最悪の年明け
年末年始、オルト地方では例年のように雪が降り、一面の銀世界となっていた。
聖都ミナ・イヴェリアには年明けを祝うために聖都近辺の領主達が集められ、例年のようにパーティーが開かれていた。例年では新たな年を祝福するために豪勢な食事と華やかな着飾った貴人、貴婦人によって彩られた大講堂では乾杯の声が鳴り響き、帝立管弦楽団による心振るわせられる美麗な演奏の数々が場の空気を飾り付け、さながら天井世界の様相を見せる。
帝国の上流階級、貴族ともなれば宝石の類を身につけないものはいない。華美な装飾品を身につけ、己の権勢ぶりを誇示するのは貴族の義務である。それもただ下品に指輪やネックレスを付けているのではない。人の目につく場所、注目すべき場所でありながらも、決して自らが進んで見せている、と思われてはいけないため計算して装飾品を選んでいる。それに加えて季節、祝辞、天候なども様々な要素を織り込むため、それ相応の教養が必要となる。つまるところ、帝国貴族にとって着飾って社交場に出るということは、己の教養を周知させる、ということに他ならない。
教養なき貴族は貴族にあらず。そんな格言が謳われるほどだ。ただ先祖代々の土地を継承しているだけでは貴族とは認められない。かつて、まだ多数の国家が乱立していた頃は武勇によって貴族としての誇りを誇示していたが、剣の時代が遠のいた今、彼らが何よりも尊むのは詩歌や風雅を楽しむ心であり、そのためには教養が必要なのだ。
貴族とは統治階級であると同時に帝国内有数の知者、学者でもある。彼らが無教養、無節操であれば皇帝より下賜された領地の安寧は得られない。聖都で開かれる祝賀会は帝国貴族のそういった資質、教養を測る場所、品評会の場でもあるのだ。
しかし、例年に比べ今年は集まりが悪いことに帝国宰相アレクサンダー・ド・リシリューは嘆息した。その理由が彼には明々白々だった。
つい数日前まで行われていたロサ公国の膺懲、その失敗こそが普段こそ平静を保ち、動じることがない帝国貴族達を浮き足立たせていた。失敗とは敗北、帝国の敗北だ。まさか超大国である帝国が自分達の何十分の一程度の兵力しか持たないロサ公国に敗北したなど、彼らには信じられなかったのだ。
それでもどれだけ信じられなかったとしても事実は事実。貴族達は耳聡い。北方方面軍の中に縁者がいた北方の貴族達はいち早く、帝国の敗北を知り、知り合いの貴族にその話をする。それが巡り巡って彼らの派閥の長である大貴族に伝わるという寸法。それには一日もかからなかった。
本来ならば1月1日に行われるこの年始の集まりにも欠席を知らせてくる貴族の多いこと、多いこと。帝国という絶対の支柱が揺らぐことを危惧し、万が一に備えて様子見をしているといったところだろうか。
「全く、愚かなことだ」
会場から執務室に戻ったアレクサンダーは虫唾が走る、と愚痴る。
ちょっと考えれば帝国の安泰が揺るがないことなどわかるはずだ。帝国北方方面軍の内失ったのはたった5万人だ。方面軍単体で見れば実動部隊の半分と脅威ではあるが、戦力の比率で言えばロサ公国が全体の80%近く、帝国の一方面軍が50%と損失が大きいのはどちらかは明白だ。
そもそも、北方方面軍は帝国の主戦力ではない。帝国の主戦力と呼べるのは西部の大長城を守護している英傑達だ。彼らが崩れたわけでもないのに、帝国が亡国の憂き目に立たされているなどと考えること自体がナンセンス、視野狭窄を疑いたくなる。
むしろ、北方方面軍はよくやった。従来の二対一だった戦力比を五対一にまで減らしたのだ。死んでいた将兵達もさぞかし誇らしかろう。なによりもアレクサンダーはリオメイラ・エル・プロヴァンスの私兵の戦力を割けたことに満足を覚えていた。
リオメイラは現皇帝、アサムゥルオルトⅪ世の腹違いの姉である。幼き頃より武勇で名が知られ、その恐ろしさは帝国内外に轟いている。言うなれば武力において帝国を代表する存在の一人と言っても過言ではない。そのリオメイラがもし、現皇帝に叛意を持った時、彼女とその配下の武力は脅威となる。
アサムゥルオルトⅪ世を皇帝位に就ける際、姉であり当時から影響力のあったリオメイラを北方へ遠ざけたのは他ならぬアレクサンダーだ。彼女が自分を恨んでいる可能性は十二分にある。その恨みが自分個人に向くのならばいい。むしろ彼女の危険性を喧伝し、堂々と処分できるよい機会だ。だが、皇帝にまで向いた時、それは国内の反リシリュー派閥と結託し、皇帝の首をすげ替えようという大乱が起こる。
ただでさえ西部に戦線を持ち、皇族の血を絶やさないために東部を手に入れようと画策しているこの時期に、いらぬ怨恨で国内を二分する争いが起こっては事だ。だからリオメイラがこの戦で死ぬか、もしくは彼女の部下に損耗が出るかしてくれればよかった、と思っていたが、思った通りにことが運んでくれた。
「むしろいいことではないか。帝国の風紀が引き締まったとも言える。堕落し、遊侠に耽っていた国家に鉄の杭を打ち込む事に成功したのだからな」
