宣戦布告を受けて
ヤシュニナ歴154年4月10日、外事院のとある報告を受け、現在国外にいる以外の全ての氏令、そして四邦国の各王達が首都ロデッカの議事堂に集められた。
全ての氏令、すなわち文官は才氏ならば界別の才氏シド、氷艝の才氏レグリエナ、占いの才氏ダグリア、流し舟の才氏テトの4名。議氏ならば大橋の議氏チョルショコイ、王鷹の議氏ファム・ファレル、海鳴りの議氏エイラノの3名が上がる。
武官は軍令ならば埋伏の軍令シオン、兵の軍令フーマン、羽飾りの軍令シュトレゼマン、煙興しの軍令イルカイ、蜘蛛の軍令ヴィーカ、鏡の軍令マルウェー、鉄腕の軍令アルガ・レゾーニャのといったリドル、ギーヴを除いた8名。刃令は激務から、狂気の刃令ジルファ、緑糸の刃令ジャマルの二人のみだ。
続く四邦国の各王達。すなわちムンゾ王国の戦運びの王エッダ、ガラムタ王国の宝石の王バヌヌイバ、ミュネル王国の玉突きの王タミット、そしてカイルノート王国の白面の王キシュアが重臣を引き連れ、国柱と同じ上座に座る。
さらには師父、大府、将軍といった多数の次期氏令候補らまでが並ぶ。重苦しい空気の中、ただ一人、外事院に勤める大府の一人が席を立ち、原稿を片手に登壇した。
「過日、帝国貴族委員会にて取り決められたとある議題について、報告させていただきます」
神妙な表情で登壇した大府は続ける。
「帝国歴532年4月8日、帝国貴族委員会にて発布。帝立図書院における碑文調査の結果、かつて西の王者の王朝の所領ありし地に不当なる異民族が占拠し蛮行の限りを尽くしていることを認知せり。正統なる西の王者の血統の相続人たるアスカラ=オルト帝国は現在行われている蛮行を看過せず。速やかなる領土奪還と無辜なる民の解放のため、蛮族を膺懲せんとする討伐軍の編成を決定せり。——以上です」
驚く人間、騒ぐ人間はいない。西の王者の末裔を帝国が名乗るのはいつものことだ。実際のところはわからない。あくまで帝室がそう宣言しているだけでそれ以上の証拠もないからだ。
西の王者の相続人、と帝国が名乗るのもそのあやふやな血統が所以だ。かつてグリムファレゴン島を西の王者が統治していた、という話は嘘八百であることはヤシュニナをはじめとする島内の諸国家の中ではありふれた常識なことはさておいて、帝国内では今でも東岸部のすべての土地はかつて西の王者の血族が統治していた王朝のものである、というのが一般化されている。
だから帝国の宣言を盗人猛々しい、厚顔無恥となじっても意味がない。彼らからすればヤシュニナ側の主張が歴史修正主義者、異民族、蛮族と表現をどんどんエスカレートさせていく悪因に他ならないのだから。
原稿を読み終えた大府が降壇すると入れ替わりで師父が登壇する。
「この決定を才氏3名、議氏4名、師父2名、大府2名による協議のもと、ヤシュニナ氏令国に対するアスカラ=オルト帝国の宣戦布告であると結論づけました。以後の話につきましては埋伏の軍令シオンより提案がある、とのことですので一任いたします」
登壇してすぐに降壇する師父に代わり、シオンが席を立ち、壇上へと上がっていく。視線がすべてシオンへとそそがれる。そのプレッシャーすら楽しんでいるかのようにシオンは薄い笑みを浮かべつつ、衆目の前に立った。
「発言の機会をいただき、感謝いたします。——ではまず結論から申しあげます。帝国との戦争は避けられません」
動じる声はない。わかりきった共通の認識、シオンはただ全員の共通認識を言語化したにすぎない。
「昨年の11月における大会議にて我々はロサ公国、アスハンドラ剣定国、ミルチルノ王国、ミルヘイズ王国、クターノ王国との軍事条約、通商条約の二つを結ぶことを取り決め、そして見事にその二つを一つの国をのぞいて、すべての国と結ぶことに成功しました。唯一、クターノ王国だけは通商条約のみとなってしまいましたが、実質的な国内の帝国軍の動きを制限につながったわけですから、塞翁が馬といったところでしょうか。なんにせよ、第一段階の目的は達成したわけですから」
一旦そこで話を区切り、シオンは会場内を一瞥する。真剣にシオンの話に耳を傾けているもの、警戒感を滲ませているもの、あるいは興味がなさそうに居眠りをしようかとしているもの約2名など。いろいろな反応が見て取れる。
ひとしきり状況を把握し終え、シオンは次の話を切り出した。
「この成功をもって、我々は第二段階に、帝国の脅威の打破へと移るべきである、と私は考えております。ロサ公国の件でも明らかなように、機会さえあれば帝国の矛先は誰に対しても向くのです。今回の帝国による宣戦布告はその証左でありましょう。我々がただ防衛するだけでは89年前の二の舞となります。いずれ90年後になれば再び戦力をたくわえ、我らの子孫達が同じ立場になるかもしれない。その時、3度目の勝利があるという保証はなく、我らの子孫は隷奴に落ちるかもしれない。その可能性があるにも関わらず、動かずにいることができましょうか!?」
