推測される逃亡者
その一ツ目鬼は先日の亡命作戦でシドらと同乗していた外事院の男だ。つい昨日の夜にシドに仕事帰りを捕まり、どういうわけか今大型船の船底に軟禁されていた。外に出ようにも鍵がかけられ、時折顔を出しにくるシドが人事名簿や周辺の海図を置いていき整理を任されるという雑用を強いられていた。
その一ツ目鬼ことエオーノマは不承不承といった様子で整理に取り掛かり、つい先ほどようやく雑務から解放されたのだ。その矢先に入ってきたシドに彼が恨みがましい目を向けたことは想像にかたくない。
「俺は極力平行して仕事を終わらせたいんだよ。まぁ今日の密談が波風立てずに終わってくれたら今頃エオーノマ君は俺の見事な土下座に眼福だったことだろうよ」
「はぁ、そうですか。で、私には何をさせてるんです?」
「んー。ちょっとした内部調査だね」
そう言ってシドは海図のある一点に赤いピンを刺した。ピンが刺された場所はつい先日亡命船が沈んだ場所だ。ピンを刺し終わると今度は赤いペンで海図をなぞり、最終的にはヤシュニナと帝国をピンを通して赤い線で結んだ。書かれた赤線が航海路だとエオーノマが気づくと彼は手元にあった資料をパラパラとめくり始めた。
「才氏シド。一体どういう意図であの日の航海路を?」
「なんでだと思う?」
質問に質問で返され、エオーノマは少し顔をしかめるが、素直にシドの意図を探ろうとかれは単眼を手元の資料に移した。海路としては至極まともだ。ヤシュニナの海事院で調査された大型海洋生物の出没海域をうまくかわしている。帝国の領海を抜ければ近隣に帝国の息がかかった国がないことも考慮している。
海路にはなんら怪しい点は見られない。だがシドは海路を描いてみせた。それは彼なりに何か訴えたいことがあるからではないか?眉間に皺を寄せてエオーノマは頭を回すが、いっこうに良い考えは出てこなかった。
「……申し訳ありませんがわかりません。答えはなんですか、才氏シド」
「あらら。じゃぁ答えを言おっか。答えは大型船でもなきゃ航行不能なルートってことだ」
「バカにしているんですか?」
「いやいや大真面目、大真面目。ここは順を追って説明した方が早いかな」
不平不満を口にするエオーノマへシドはつい先ほどの秘密会談の内容を伝えた。そして話を聞き終わるとエオーノマは自慢の一つ目を細めて見せた。
「それは妙な話ですな。仮に帝国の使者殿が口にした言葉が真実ならば、かなり早い段階でテリスの死を知っていたことになります。そして我々はテリスの死を公表していない」
そう、ヤシュニナはテリス・ド・レヴォーカの死を確認はしているが公表はしていない。あくまでヤシュニナの首脳部が帝国へ伝えたのは草案の存在だけだ。会談に応じなきゃこの中身をばら撒くぞ、と脅した上で今日の秘密会談は成り立っている。
帝国の内部情報を知っている人間が生きているか死んでいるかは状況を大いに左右する。生きていれば疑心暗鬼に陥れ、死んでいれば安心感を抱かせる。他にも諸々の理由でヤシュニナはテリスの死を伏せていた。
「仮に帝国がテリスの死を掴んだとしてどのように?——ああ、そういうことですか」
「そそ。帝国がこっちの情報を掴むにしても必ずトーリンの海を横断しなきゃいけない。でもそれには数日じゃ無理だ。仮に帝国のスパイがヤシュニナの情報部深くにいるにしても2週間はかかると見積もっていい。自前で船を用意できるにしても渡航申請は厳重だからね」
「ですがそれはあくまでヤシュニナ本土から、の話ですよね?もしあの日あの場所から直接帝国へ向かったとすれば甘く見積もって三、四日といったところでしょうか?」
そのとおり、とシドはエオーノマを指さした。エオーノマ自身も納得がいく話だ。亡命船を襲撃した中にいた何者かが沈没する船の中からテリス死亡の情報をもって脱出した、と考えれば辻褄は合う。実際今回の密談に応じる帝国の反応は非常に早いものだった。すでにある程度こちら側の情報を掴んでいたとすれば、その判断の早さは納得がいく。
しかし疑問はある。
「寒中水泳をするにしても寒すぎるトーリンの海を渡るとなれば水棲系の亜人種でしょうか?」
「それはないだろ。あの国は水棲系亜人種を塩焼きにするような国だぞ?」
「ですよね。となると高位の戦士ということになりますが」
「最低でも武闘派の将軍級と見るべきだな。帝国の元帥ならありえない話じゃないけど」
煬人の、それも人種の中では劣等種と言ってもよいエレ・アルカンが100レベルを超える事はそう多くはない。ヤシュニナが確認している帝国内の100レベルを超えている煬人はシドが口にした元帥と一部の将軍、その直属の指揮官級くらいで100人かそこらだろう。
「そいつらがあの船にいたってことは考えられない。それこそ今いる帝国の将軍は半分以上は西の大長城だからな」
「帝国内部にまだ将軍級猛者がいる。嫌な話です」
「ま、襲撃者の中にいるって可能性もあったけどね」
そう言ってシドは襲撃者についてまとめらたファイルを引っこ抜いた。開くと特徴的な髑髏の仮面を被った人間の絵付きで見つかった遺体について事細かに書かれていた。
「龍面髑髏って言うんだっけ?」
「ええ。元々は帝国北部を根城にしていた特殊な製鉄技術の伝承者達です。しかし中々人里に降りてくる事はない、と聞いています」
「鍛治師のくせに戦闘力高いよなぁ」
「武器を打つ人間が武器を使えないは致命的なのでは?」
「それもそうか。ディプロテクターとかとレベルでいえばどっこいどっこいだったろうしな」
しかしそんな均衡状態にレベル100の異物が混入すれば状況は一変する。それが武器使いであれ、魔法詠唱者であれ、暗殺者であれ、技巧者であれ、レベル100に達した人間とそうでない人間との間には隔絶した力量差が存在する。
狭い船内となればインクを白紙に滲ませるように毒牙は急速に浸透する。沈没した亡命船には必要最低人数の人間しか乗せていなかったし、人選をしたのはエオーノマをはじめとした外事院の亡命作戦グループだ。ある程度の追撃者が仕掛けてくることは想定していたが、その中にレベル100以上の猛者が含まれているとは考えていなかった。
いや想定できなかったと言う方が適切だ。将軍級やその配下が追撃部隊に加わらないと考え作戦は練られていた。事実その通りだったわけだが、帝国が予想外の暗殺部隊を持っていた。この時点で帝国の方がヤシュニナよりも上手だったことは事実だ。
「——才氏シドはその実力者が今後もヤシュニナに干渉してくるとお考えで?」
「十中八九な。本来ならテリスの身柄込みで文書の正当性を持たせたかったんだが、片っ方じゃ効力半減だろうしな」
テリスという公的に身分が保証されている人間が文書の正当性を認めるからこそ、シド達が持つ新税の草案は意味があるのだ。説得力を与えることができる人材を欠いた状態では先のような秘密協定を結ぶのがせいぜいだ。それも今回限りの極めて限定的な協定だ。
今後五年の平和は水泡に帰した。ヤシュニナは備えなければならなかった。今後予想される帝国の攻撃に。それを想像するとシドもエオーノマも頭痛を覚えた。
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