆一様に軽装で、鎧の類を身につけていない。槍は一切持たず、カトラスと呼ばれる湾曲剣を振い、未だに体勢を整えていない帝国軍に襲いかかった。
対する帝国軍は一般兵はおろか指揮官級ですら状況を把握できてはいなかった。彼らの槍を持つ手は震え、足は恐怖ですくみ、戦意は失われていた。逃げようとする人間すらいる中、一方的にヤシュニナ海兵は彼らの背中を討つ。それは一方的な蹂躙と呼んで差し支えなかった。
陸上であれば帝国兵とヤシュニナ兵の力はやや前者が有利だったかもしれない。だがここは海上だ。揺れる船体、狭い空間では方陣は意味をなさず、長槍は邪魔以外の何者でもない。甲板の優位は完全にヤシュニナの手の中にあったのだ。
ヤシュニナ兵が使う武器はカトラスだけではない。一部の兵士は銀色の斧で武装し、逃げる帝国兵を背中から真っ二つにしてのけた。武器としてはもちろん、船の破壊にも用いられるこの斧はスケイルアックスと呼ばれている。竜の鱗を鋳溶かしたこの斧は一般的な武器として、強度と軽さで抜きん出ていた。
盾で防御することも彼らは敵わない。そも、盾を振りませるほどの空間もない。押し合いになり、背を討たれ、あるいは立ち向かおうとしても技量差で叩きのめされる。白兵戦に持ち込まれた時点で帝国兵に勝ち目などなかった。それほどに海上戦を熟知しているヤシュニナ兵との戦闘力の差は歴然だった。
戦闘力もさることながら、種としての差も大きい。帝国軍は言うまでもなく人間種、それもエレ・アルカンのみで構成さええているが、ヤシュニナ軍は人間種はもちろん亜人種、異形種も含めた混成軍だ。身体能力において人間を上回る種もザラにいて、体格差も大きく異なっている場合がある。それがただ力任せに攻めてくるのではなく、効率的に弱点を見抜いてジリジリと迫ってくるのだ。恐怖を感じないわけがない。
「第一陣は二十歩前進しろ、第二陣は十歩前進」
その中にあって唯一、ヤシュニナ兵を圧倒している集団がいた。繰り出されるカトラスとスケイルアックスの連撃をものともせず、彼らはゆっくりとしかし確実に前進していた。
色は違えど、全員が全員、甲冑を纏った彼らは船上という足場が不安定な場所でありながら、軽やかに空を飛び、その重いながらも素早い一撃でヤシュニナ兵を蹂躙していた。
彼ら、武装貴族は緑騎士ボイマン・ド・ヴォルシュヴィッツ子爵の指揮のもと、懸命果敢に奮戦した。そしてその指揮を受けて士気を最高潮にまで上げていたのは集団の戦闘をゆく二人の騎士、白騎士と黒騎士による勇戦だった。
ユーゴとアスラン、戦斧と長槍を振るう二人は果敢にヤシュニナ兵を蹴散らしていった。圧倒的なまでの個、突出した戦力の登場に触発されたのか、それまで背を見せるばかりだった帝国軍兵士らも触発され反転し、ヤシュニナ軍に逆襲を開始した。
真正面からぶつかる両軍、戦意を取り戻した帝国軍の逆襲を受け、わずかにヤシュニナ軍がゆらいだ。ボイマンがその隙を逃すわけもなく、ここぞとばかりに温存していた武装貴族の部隊を動かした。
さながら決壊した塁のごとく、ユーゴとアスランを先頭に武装貴族の軍団はヤシュニナ軍の突破に成功した。彼らはそのままヤシュニナ軍の本陣を目指そうと走り出す。
まさかの逆襲を想定していなかったのか、敵軍の旗艦と思しき大型船は微動だにしない。いや、できないのだ。周りをがっちりと味方の船で固められているせいで逃げようにも逃げられないのだ。
「勝ったぞ、この戦!」
兜の内側でユーゴは笑みを浮かべる。およそ貴族らしからぬ獰猛な野獣のような笑み、自然と戦斧を握る手に力が入り、武装貴族達の走る足は早くなった。