帝国の打破。それは言うほど簡単なことではない。帝国の国土はヤシュニナの3倍、人口は東岸部の諸国家で唯一、億を超える。屈強な帝国正規兵は最強の陸軍戦力であり、仮にヤシュニナが得意とする騎兵を運用したところで圧倒的な数の暴力を前にしては勝てるわけもない。
それは東岸部の諸国家を糾合しても同じだ。もとより、広大な帝国の領土を個別に分割して統治するノウハウなどどの国もないのだから、勝っても宝の持ち腐れ。そういう認識が会場内の多くの脳裏を占めていた。
「無論、ただ無策でいるわけではありません。帝国にただ侵攻するだけでは、各々方の想像通り、無益かつ無惨な結果を招くだけ。それは氏令職に就くものとして恥ずべき愚行です」
ならばどうする、とわずかな関心と興味の目がシオンに向く。それに対してシオンは真顔で答えた。
「まず、第一段階として我々は我々の有利な地形で帝国軍と交戦します。つまり、帝国によるグリムファレゴン島侵攻に合わせる形で軍を展開し、討伐軍とやらを迎え撃ち、一網打尽にします」
頃合いを見計らったかのようにシオンは会場の外で待機させていたのだろう、自分の部下を入場させる。大学の一室に置いてありそうな移動式の黒板を押しながら入ってくる彼らは、手早く地図を黒板に貼り付けると、国柱と王達に一礼して、すぐに退場した。
わずかながらに視線は退場していくシオンの部下へと向けられるが、大部分は彼が持ち込んだ地図へと向けられた。シオンが持ち込んだ地図、それに描かれていたのはグリムファレゴン島西岸部だ。より具体的にはアンダウルウェル海域と呼ばれる場所を重点的に描き取ったもの、ほぼ海図と言っても差し支えない。
「ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、アンダウルウェル海域はグリムファレゴン島とアインスエフ大陸の間にある三つの海域の中で最も海流が穏やかな地形です。そのせいで冬場は流氷が滞留してしまう厄介な海域でありますが。まぁとにかく海流が緩やかかつ高レベルの海棲生物が住んでいないこの海域は素人が通航するのに適していると言えます。つまり、アンダウルウェル海域は帝国軍の艦隊がグリムファレゴン島西岸部に上陸すると仮定した場合、最も通る可能性が高い海域と言えるのです。
無論、絶対とは言いませんが、現在の帝国軍の主力艦隊が入港しているハスカット軍港はアンダウルウェル海域に近く、同海域を通り、グリムファレゴン島へ侵攻する可能性は大であると考察できます」
どよめきがついに起こった。現実的な問題として直面し、ついに話し合うべき次元に至ったこと、それまでただ傾聴しているだけだった氏令達がシオンへの質問を求めて挙手し始めた。議長を勤める水師の界令ディスコがその内の一人、羽飾りの軍令シュトレゼマンを指名する。
「仮にアンダウルウェル海域を海戦の場とするとして、軍容はどうするつもりか?既存のヤシュニナ艦隊では手が足りないと思うが?」
ヤシュニナ海軍の艦数は大小合わせて約200隻、多くが砕氷用の衝角を装備したトップへヴィーな船舶だ。速度は出るが、その分だけ小回りが効きにくい。必然的に艦隊運用をするには不向きな艦種と言える。加えてこれはあくまで現在遠方にいる軍船も合わせての数字だ。実数はもっと少ない。
シュトレゼマンの問いはつまるところ、その数の少なさをどうするか、というものだ。帝国ほどの国が軍船を200や300程度で済ませるわけがない。400は超えている、と見積もるべきだ。その問いにシオンは即答する。
「ヤシュニナだけがグリムファレゴン島の戦力ではありません。我々にはムンゾ、ガラムタ、ミュネル、カイルノートの四カ国が味方としています。この四カ国から、特にムンゾ、ガラムタの両王国からの軍船、兵員の提供をしていただく手筈となっています」
「それは本当ですか、王エッダ、王バヌヌイバ?」
シュトレゼマンが上座に座る二人の王へ確認を取ると、二人とも首肯する。しかし直後にエッダが口を開いた。王の発言だ。シオンに向けられていた耳はすべて彼に向けられる。
「あぁ、申し訳ありません。一つ訂正させてください。我が国からは兵員は出せますが、軍船は無理です。六月の一件からイェスタの改修工事がまだ進んではいません。商業区を中心に再建しておりますので」
「——先日の話し合いではそのようなことは聞いておりませんが」
「ええ。まことに遺憾ながらロサ公国への物資援助の件で忙殺されていた我が国の官吏に伝達の不備があったらしく。無論、イェスタ以外の港湾区は使用できますが、100隻以上の軍船を収容できる港を我が国はイェスタ以外に持ち合わせておりません」
