C.E.L.F.A侵攻
それは器から溢れた黒い液体だった。
半島を分断する大城壁。アスハンドラの盾たる大城壁。国民の寄る方たる大城壁。きっと、他にも多くの意味を持つだろう大城壁を黒い津波が乗り越えていく。潰すでもなく、噛み砕くでもなく、乗り越えていく。
雑多なアリンコのように壁上にたむろする剣士達を嘲笑うかのように雄大に、無慈悲に、大雑把に飲み込み、大城壁はいとも容易く乗り越えられた。バシャンという飛沫めいた音が何十、何百倍に重なり、音として判別できない轟音となるほど、乗り越えた先に彼らセルファの着地音は凄まじいものだった。
障害とは突破するものだ。踏破が難しく、あの手この手を使ってようやく壁を砕くがごとく突破するためにあるものだ。それは決して一足飛びに乗り越えていいものではない。もしそんなことが罷り通るのならば、初めから障害などではなかった、というだけの話だ。
ゆえにアスハンドラ剣定国、その領域に足を踏み入れたセルファの黒波は歓喜するでも、成功に猛るわけでもなく、すぐに前進を始めた。大城壁の内側の村落、樹林、山々を文字通り併呑するために、巨大な荒波と化したセルファ達は侵攻を再開した。
驚き、目を見張ったのははるか上空を飛んでいた西部第一区画のグラキウス隊の面々だ。彼らが未確認個体のセルファと戯れている最中、文字通り瞬く間に大城壁が突破されたのだ。怒りや悲しみの感情よりも先行して驚嘆、驚愕の感情が優先されてしまう。中には事実を正しく認識してしまい、放心するものまでいた。それほどの異常事態、ゆゆしき事態とかいうレベルではなく、国家存亡の危機が目の前で起こっていて、わけがわからなくなっていた。
宙空に浮遊したまま、何も行動を起こせない彼らの中で真っ先に怒りの感情を取り戻したのはグラキウス隊の隊長であるレオン・ベンウィックだ。先代の剣王の治世からアスハンドラ剣定国に仕えていた彼は真っ先に大城壁を乗り越えたセルファめがけて飛び出した。
やや遅れて他の隊員も彼に追随する。一様に怒りの感情を取り戻し、全速力で黒波を追いかける。指揮系統の確認だとか壁上の生存者探しだとかは念頭になく、彼らはただひたすらにセルファを殲滅することだけを考えていた。
それを無意味だと、無駄な足掻きだと嘲笑するかの如く、はるか上空から青い触手がレオン達の背を強襲した。反転し、レオンは防ぐが、彼以外の何人かは防御できず、背中を討たれ、セルファの黒波の中に落ちていった。致命傷ではないが、起き上がってくることはできない。少しでもセルファに近付いただけで黒波は巣を突かれたハチのように反応し、容赦無く何十にも湧き上がってグラキウス隊の隊員達を貪り食らった。
「この野郎っ」
レオンはたまらず強襲者たる青い肌のセルファに向かって突貫した。何人かがレオンに追随するようなそぶりを見せるが、彼はそれを目力だけで制止する。彼に気圧され、他の隊員達は黒波を追い、その背後を突こうと例のセルファが追随しようとするが、彼女の前にレオンは立ち塞がった。
レオンが抜き放った双剣とセルファの鋼のような触手が交錯する。明らかに生物のレベルを超えた強度を持つ触手を鞭のようにしならせ、セルファは攻撃を開始する。無数にあるかのように見える触手の連撃、それは単調ではあるが、一撃一撃はレオンにとって瀑布に打たれているに等しい。
「クソがっ」
双剣に青いオーラを纏い、レオンはセルファ目がけて青い斬撃を放つ。無数に重ねた触手でセルファはレオンの攻撃をガードする。攻防としては単調、それもそうだろう。レオンは本気を出すでもなく足止めのために戦っていた。
眼前の女性型のセルファには勝てないだろう、ということはここまでの攻防ですでにレオンは結論づけていた。ならば自分にできることは少しでも長く、セルファをこの場に釘づけることだ、と。
「技巧:碧帝」
続く技巧、それは紺碧のオーラをレオンに纏わせる。レオンが使える技巧の中でもとりわけ継続戦闘に特化したこの碧帝は、一秒ごとに生命力を1%ずつ回復させる他、この状態で相手にダメージを与えるとさらに追加で生命力を回復させるというおまけ付きだ。唯一の欠点と言えば消費する気力の量が多すぎて、使用には注意を払わなくてはいけない、という点だろう。
気力とは戦士にとっての魔力だ。戦士であっても多少は魔力を持っているが、やはり彼らにとって重要なのは技巧を使うために消費する気力だろう。これがなくては戦士は名乗れない。レオンが持つマジックアイテムの中には気力を増幅させるものもあるが、そういった補助道具がないとすぐに気力切れを起こすほど、大城壁での戦いは苛烈極まる。