自分達の研鑽は無駄ではなかった。何十年、何百年と戦う機会を与えられなかった自分達が今まさに、帝国正規軍を差し置いて帝国の槍の穂先として戦っている、その事実がユーゴはもちろん追随する武装貴族達にかつてない高揚を与えた。
居並ぶヤシュニナ兵のなんと脆いことか。戦斧を振るえば容易く砕け散る、愚かな蛮族共は逆襲にとまどい、そこらの滲みと化す。こんな奴らにいいようにされていたのか、と義憤がつのるが、しかして爽快な気分が勝り、ユーゴはかつてないほどの快調ぶりを見せていた。
「いけるぞ、このまま奴らの中枢を」
「いや、待て、ユーゴ!」
「そうだ、待てよ」
刹那、巨大な鉈がユーゴの視界をかすめた。反射的に後退するユーゴ、その彼の視界いっぱいに赤い液体がほとばしった。まるでここまでの進撃はハンデだったと言わんばかりの唐突さで、汚濁が彼の前に溢れかえった。
それは武装貴族達の血だった。止まったユーゴは裏腹に止まらなかった武装貴族達、彼らの胴体が寸断された際に腹の中に溜まっていた血が吐き出されたのだ。
驚くユーゴとは真逆にアスランは冷静な様子で鉈の主を睨んだ。南方に自生しているヤシの木を彷彿とさせる特徴的な髪型の大男、身長はアスランよりも高く2メートルに迫るだろう。大鉈を肩で担ぎ、笑みを浮かべるその男の足元には血溜まりができていた。
「すげぇな。ほんとに全身を鉄で覆ってんだなぁ」
「なんだ、貴様は」
「あぁ?俺か?俺は煙興しの軍令イルカイって名前だが?ほら、喜べよ。大将首だぜ?」
イルカイと名乗ったその男は言うが早いかこちらへ向かって切り掛かってきた。やや遅れて彼の背後に控えていた数百のヤシュニナ兵が彼に追随して帝国軍へ、否武装貴族に向かってきた。
それに武装貴族も応じる。イルカイも含めて装備は軽装そのもの。とても肉弾戦になれば武装貴族に敵うようには見えない。だが言語化できない何かがイルカイの率いている部隊にはあるようにユーゴには感じられた。
「おりゃぁああ!!!」
振り下ろされる上段から大鉈。間近でその威力を見ているユーゴは受けようとはせず、イルカイの攻撃を躱した。直後にユーゴは自分の判断が正しかったと確信した。甲板めがけて振り下ろされたイルカイの一撃は容易くその延長線上にあるものを根こそぎ寸断していった。
根こそぎだ。兵士も船も何もかもをだ。まるで人外。蛮族などと呼んで蔑むレベルではなく、文字通りの悪鬼羅刹の類が目の前に現れたことに高揚と恐怖がユーゴの胸を掴んで離さなかった。
「ちぃ!」
「ぉおお!!」
ユーゴとアスラン、白騎士と黒騎士の攻撃がイルカイを襲う。それをイルカイはまるで物理法則に逆らうかのような動きで弾き返した。大鉈で防いだとほぼ同時にクリケットバットの要領で二人の攻撃を乗せたまま弾いたイルカイは即座に攻撃へと転じ、最小限の動きでユーゴめがけて突きを放つ。
ユーゴも黙って攻撃を受けるわけではない。兜を狙ったその攻撃をギリギリで躱し、カウンターを叩き込む腹づもりだった。しかしユーゴの動きを読んだのか、攻撃が当たる直前でイルカイは突きから斬撃に攻撃方法を変え、ユーゴの顔面目掛けて大鉈を振り下ろした。間一髪でその攻撃を避けたユーゴだったが、全部を避けられたわけではなく、兜がひしゃげるばかりか左耳が抉り取られた。
「ユーゴ無事か!」
「問題ない」
「おままごとやってるつもりかよぉ!!」
「ごぉ!」
ユーゴを気遣うアスランの胸部にイルカイの斬撃が飛ぶ。船を割るほどの一撃だ。それを受けて五体満足でいられるアスランもまた十二分に化け物の類なのだろう。
