幕間——160年前の慟哭Ⅴ
世界の中心たるイステリア島、その唯一の港に普段停泊している漁船とは違う、巨船が停泊していた。帆をたたみ、すでに乗組員は舟番以外が下船しているにも関わらず、異様にして不気味な幽霊船のような印象を受けるのは、一部の柱が折れている、船体に穴が空いているにも関わらずに沈まずにいるのはさぞかしイクトゥスらには不気味に見えただろうが、それは今まさにその幽霊船の船尾を確認した白喪の船の乗員にしても同じことだった。
船のメインマストにはためくのは「円を描く七つの片翼」。巨船ではあるがその形状は木製のそれではなく、鉄に似た質感が目立つ流麗なフォルムの船であり、目の前まで迫っている幽霊船とは180度違う神々しい気品に溢れていた。
「相も変わらず悪趣味な船ですね。見てくださいよ、メインマストに翻っている旗」
船の甲板からメインマストを指差す男がいた。ただの男ではない。深くフードを被った藍色の髪色の男、六対の機械的な翼が白衣の上に浮いており、明らかに人ではないことがわかる。彼、ゲールマンが示した先には黒地の旗が翻っている。「赤い掌に邪眼」が描かれた唾棄すべき旗だ。
大手レギオン「赫掌」のレギオンマークが描かれた旗が翻る幽霊船のすぐ真横に停泊した時、少し離れた沖合に錨を下ろしている別の船の姿があることにゲールマンと彼の隣に立っていた男は気がついた。船舶は二隻、一つは古代中国の時代劇に出てきそうな唐船、もう一つは二体の水竜に牽引されている西洋船だ。それぞれのメインマストに翻っているのは「星を掴み眼前を睨む龍」と「巨樹の周りで喧嘩する三人の妖精」だ。
前者は「界龍」、後者は「アルヴ・スリープ」のレギオンマークである。沖合に停泊しているのは、どちらも「赫掌」とは敵対しているからで、同じ港は使いたくなかったのだろう。
すでにバチバチだな、とため息をつきながらゲールマンは自分のレギオン「七翼」のレギオンマスターであるヴィーノへ視線を送る。被っていたフードを取り、現れたのは燃えるような炎髪の青年。眠たげにまなこをこすり、あくびを噛み殺している姿は、とてもトッププレイヤーの一角のようには見えなかった。
船を降り、大地を踏むと、待っていたとばかりに二人の男女がヴィーノやゲールマンを出迎えた。一人はヴィーノに勝るとも劣らない赤髪隻腕の男、もう一人は銀髪金眼の少女だ。どちらもゲールマンは知っている。むしろ「SoleiU Project」内では知らない人間の方が少ない二人だ。
「剣聖と死祖が出迎えとは。随分と豪華だな」
「いやーあれよ。すっげー気分よくねー。うん。まさか、リドルさんに出迎えてもらえるなんざ、ぼかぁ嬉しいよ」
ゲールマンの嫌味をヴィーノが軽くフォローする。ため息をつきつつ、リドルが口を開いた。
「今回はこちらの申し出に応じてくれたこと、感謝いたします。これから島の中央にある白亜の塔へと案内しますが、護衛は四人までとさせていただきます」
「剣呑だな。罠を疑いたくなる」
「ご安心を。私を含め『七咎雑技団』のレギオンメンバーも五人しか塔内にはいません。その他のメンバーも島に上陸こそしていますが、塔内への立ち入りは禁止しています。すでに到着しているレギオンの方々にも同意してもらっています。まぁ、ようするにこっちの要求に従えやこの野郎、という話なんだが、これ以上無駄話をするか?」
最後の方は敬語が崩れていた。それもそうだろう、とヴィーノは面倒臭そうに瞑目した。「剣聖」リドルとヴィーノのファーストメンバーであるゲールマンははっきり言って仲が悪い。同族嫌悪と言うと両者からグーが飛んできそうで控えているが、言ってしまえば同族嫌悪のようなものだ。
リドルにしろゲールマンにしろ、理屈に合っていないことを嫌うタイプの人間だ。愚直、真面目と言われればそれまでだが、ダイヤモンド以上のモース硬度を持つ愚直さなど、はっきり言って融通が効かないの類語表現のようなものだ。その愚直さは魅力でもあるが、こうして似たようなタイプの二人がかち合うと不味さしか出てこない。愚直さはプライドになり代わり、互いを論破、打ち負かすことしか考えなくなってしまう。