現に今のレオンは気力を犠牲にして、生命力を奪った。それは彼が技巧を使ってより多くのセルファを倒すことではなく、あくまでも足止めを目的としていたからだ。
「——疾っ」
技巧ではなく、スキルを用いた高速移動でレオンはセルファの目の前まで迫る。間髪入れずに右手を振り下ろす。
セルファはその一撃を左手で受け止めようとする。直後、技巧を発動させ、双剣に蒼い炎を纏わせる。
「技巧:蒼炎斬撃」
神速の一閃。軽い気持ちで受け止めようとしたセルファの左手が上腕から切り飛ばされ、宙へ舞うと同時に蒼い炎に包まれる。ギョッとするセルファ、その隙を見逃さず、レオンは追撃の突きを加える。胸部に命中したそれはセルファを後退させた。
セルファは切られた左手を即座に再生させ、再びレオンに向かって飛び立った。枝分かれした無数の触手を上下左右から彼を囲むようにしならせる。
「つっ」
間断なく、突き出される無数の触手。それは初速の時点で音を置き去りにしていた。双剣使いの防御技術をもってしても完璧には捌ききれない量と速度だ。なおも彼が立っていた理由は技術とは別になおも体を包んでいる紺碧のオーラのおかげだ。触手を斬り飛ばすこともダメージを与えることにカウントされているおかげか、生命力の回復はすこぶる絶調だ。
数秒の攻防で自分の攻撃が悪手と悟ったのか、セルファは囲いを解く。そして次に繰り出したのは枝分かれした触手を何本にも束ね戻した分厚く、巨大な鞭だった。
音を超える速度で放たれる重い鞭など防御しているだけ、体力の無駄だ。鞭が放たれると同時にレオンは「紫電脚」を用いて上空へと逃げた。そして落下速度を利用して再びセルファに切り掛かった。
青い焔が彼の刀身から漏れ出るが、これは技巧によるものではない。彼の持つ二刀一対の幻想級武装「フレイド、リバイア」の二振りが持つ特性だ。炎属性ではなく、「自由」の概念属性を帯びた蒼い炎、それはセルファにとって有効打となる属性の一つだ。
しかし、レオンの一撃を受けてもセルファは気にしている素振りを見せない。その圧倒的な回復力は生半可な傷など立ち所に治してしまう。いくらレオンが攻撃を叩き込もうと眼前のセルファにとっては鬱陶しい小蝿くらいの認識でしかない。心なしか、レオンとの戦いに飽きているのか、無造作に触手を振り回していた。
「舐め、いやそりゃ舐めるか」
自嘲し、自分を卑下する。自分の弱さと相手の強さを天秤にかけ、しかしレオンは真っ向からセルファに挑む。
「げは」
そして彼の体を無数の触手が貫通した。腹部をぐちゃぐちゃに抉り、絶え間なく血を吐き出す彼、青い肌が赤化するほどに血を浴びたセルファは恍惚とした笑みを浮かべる。対してレオンも笑った。かろうじて持ち上げた左手で地面を指差し、セルファははたと眼下へ視線を向けた。
ない。ない。ない。暗い暗くない。
あれだけ大地を黒く染めていたセルファの大群が跡形もなく消え去っていた。なぜ、なんで、どうやって、なんて聞くことほど無粋なことはない。ああ、無粋。無粋極まる。
「ばーか。俺ばっかみすぎゅ」
苛立ちからか、セルファはとっさにレオンの頭蓋を貫いた。彼の体を投げ、怒りの咆哮をセルファは轟かせる。彼女の咆哮に呼応してその体に纏っていた羽衣が震え、一個のセルファと化して大城壁へ、まだ無事な大城壁へと向かった。
兵などいくらでも増やせる。百や二百、千や二千の悪鬼を潰したところでいくらでも増やせる。怒りの形相でセルファを増やそうとする彼女、だがその目論みは超高速で羽衣を消し飛ばした赤髪の男によって阻まれた。
「ちょっと遅かったか。レオン、すまないな」
それは隻腕の男だった。しかしその男は彼女がこれまで見てきたどの戦士よりも恐ろしい化け物のように見えた。
キャラクター紹介(ライト版)
ローランド・ヴァイスベート)レベル147。種族、ハイ・エレ・アルカン。先代剣王に仕えた最強の剣士。見目麗しい奥方との一夜の恋に興じることを至上としている。不倫常習犯。「アスハンドラの蒼き稲妻」と呼ばれている。
レオン・ベンウィック)レベル129。種族、ハイ・エレ・アルカン。先代剣王とともに防衛戦争に参加したが、長城での戦いの直前に負傷によって後送。共に死ねなかったことを恥じているきらいがある。