「おいおい、ダンスの相手は俺だぜ、お二人さん。俺を満足させろよぉ!」
鈍重な大鉈をさながら小枝のようにイルカイは振るう。防御しようとすれば間違いなく真っ二つにさせられる。そんな恐怖に抗いながらもユーゴは必死にイルカイに戦斧を振り下ろした。
「技巧:蒼炎幕!」
蒼いオーラが戦斧を包む。それは斧系武器専用の技巧だ。直撃と同時に爆炎にも似た幾十もの重撃が対象を襲う上位技巧。それをイルカイは真正面から受け、彼の体ふわりと浮いた。
「ぉおおおおおお!!!」
さらにイルカイに負傷から立ち直ったアスランが追撃を加える。彼の槍「突牙の片鱗」は太古のムマクールより削り出した象牙から造られた逸品であり、防御能力を無視して相手にノックバック効果を付与するという能力がある。馬上試合において最強であるアスランの強みはまさにこの槍の能力ゆえだ。
どういうわけかイルカイの大鉈には効果がなかったが、生身の体であればどれほど防御力が高かろうと防御することはできない。それはその通りで、槍の穂先が触れたその瞬間、イルカイの体は勢いよく吹き飛んだ。
「よし!」
「痛ぇなぁ!!」
「なぁ!?」
大体2メートルくらいだろうか。ひらりと着地し、イルカイは再び大鉈を振り下ろしてきた。それをユーゴもアスランも躱すが、イルカイの次手は二人が体勢を整えるよりも数段速い。放たれる超高速の突きは斬撃ほどの威力はないが、受けるだけで体の節々にまで痛みが走るほど強烈だ。
単純な膂力がユーゴとアスランという武装貴族の最強戦力を突き飛ばす。その光景も十分過ぎるほどに武装貴族達、そして帝国軍兵士らの士気を叩き落としたが、それに加えてイルカイと共に戦場に投入されたヤシュニナ軍の将軍である大角の将軍、トーカスト・アルコストによる用兵によってそれまでは乱雑だったヤシュニナ兵が整理され、秩序だった戦闘を開始したおかげで武装貴族がいる地点以外の帝国兵士らは次々に討たれ始めた。
ただの肉弾戦、白兵戦だけの結果ではない。事前に散開していたのであろう弩級によって絶え間なく投石が行われたせいで無事であったはずの戦艦までもが標的にされ、次々に沈んでいく。元より遠距離攻撃に秀でた弩級の攻撃に晒され続けてはどれほどの巨船であっても耐えられない。
「さぁ、どうする?」
船の中から埋伏の軍令シオンが姿を現し、冷たい目を未だに奮戦している武装貴族達へと向けた。
キャラクター紹介(ライト版)
ユーゴ・ド・メグリニ)レベル68。種族、ハイ・エレ・アルカン。メグリニ家当主。帝国伯爵。白鎧を纏った青年。若輩ながら武装貴族達をまとめる彼らのリーダー的存在。武器は戦斧と盾。ただし今回は盾を持ってきていない。盾を持ってきていたら、受けた瞬間にイルカイに叩き割られ、そのまま死んでいた。
アスラン・ド・ギレム)レベル87。種族、ハイ・エレ・アルカン。ギレム家当主。帝国伯爵。黒鎧を纏った美丈夫。ユーゴよりも五歳年上。彼にとっては切磋琢磨するライバルであり、親友。自他共に認める帝国最強の武装貴族。武器は大槍。この槍には任意でノックバック効果を付与する能力がある。
ボイマン・ド・ヴォルシュヴィッツ)レベル31。種族、エレ・アルカン。ヴォルシュヴィッツ家当主。帝国子爵。緑の鎧を纏った老齢の男性。他の武装貴族よりも剣の腕は劣っているが、指揮能力では他の追随を許さない。帝国のチェスのトーナメントでは優勝した経験もある。彼が纏っている緑の鎧はその際に皇帝から下賜されたもので、等級は伝説級。




