バリスタ
船が進む。全長40メートル、幅18メートルの巨船が水上を滑る。それは海を走る大鯨のごとく、飛沫をあげて水平線上に現れた異国の船舶へ向かって突貫する。描くのは巨大な錐型、それは追い風を帆いっぱいに受け、出せる最高速力でヤシュニナ、ガラムタの連合艦隊を帝国艦隊は目指した。
交渉は既に決裂し、帝国の降伏勧告に対して返ってきたのは冷たい一言、「ばかめ」という突き放すと同時にこちらを愚弄する一文を受け、ユーゴやアスランをはじめとした武装貴族はもちろん、デュートラストも鼻口を小刻みに膨らませるほどの怒りを覚えた。丁重な降伏勧告に対して返ってきた蛮族らしい解答はそれほどに誇りの塊である帝国軍を挑発するのに十分すぎた。
その結果、デュートラストは前進を命令した。重装艦を正面に置いた巨大な錐型。それは一見するとただの猪突猛進、考えなしの全力突撃にしか見えないが、単純な力の暴力ほどに恐ろしいものはない。
初めからデュートラストは艦隊運用でヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊に勝てるとは思っていなかった。それは当然の思考の帰結だ。二つの海軍を比べた時の練度が違うのだから。
細かな艦隊運用は連合艦隊側に分がある。風を読み、海流を知り、空の青さすら知るヤシュニナ、ガラムタの海軍と真っ向から彼らの土俵で、艦船を用いた陣形合戦に走れば気が付かぬうちに味方を失い、水底へと沈んでいくことは想像に難くない。
ならばどうするか?
デュートラストが考えた末に至った結論がこの錐型による突撃だ。さながら獲物目掛けて跳んでいく鮫のように、直進と旋回という操舵技術の基本中の基本を前提とした突進攻撃。それを大艦隊で行うことができるのはそれだけ帝国艦隊のコンビネーションの高さを物語っている。
帝国は海洋国家として見た場合、後進国だ。巨大な船舶を作れる技術はあっても、操舵をする技量はなく、航海術も未成熟、ならば持ちうる数を利用するしかない。魚群に似た巨大な船の群れ、それはヤシュニナやガラムタが得意とする近接戦に持ち込まれないようにするための必勝の策、必勝の陣形だ。
「圧殺しろ!ヤシュニナとその小判鮫共を徹底的になぁ!」
先頭を行く大型船「ベルサリウス」の指揮官、ゴルド・バーフェクトの怒号が飛ぶ。突撃脳と揶揄されるほどの突撃バカの怒号に呼応するのは彼の分身かのような突撃漢達だ。
先頭を行く彼らは死を恐れない。当然だ。さながら旧時代の軍隊における旗手のごとく、誰よりも勇敢な彼らはいつでも先導者として、道を切り開いてきた。
盾役であることを自負し、また自らが槍の穂先であることを誇りに思う彼らを止めることは不可能だ。衝突し、海に落ちること、船が船首から砕け散ることを恐れない彼らを真正面から受ける。それは鯨に対して編み物用の針で挑むことと同義である。
「見ろ!奴らはこちらの突撃にまだ対応しきれていない!このまま一気に蹂躙しろ!逃げるって?それは暁光!まとめて奴らの領土もろともに叩き潰してやる!」
そう。これは防衛戦。最初からヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊に逃げるという選択はない。ひとえに彼らは帝国の侵攻から自らの祖国を守るためにこの海域にまで足を踏み入れたのだから。
帝国軍の突撃など、海を主戦場とするヤシュニナ、ガラムタの両海軍であれば容易く回避することはできる。回避した後、背を撃つ形でバリスタの雨を降らせることもできるだろう。それで沈む船も現れる。しかし全体の数で言えば帝国軍の軍船、将兵の方がはるかに多く、アンダウルウェル海域を抜ければもうすぐそこに陸地が見える距離で今彼らは戦闘している。そのような状況下で背を撃って倒すことができるのは少数だ。
「ここでの勝利を求めているのはヤシュニナ、ガラムタの両国だけだ。我々は求めていない。極論、上陸部隊をグリムファレゴン島西岸部に上陸させればいいのだ。戦略目標はあくまで島への上陸。どうせ海で決着を着けるから、とロクな湾岸警備などしていまい」
前のめりにヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊をデュートラストは睨む。数はおそらく200隻超。こちらの半分しかない。巨大な海棲生物から逃げることを前提に作られた小型、中型の船影が見える。それが例え体当たりを何度したところで帝国海軍の大型船を仕留めることはできない。そう判断したデュートラストは先鋒であるゴルドにさらに速度を上げるように指示を飛ばした。
帆の向きと張り具合をわずかに変えただけで視界の端を飛んでいく景色の移り変わりの速度が変わる。密集しつつ、しかし船同士がぶつからない絶妙な間隔での快速移動、一丸となった密集運動。これを成せるのは東岸部において帝国軍を置いて他にいないとデュートラストは自負していた。
——それを。
小型船、中型船と大型船の速度を比較した場合、どうしても質量が大きい大型船の方が遅くなる。象と畜獣が追いかけっこをするようなものだ。だから本来、速度を上げることに意味はない。
だが、こと攻める側になった時、ただ直進する速度を上げるだけで状況は変わる。これまではぶつからないように退いていたヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊が停止した瞬間、デュートラストはかつてないほどの恍惚感を覚えた。
緻密な戦術、艦隊運用、航海士、操舵士の練度などの多岐に渡ってヤシュニナ、ガラムタに遠く及ばない帝国海軍が今、単純な数の暴力と突撃戦術によって圧倒する。理想としては好ましく、絵面としては醜いことこの上ない優美さも委しも美しさもない、大雑把すぎる光景はかつて、ヤシュニナ・ムンゾ・ガラムタの三カ国艦隊に散々に打ちのめされた帝国海兵の誰もが夢にまで見た光景だ。宿敵の打破、相手の戦場で、相手の得意分野で完膚なきまでに叩きのめすこと、これ以上の喜びがあるだろうか!
——あんな。
まるで自分が大空を自在に羽ばたく龍になった気分だ。いや、ここは海だから水龍と喩えるべきか。
「進め!進め!進め!目前だ、目前だぞ!突撃してくる敵船を吹き飛ばせぇ!」
ゴルドの怒号と共にオールを漕ぐ漕ぎ手達の双肩に力が入る。帆の向きを変え、的確に風を捕まえる操舵士の意識が研ぎ澄まされる。今か今かと白兵戦に備える海兵達の瞳が怪しげに輝く。
——無慈悲に潰される。
瞬間、デュートラストは何が起きたのか、全く理解できなかった。彼の目の前に広がる光景の意味がわからなかった。
「なぁ!?」
船が見える。船の甲板が見える。問題はだ。
「なぜ、垂直に……!?」
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