国家体制にメスを入れるのは容易なことではない。建国からずっと、一度たりとも領土を侵されてこなかった超大国ともなれば尚更だ。常に併呑し、侵略することばかりが日常だったならば。
アレクサンダー一人がいくら固辞しても嘲笑を受けるにとどまる。帝国宰相、皇帝に次ぐ帝国No.2と言っても発言力は人一人の範疇を超えるものではない。人間とは集団の生き物だ。例え皇帝であっても、発言力は微々たるものだ。歴代の皇帝の内、一体何人が不用意な発言が祟って不審な死を遂げたと言うのか。
ため息混じりにアレクサンダーは机の引き出しに手をかけ、写本した皇紀年鑑を取り出した。アスカラオルト帝国の歴代皇帝、その前身であるオルト帝国の歴代皇帝、そして最後にメロヴィン王国の歴代王位継承者の名前をなぞり、その歴史の深さを痛感する。
メロヴィン王国から数えれば実に500年以上の歴史を持つこの国の歴代統治者の中で病気、寿命以外で隠れた人間は二桁を超える。その多くが近親者による暗殺だ。戦死、事故死というケースはその地位を考えれば稀と言える。
近親者、例えば皇弟や皇妃、皇妃の縁者などなどが毒を盛ったり、直接刺したりと散々だ。その度に大貴族が粛清されて大変だった、と聞いている。ここ数十年はそういったことは起きていないのがせめてもの救いではあるが、いつまた同じようなことが起こるとも限らない。問題となる要素は一つでも多く潰す。それこそが自分の役目だとアレクサンダーは自負している。
まずは一つ。そして次の一つ。
「ヤシュニナ氏令国、いや才氏シドか。あの男にしては杜撰なことだ」
報告を受ける限り、現在のヤシュニナ氏令国は多数の氏令を国外に派遣している。言うなれば大臣級が何人も外遊している状態、ヤシュニナという国家の人口比から見る人材の余剰は少なく、上澄みも上澄みの氏令職の人間が国内にいないというのは国務の停滞を生む。
無論、たかが大臣級がいないだけで国務が停滞する国家なんて欠陥品もいいところだが、そも現在のヤシュニナは氏令自体が定数割れしている。国難の中、優秀な人材の流出を生む。それはアレクサンダーが知るシドのやり方ではない。
アレクサンダーがシドと会ったのは彼が宰相職についた矢先、当時は氏令職を退いていたシドがヴェスラヴェルナ侯爵の墓参りに訪れた時だ。墓参りと言っても共同墓地に打ち捨てられた侯爵の遺体に花束を持ってきただけなのだが。
「——絞首刑だっけ?ひどいことするねぇ」
蒼い瞳の彼は笑いながらそう言った。醜く歪んだ笑みを浮かべる彼はこちらを糾弾しているようにも、嘲っているようにも見えた。
「——で?こいつの死は一体いくつだ?いくつの不確定要素を潰す布石になった?」
ひどい台詞だ。友人の死に対する台詞ではなかった。
「——わからない?そりゃいい。もし具体的な数字を言っていたらここで帝国を潰していたよ。そう、わかんない。それは為政者として、あるいは誰かの上に立つ人間として当然の台詞だ。思わぬ成果なんて言葉を使う人間はクソだ。そいつはただの能無しだ」
その時に自分はなんと返したか?
「——だから頑張って活かし続けてくれ。でないと俺は鼻歌歌いながらこの国を滅ぼしちゃうぞ♡」
その男がこんなナメた事をする?なんらの意図も感じない。これまで脳裏で描いたいずれのシドの行動ともズレている。
「情報収集に努めるべきだな。才氏シドが今、ロサにいることも踏まえて。——ともすれば、帝国が滅ぶかもしれないのだから」
アレクサンダーは一人、無貌の差し手と対局する。あの黒髪の少年ではない誰かを夢想して。
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主要国家の軍容について
帝国:レベル15〜20。基本全員歩兵。対人間種、対亜人種に対して強い。瞬時に軍団技巧に移ることができる。数が多い。全体の総数は80万人だが、内30万が西部国境の大長城に常駐している。残りの50万の内北部へ8万、聖都に5万、ポリス・カリアスに5万が常駐している。残った32万はほとんどが予備役。兵士が多いせいで財政がひっ迫している。お金欲しい。
ヤシュニナ:レベル15〜25。対モンスター戦で強い。レベルは高いが、歩兵レベル+騎兵レベルによる高レベルであるため、歩兵としては10レベル。騎兵としては15レベル。全10万人の内、七割が海兵。残った三割は騎兵。場合によっては下馬する。また海兵であっても歩兵として徴用される。
ロサ公国:レベル10〜18。雪土戦で強い。騎兵であれば40レベルを超える。ただしこの騎兵は歩兵として見ると笑えないほど弱い。騎兵は東岸部最強(笑)。
アスハンドラ剣定国:レベル30〜45。個の力では東岸部最強の兵士。セルファとの戦争のせいで総数は3万人程度しかいない。歩兵は歩兵でも銃兵に近い。30年戦争くらいの時代に普仏戦争やってるくらいの技術差が他国とある。




