バリスタⅡ
放たれた鋼の鏃は空へ向かって弧を描く。鋼の弩から放たれた鋼鉄の一矢は向かい風をものともせず、無慈悲なまでの正確さで目標の胴体を貫いた。
ヤシュニナで用いられているバリスタ用の大鏃は二種類ある。一つは通常のバリスタに使うための鏃だ。銛を彷彿とさせる鍵状の鏃を木製の棒に付け、鷹の羽を使った矢羽を付けた非常にシンプルなタイプ。特別な効果はないが、大抵の大型海洋生物にはこの鏃を使う。民間の武装商船が使用できるのもこの鏃だ。
ではもう一つの鏃、つまるところ今まさにヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊で用いている鏃はどうかと言うと、こちらは鋭い二等辺三角形状の先端部の根本に円筒状の入れ物が付き、鋼の篦が円筒状の入れ物の付け根に付いている鉄の大鏃だ。重量は一般的なもの2倍近くある。軽量化はされているが、やはり通常の矢と比べてかなり重量がある。
そんなものを通常の矢と同じ距離まで飛ばそう、もっと遠くまで飛ばそうとすれば専用の投射装置が必要になる。そのために開発されたのが重バリスタだ。通常のバリスタは木製だが、こちらは鉄製だ。ヤシュニナ由来の鉄の加工技術を用いることで驚異的なしなやかさを得たこの重バリスタはそれ一つがもはや大砲に匹敵するような威力と飛距離を専用の鉄の矢に与える。
目を見張る速度で放たれた鉄の矢は帝国の大型船の腹を抵抗力など存在しないかのように容易く抉る。それが百本以上。先鋒を務める帝国艦隊に次々に降り注いだ。甲板に突き刺さったものはそのまま甲板を貫通し、船底にまで届いた。
慄くのは帝国の海兵達、そして放った当事者であるガラムタの兵士達だ。これほどの貫徹力を持つバリスタも矢も彼らは見たことがない。そも、人に向けるものでは断じてない。これは明らかに人よりも硬い甲皮を持つ生物を殺すための兵器だ。
しかし、対象に突き刺さる貫徹力、それはこの鉄の矢が持つ特性の一つに過ぎない。真に強力な特性は矢が突き刺さった後に起こることだ。
衝撃は前進する軍艦の船体を揺るがせこそしたが、止めるには至っていない。それは当然だ。巨大な質量体である軍艦と比べて鉄の矢の質量はあまりに小さい。船の何倍もの速度で飛翔し、一点に対して力を集中したから貫徹できたに過ぎない。
問題は貫徹した後、船が沈まないことに安堵しただろう帝国海兵達を紅蓮の炎が襲った。
紅蓮の炎などと表現したが、実際はそんな美しいものではない。四散する船のパーツ、それは黒煙を巻き起こす業火の中から現れた。瞬く間に帝国艦隊の先鋒を務めていた軍艦は炎に包まれた。爆ぜる炎に包まれたのだ。
船体の半分を覆う巨大な芍薬のごとき炎。それは人や木材、鋼、食料、積載されていたあらゆるものを一切の差別なく、区別なく、無慈悲に無情に活きるための燃料にして禍々しい黒色へと沈んでいった。一瞬にして帝国軍の先鋒とも呼べる艦隊を飲み下し、放屁でもするかのようにぐつぐつと海が燃えたぎる炎によって沸騰する音が周囲に響いた。
「なんだ、あれは!?」
震える声で宝石の王バヌヌイバは片隅に立つたぬきの獣人に問いかける。それほどに信じられない光景だ。海が煮えるほどの高温を発する炎などバヌヌイバは見たことがない。ましてそれが人を燃やしているなど、信じられない。
初手、ヤシュニナから供与された重バリスタとそれ専用の鉄の矢による貫通力を見た時はただただ目を見張った。凄まじい威力だ、と思った。だが今、目の前で起こっている光景は到底賞賛できるものではない。火刑という手段は古から存在するし、埋伏の軍令シオンから提案された策などはまさにそれだ。それ自体をバヌヌイバも避難するつもりはない。
問題はこんな兵器を量産させていることだ。
かつて、古の時代には火矢の一矢で城壁を破壊する鉄の大玉があったらしい、とバヌヌイバは聞いているが、目の前でヤシュニナの鉄の矢がもたらした効果はまさにそれの再現だった。鉄の大玉は一つしか造られなかったが、ヤシュニナは鉄の矢を量産している。生半可な竜種であれば一撃で葬ることもできるだろう威力の兵器を量産できる。為政者としてはそのことに恐怖しか覚えない。
「あれが鉄の矢の力です。あの貫通力に特化させた矢本体の中には『黒鉄針』の起爆に使われているものと同じ成分の火薬が入った筒を入れてあります。貫通時の衝撃によって生じた火花が鏃の付け根にある筒に伝わり、引火します。そして」
「今、目の前で、私の目の前で起きている光景につながるというのか。信じられん」
「もっともこうも上手くいった理由は敵軍が密集し、なおかつ速度を上げてわざわざこちらに近づいてきたからですが」
暗にただ兵器の力でこの結果を生んだわけではない、と兵の軍令フーマンは補足するが、バヌヌイバの耳には届かない。唖然として燃え盛る豪炎の中を見つめていた。
「王子レイザ。お手数ですが、全艦に信号を送るよう命じていただけませんか?」
「ええ、もちろん。なんと伝えればいいですか?」
ちらりと自分の父親を横目で見るレイザはすでにメモを取る姿勢を取っていた。
「『艦隊陣形を三日月状に』でお願いします」
「すぐに伝えましょう。それで、敵軍はここから立て直してきますか?」
「くるでしょう。なにせ、今消しとばしたのは槍の穂先、せいぜいが10隻かそこら。その程度の数がやられただけで尻込みするなら、最初からグリムファレゴン島侵攻なんて考えないでしょうから」
そのフーマンの言葉を裏付けるかのように燃えたぎり、沈んでいく軍船の影から夥しい数の軍船の船首が現れた。燃える軍船を避ける様に二手に分かれて。
「こちらの陣形が完成するよりも速く動いてる。冷静だねぇ」
感嘆を禁じ得ないフーマンの言葉に呼応してか、はたまた偶然か、帝国艦隊は船速を速めた。注意深く見るまでもなく、正面の軍船は船首が砕けたりしている。恐らくは急停止するも間に合わず、燃えたぎる船にぶつかり折れたか燃えたかしたのだろう。
「普通はそういう小破した艦は下げるんだけどねぇ。よほど艦隊運用に自信があるのか、それとも、味方の犠牲を顧みないタイプか。ま、いずれにせよやってみればわかるか」
開戦の火蓋が切って落とされた。開戦の合図は図らずも激しいものとなった。
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