「りょーかい。りょーかい。他も同意したのにうちだけってのは筋が通らんよなぁ」
だから辟易しながらもヴィーノが割って入り、何かを言いかけたゲールマンを遮った。そうでもしなければ不毛な言い争いが続くだけだ。
「で、シドは?出迎えに来るもんだとばかり思ってたけど?」
「うちのレギオンマスターは資料作りだ」
「そーそー。プレゼン用のあれこれを作るのに忙しいんだって」
リドルとセナが交互に答える。
「あぁ?マジかよ。てっきり船ん仲で居眠りでもしてんのかと思ったぜ?」
その矢先、二人は割り込んできた声が聞こえてきた方を向いた。釣られてヴィーノとゲールマン、そして彼の後ろに続く「七翼」のメンバーも首を振る。
「あぁ?そりゃ無理か。なんせ、イスキエリは船酔いするんだからなぁ?」
被り物のように見えて被り物ではない。エリンギの傘の部分に無数の牙があるように見える頭部を持つ、人身六足の獣はケラケラと笑う。彼が笑うと下半身の付け根から無数に口が出現し、十人十色の笑い声を発した。
「王渾」
「おうよ。せっかくこんな絶海の孤島まで足を運んだってのに茶の一杯も出ねーとか、しけてんなぁリドル」
王渾は呵呵大笑し、それに倣うかのように彼の背後に立つ同じく奇怪な、それこそ悪魔の軍勢か、さもなくばエイリアンのような外見のプレイヤー達も大声で笑った。
それら、彼らに不快そうな目を向けるのはゲールマンや彼と同じレギオンのメンバー達だ。敵意を向ける、の方が正しいのかもしれない。敏感にその敵意を感じ取った王渾の背後に立つ「界龍」のレギオンメンバーの一人が中指を立てて彼らを挑発する。
直後、場の空気が凍りついた。それまでは安穏としていた、よくも悪くも普通だった空気が張り詰め、険悪な雰囲気が漂い出した。表面上はリドルもセナも、ヴィーノもゲールマンも、もちろん王渾も何もしていないが、誰かが先に仕掛ければ戦争になる、という確固たる予感がこの場にいるプレイヤー達を踏みとどまらせているに過ぎない。
一触即発の空気が流れる中、その争いの輪はさらに広がった。
「あっはは。おもしろーなことやってるん?あがちらも混ぜて?」
直上。声がした。その声を聞き、リドルは舌打ちを、ヴィーノはため息を、王渾は笑みをこぼした。
三つの勢力が睨みを効かす中、金色の影が降り立った。九つの長く太い金尾、スラリと長い白磁の手足、和服を着崩した狐耳の女性の登場に、リドルとセナ以外は全員が数メートル後退した。ちなみにヴィーノは後退しようとはしなかったが、ゲールマンに襟首を掴まれて無理矢理遠ざからせられた。
「あら、心凄いの。あがちのことそないに嫌ふことないのにねぇ」
大手レギオン「ナインフォックス」レギオンマスター、なごみはその細く美しい瞳を「七翼」と「界龍」のレギオンメンバーに交互に送る。口元には笑みをたたえ、鋭く尖った犬歯を剥き出しにしていた。
「なごみん待っててーな」
やや遅れて彼女の仲間も輪の中に入ってきた。なごみと同じく和装だが、着崩してはいない。そも紫衣をどうやって着崩すのか、という話だが、なごみを追ってこの場に現れた長い黒髪の少女は衣装には似合わない大太刀を携え、この場に現れた。
「あれ、なぁに?喧嘩?」
少女はぼんやりとした口調でこの場の全員を一瞥する。ただ一瞥しただけではない。刀の柄を握り、いつでも抜刀できるようにしながらの一瞥だ。号令がかかれば真っ先に武器を抜くのは彼女だろう。
「そ。喧嘩。喧嘩、いいよぉなぁ?」
「喧嘩大好き」
戦闘狂どもめ、とリドルは心の中で吐き捨てた。もしこの場で戦闘を始められたら自分達の労苦は水の泡だ。何がなんでも争いを止めなくてはいけない、と右手をおもむろに左袖を留めているピンへとズラしながら、リドルは警戒を強めた。
ヴィーノ、王渾、なごみ。各レギオンの代表者である彼、彼女らはいずれも戦士職だ。唯一なごみだけは特殊な戦士職だが、相手が戦士であれば制圧することができる、とリドルは自負していた。おごりや自意識過剰ではなく、厳然たる事実として。