話が違うぞ、と嫌悪の目でシオンはエッダを射抜く。伝達の不備、などと言っているが、元々軍船を出すつもりがなかった可能性の方が高い。少なくともシオンはそのように感じていた。もし違うのならばこんなギリギリのタイミングで切り出す話題ではない。
兵士はやる、と言えば協力的に見えるが、陸の戦いと違って、足場となる船がなくては戦えない。兵士と船、その二つがあって初めて海戦は成立する。ならばどちらか一方を出さない、というエッダの言葉は利敵行為と捉えられてもおかしくはなかった。
「ならば残った軍船で構いません。あぶれた船舶はヤシュニナの軍港に収監いたします」
「つまり自国の軍船を整備する傍ら、我が国の軍船も整備してくださる、と?大盤振る舞いですな。それほどの余力があったとは」
「軍令シオン。その件についてならば我が国が援助しても構いませんよ?」
軍令と王、二人の間に飛び交う火花の間に割って入ったのはガラムタ王国の王子、道案内の王子レイザだ。わずか一瞬、エッダとレイザに間に視線が交錯する。しかしすぐにレイザはシオンに視線を戻した。
「我がガラムタの現在の軍船すべてを収監しても、一部の軍港には空きが生じます。そも、軍船を軍港でしか整備してはいけない、という話もないでしょう?いっそ民間船の船渠をつかってもよいのでは?」
「なるほど。それならばムンゾ単体であっても船舶の整備ができそうですね。いかがでしょうか、王エッダ?もし整備のための人員が足りない、とおっしゃるのであれば一時的にイェスタの再建を中止し、余剰人員を回しては。その間に生じる損失は、戦後に我が国が保証いたします」
わかりやすく言えば「船と兵どっちも出せ」という話だ。脅迫的な要求、それをムンゾは断れない。グリムファレゴンの全勢力が協力してこの難局を乗り越えよう、という中、一人だけ石ころのように固まって自身の主張を固辞しても、戦後によい位置にいるとは考えられない。
わずかな瞑目、うっすらと開かれた瞳には一体なにを思ったのか。力なく首肯するエッダを他所にシオンは話を進める。
「ヤシュニナ、ムンゾ、ガラムタ、ミュネル、カイルノート、この五カ国による連合艦隊によって我々は帝国艦隊とぶつかります。ですが、指揮系統を統一しなくては情報伝達の齟齬による部隊の混乱を招きかねません。そこで私としましてはムンゾ、ガラムタ、ミュネル、カイルノートのいずれかの王に全体の指揮権を委ねたいと考えます」
「ぁあ?シオン、てめぇが指揮すんじゃねぇのかぁ?」
シオンの提案にノータイムで疑問をこぼしたのは狂気の刃令ジルファだ。喧嘩でも売るかのような物騒な声音で問いかけるジルファを前にしてシオンは首を横に振る。
「一介の軍人である私の命令にヤシュニナの将兵は従うでしょうが、四邦国の将兵達が従うとは思えません。彼らの忠誠は偉大なる王に捧げられていますから。そこで王のいずれかに指揮権を委ねることでこの軋轢を回避したいのです」
「わっかんねぇなぁ。だったら王一人一人から委任状を受けとりゃいいじゃねぇかぁ。前回はそうしたぜ?」
「ええ。過去の戦争ではそのようにしました。ですが、いざ戦争が始まってみると、王から委任状をもらっただけの司令官の命令に疑念を覚える兵士が続出し、窮地に立たされたことが何度かありました。その疑念を解消するために王という絶対の存在が必要不可欠なのです。王の命令とあらば疑う軍人はいない、と一軍人として保証しましょう」
「それが自国の王ならなぁ?ヤシュニナはそもそも国柱に戦時の指揮権はねぇから従うさ。だが、選ばれなかった方の王国の兵士はどうする?同じ王っつたって、伝聞程度でしか知らねぇ人間の命令を聞くか?」
「なるほど。それは憂慮すべきことです。であれば最も王として経験があり、実績を積んでいる方であればどうでしょうか。在任期間が長い、ということは多くの人間に周知されているということですから。つまり、この場においてその評価に値する人間は一人しかいません」
会場内の視線が一人に集まる。つまり、四人いる王の中で最も在任期間が長い男へと注がれる。
「宝石の王バヌヌイバ。我が国の存亡をかけたこの一戦、ぜひ貴方に指揮権を委ねたい」
ぶくぶくと膨れ上がった肉塊のような美髯の王はその言葉に間の抜けたような声を上げることしかできなかった。
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氏令内のプレイヤー
才氏:界別の才氏シド
議氏:悠血の議氏セナ・シエラ、王鷹の議氏ファム・ファレル、橋歩きの議氏アルヴィース
軍令:王炎の軍令リドル、蜘蛛の軍令ヴィーカ
刃令:寝坊助の刃令なのはなさん、凶気の刃令ジルファ、天秤の刃令ノタ・クルセリオス
界令:蒼龍の界令ヴィネア
氏令の定数は45人なので内10人がプレイヤー、最初期は全員がプレイヤーだったが、東方航路開拓の過程、グリムファレゴン戦争などで氏令などを含めて多数が死亡した。




