アンダウルウェルの海戦Ⅱ
右舷に移ったフーマンは目の前でいくつもの船が砕け、焼け、灰燼に帰す姿を見て瞠目する。ここまでの巨船を建造する技術もさることながら、それを意のままに操る操船技術は目を見張るものだ。この点において帝国艦隊はヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊を凌駕していた。
すべては自分の失態だ。奥歯を噛み締め、フーマンは自戒する。ただの突進だと思い安心していたその慢心を突き、帝国艦隊は大規模な包囲作戦に出た。数の優位があるからこその戦術、そして容赦無く連合艦隊の船を押し潰せる船体の差があればこそ、帝国艦隊は一か八かの賭けに打って出た。もしも連合艦隊が先んじて移動してしまえば帝国艦隊の突進は肩透かしを喰らい、逆に自分達が半包囲の只中に置かれるだろうに。
密集していた船を散開させ、距離を保ったまま通常のバリスタで突進してくる帝国艦隊を撃ち減らしながらフーマンはなおも思考を巡らせる。恐らく、多分、そういった確率論に委ねるような話題が次から次へと溢れ出てくる。
帝国艦隊の見事な包囲、それは決して生半可な攻撃で破ることはできない。すでに前も後ろも敵船しか見えず、また果てが見えないまま、一点突破で逃げるにはあまりにリスクが高い。結論から言ってしまえば、帝国艦隊の包囲を破る力は中央の本陣にはなかった。もはや陣形としての形を保たず、徐々に狭められる包囲の中、バリスタの弾を何度撃とうと焼け石に水だ。帝国艦隊は密集し、一隻や二隻の船が炎上しようとお構いなしに力押しで迫ってくる。
もし手を打つ相手がいるとすればそれは左右に散っていった艦隊だ。無傷のままの両舷の艦隊が合流し、包囲の外から攻めてくれれば勝機はある。つまりは他人任せだ。
「第一陣の艦船にもっとバリスタを撃たせて!あれじゃぁ敵の突進は止まらんよ!」
「ですが軍令フーマン。あれで精一杯です!」
「敵船の瓦礫をうまく使って!いかな巨船と言えどどかすのには時間がかかるから!」
「は、はい!」
そばに立っていた将兵は手旗信号でフーマンの指揮を伝達する。あれだけの質量を持った物体に対して、横腹を見せたからと言って一隻、二隻の突貫は意味がない。フーマンの試算では弩級なら六隻、重級ならばギリギリ二隻で突っ込めば、風穴を開けられると見積もっている。バリスタを用いて敵船を遠ざけようという彼の考えはある意味において定石通りと言えた。
もしこれがヤシュニナやガラムタと同じ海洋国家であればまた対応も違っていたかもしれない。巧みで精緻な操舵技術を持つ相手に対して、遠方からただバリスタの弾を浴びせかけるという戦術は芸がなく、回避も用意だったことだろう。帝国艦隊は対して鈍重で巨大だ。巨船があれだけ密集しては回避も何もない。突進くらいしかやることがない。できないことはできないと割り切って、自分達の土俵に無理矢理引き摺り込むやり方でなければ、勝ち目はないと踏んだのだ。
まったくもって忌々しい、とフーマンは珍しく舌打ちをする。ヤシュニナやガラムタの海軍が機動力を売りにしていることを踏まえ、その長所を奪いにくる。しかも先手を打たれたにもかかわらず、即座に立て直し、みごとに包囲してのけた。よほどの用兵家かさもなくば博打好きの指揮官か。いずれにせよ百戦錬磨であることは疑いようがない。
機動戦術に持ち込めば勝機があると傲った結果がこれだ。フーマンが最も嫌う力勝負に持ち込まれ、内心では冷や汗が止まらない。密集していた艦船をばらけさせ、通常のバリスタ弾を打つ戦術に切り替えたおかげで炎上し突撃してくる帝国艦はいなくなったが、代わりに巨船が沈没したことで起こる海流の乱れがひどい。そのうち渦潮でも起きるんじゃないかという荒れ具合だ。
「重級を主軸に突撃隊形を作ってくれ」
「ですがここで陣形を変えては無用の混乱を招きます!」
「第二陣に重級を集中、第一陣が決壊すると同時に突撃させる!」
もはやヤケクソとも呼ぶべき特攻案。そんな備えをしなければならないほどに切迫している状況だ。背後の方ではフーマンの副官であるキキもまた帝国艦隊相手に四苦八苦しているのか、絶え間ない怒声と喧騒が響き渡る。
フーマンは用兵家ではある。しかし専門はあくまで地上戦であって海戦は専門外だ。本来ならばヤシュニナ海軍全統轄である蜘蛛の軍令ヴィーカが先頭に立って海軍を指揮するべきなのだろうが、ヴィーカの不在とシオン派の横槍によってフーマンが担ぎ出された。
まったくもってままならない、とフーマンは自嘲する。獣人の寿命はエレ・アルカンの1.2倍と言われている。狸の獣人であるフーマンの寿命はさらに長い。その長い寿命をようやく全うできるというところでこの海戦だ。一昼一夜で決着が着くことはないかと思っていが、よもや一昼の内に決着しそうになるとは思わなかった。
「両舷の分艦隊はどうしてる?」
「それが、周囲にはどこにも」
「はぁ!?」
この戦況を変える可能性があるとすればそれは両舷に散った分艦隊だ。左右合わせれば100隻近い艦隊になる。装備の充実具合も考えればこの戦況を逆転させる可能性を秘めている。それが見えないとなれば話は変わってくる。
「ちょっとちょっと!それは周囲6キロ四方に何もいないってこと?」
「そうです!」
見張り台からの返答にフーマンは思わず笑みをこぼした。呆れたような笑みだ。埋伏の軍令シオンという人間の非常さをフーマンは知っていた。まるで相手を殺すことしか考えていないその思考回路は恐ろしくもあり、また頼もしくもあった。その男がいない。いや、はっきり言ってしまえば逃げたのだ。偽装退却などでもなければこの状況ではそう考えるほかない。
フーマンの脳裏を目まぐるしい速度で思考が回転する。彼がこれまで取ってきた戦術はあくまでも時間稼ぎ。シオンが率いている艦隊が再突撃してくるまで、戦力と士気を維持するための戦術だった。だが当のシオンがいないと言うのはフーマンにとっては痛恨の極みとも形容すべき誤算だ。一から戦術を立て直さなくてはいけないという事実に、さすがのフーマンも目眩を覚えた。
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