問題はこの一触即発の空気の中、誰が一番最初に仕掛けてくるかだ。リドルとしてはそいつを止めることに終始するつもりだ。この張り詰めた空気の中、真っ先に飛び出すような人間はそれこそ馬鹿くらいなもの。馬鹿のために自分の労苦が無に帰すなど考えただけで腹立たしい。
そうやってリドルが思考している中、突如、彼が発動させていた感知系スキルの範囲内に何かが前触れもなく出現した。はっとなってリドルが顔を上げると、はるか上空から絶叫をあげて何かが落ちてきた。遅れて気付いたその他の面々も頭上を見上げた。
「あぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ずがどーんとそれはなごみの足元に落ちてくる。落ちてきたとほぼ同時になごみはすらりと長い足でそれを蹴り飛ばした。あぁ、と呻くその影はごろごろと転がり、水際で止まった。
「何やってんだ、シド」
「いや、ちょっと。頭上に現れて脅かしてやろうかなって思ったんだけど。転移位置が」
ほこりを払いながら黒髪の少年が立ち上がる。身長はそれほど高くなく165センチあるかないか。瞳は蒼色で肌色は薄い。産業革命時のイギリスのブルジョワ子女を思わせる装いを着ていて、それが妙に目鼻立ちが整っている彼にマッチしていた。
思わぬ「七咎雑技団」のレギオンマスターの登場に一瞬だが、場の空気は凍りついた。よりにもよって発起人であるシドが頭上から落ちてくるなど、予想だにしていなかったことだ。沈黙が訪れ、その鬱屈した空気を破ろうとヴィーノが口を開きかけるが、それよりも早く、彼の首に両腕を伸ばす存在がいた。
「シドー!!なにやってん、の!」
「げ、ぇえええええぇぇぇぇ」
問題。誰かに後ろから抱きつくとします。抱きつく人は両腕を抱きつかれた人の前面でクロスし、使い古されたクッションのような胸を押し付けます。どうなるでしょうか?
答え。地獄。
まさに地獄だった。前は地獄、なぜなら首が閉まるから。イスキエリと言っても環境ダメージが無効化できるだけで呼吸困難などの生物の範疇を超えた事象までは無効化できない。思いっきり後ろから抱きつかれたシドは首がしまり、ぎゃーと掠れ声で悲鳴を上げる。後ろはさながら石板で、鎖骨や胸骨が押し当てられ、これもまた最悪だ。結論すると、貧相な体の女性が後ろから抱きつくと、地獄しか生まないのだ。
まさに現在進行形で地獄を味わっているシドだが、彼を助けようとする人間はいない。ゲラゲラと笑っている人間までいた。
「Note!すおっぷ」
「なぁにぃ?きっこえないよぉ」
にひひ、と薄桃色の頭の少女はいたずらっ子のように笑う。彼女はロップイヤーに似た触覚をぴょんぴょんと揺らし、自分よりも少しだけ背が高い少年の背中の上でウサギのように跳ねた。
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キャラクター解説(ライト版)
ヴィーノ。種族、薇仕掛けの天使。レベル150。レギオン「七翼」のレギオンマスター。殺戮天使と呼ばれている。普段は自堕落でいつも寝ている。
ゲールマン。種族、機械仕掛けの天使。レベル150。レギオン「七翼」のサブレギオンマスター。破刀天使と呼ばれている。理屈に合わないことが嫌い。
王渾。種族、四敗獣〈渾沌〉。レベル150。レギオン「界龍」のレギオンマスター。下品で粗野。リドル、ゲールマンからは一方的に嫌われている。元「LVN」のメンバー。
なごみ。種族、龍人系統(変異種)。レベル150。レギオン「ナインフォックス」のレギオンマスター。超がつく戦闘狂。特殊な戦士職。長時間戦闘に限定すればリドルやレーヴェなどの猛者にも絶対に勝つことができる。後衛要員。
九亜。種族、シルティス。レベル150。レギオン「ナインフォックス」の中核メンバー。なごみに負けず劣らずの戦闘狂。ノタと同じ種族。戦闘時は大太刀を用いる。純戦闘職。一撃特化型。
※「LVN」は昔シドやレーヴェ、ゥアーレスが所属していたレギオンの略称。




