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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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ファイヤー&ガン・ファイアー

 アスカラオルト帝国軍の本陣、その中央から少し外れた場所にある帝国正規軍の陣地内には忌々しげにロサ公国軍が陣を敷いている人間が多くおり、彼らの目は一様に血走っていて、階級が下になればなるほどに負傷の跡が目立っていた。自軍が発している軍団技巧(レギオン・アーツ)叫天激(ハーファーン)」すらも雑音とばかりに、あるいは思い起こしたくもない古傷と無惨な記憶を呼び起こさせる起爆剤のように嫌悪すらしていた。


 叫天激が味方には作用しない軍団技巧とはいえ、彼らにとって兵士の咆哮とはすなわち戦場での戦場音楽を意味する。否応無しに戦場のことを呼び起こさせる軍団技巧を最初は納得していたが、時間が経つにつれて嫌悪の感情が高まっていき、隠すこともなく苛立ちが顔に出始めていた。


 その苛立ちをぶつけようにも周りには味方しかいない。味方に対して向ける剣など誰も持っていない。いつだって剣を向ける相手は敵と相場が決まっている。だからこの世に明確な「裏切り」という言葉はない。叛逆という言葉もない。少なくとも個人の主観の世界の中では。


 「ファシュ少将。すでに兵士を退いてから三日目が終わりました。非常に申し上げにくいことではありますが、彼らの忍耐が切れつつあります」


 「たった三日で?それほどに帝国正規兵とは我慢弱かったと言うのか?」


 帝国正規軍陣地の一角に設けられたテント、その中にはつい三日前に睾丸を北方方面軍の司令官であるリオメイラ本人に潰されて寝込んでいるマルセルを除く大隊長以上の将校が揃っていた。彼らは大きく分けて二分した容姿を持ち、自然とテントの上座から見て右側には身なりが整った将校が、反対側には傷を負った将校が固まっていた。


 上座に座るリュカ・ファシュ少将は難しそうな表情で交互に彼らへ視線を向けた。片やリオメイラが睾丸を潰す光景を見てしまって弱腰化した将校達、片やロサ公国軍に散々に打ち破られ、復讐と憎悪に燃える幽鬼と化した将校達という対極に位置する彼らをどうまとめるべきか、少なくともリュカにはそれができる自信はなかった。


 口では勇ましいことを言うが、リュカは元々は前線に立つような人間ではなく、後方での指揮を本懐とする将校だ。一般の兵士に比べればはるかに強いことは確かだが、常に前線に立って戦斧やら矛やらを振るう武闘派と比べるとひとまわりもふたまわりも見劣りし、もし彼らが強硬に軍を動かそうとすれば止める手立てはない。


 そもそもリュカは上座にこそ座っているが、明確な彼らにとっての指揮官というわけではない。あくまでリュカは代行だ。本来のこの帝国正規軍中で、最も階級が高かったマルセルが療養しているため、その場にいた将校の中からリュカが選ばれたにすぎないのだ。もしこれで小将軍がリュカしかいなければ話もまた変わったのかもしれないが、あいにくとリュカを含めて小将軍級は8人もいる。その半分はどちらかと言えば抗戦派で、残り四人の内で例の事件を目撃した人間はリュカともう一人だけ。残る二人はその時はそれぞれが丘陵の司令所にいたせいで、気持ちとしては前者に近い。


 「やはりどの兵士も殺気立っています。栄光と誉ある帝国正規軍がああもいいようにやられ、あまつさえ雪辱戦すら許されないのですから」


 「個人の感情で軍が動くか!私はルカ中将の代理としてプロヴァンス公より厳命されている。決してこちらから打って出るな、と。それを反故にして突撃するようなことがあれば軍規に照らし、処断する用意がこちらにはある!」


 「しかし、このままではせっかく我々が積み上げた兵士は無駄死にということになります。せめて陳情することをお許し願いたい!」


 「意味がない。何度も言うが、プロヴァンス公は動かん。あのお方はいるかもわからない一人の男を恐れていらっしゃるからな。そして総大将が動かぬ、と決めたならば私もまた動くことはない。帝国軍人としてそれが忠節というものであろうが」


 「忠節はご立派ですが、このまま何もせずにいるといつか兵士達の中に不満に思って暴発する輩も出てくるやもしれません。納得のいく説明をプロヴァンス公本人からしていただきたい!」


 ああ言えばこう言うとはこのような状況のことを言うのだろう。どれだけリュカが否定しようと将校達は納得しようとしない。頑なに軍を動かそうとする彼らに何を言ったところで無意味だ。


 頭を抱えたくなり、リュカは瞑目し、上唇の水分を吸った。リュカ個人の感情で言えば、この拮抗状態で軍を動かすことには賛成だ。1万弱に対して8万強の帝国軍が尻込みをするなど許されない。リオメイラを恐れていることが主戦派の半数との違いだが、そこさえなければリュカは最初から主戦派だ。


 「——わかった。明日、プロヴァンス公へ上申しよう。無論、あの公爵が首肯しなければ意味はないが」

 「わかりました。それで結構です。いざとなれば」


 「みなまで言うな。それは私も思っていることだが、指揮官であらせられる公爵の許可なく軍を動かすことはできない。公爵が首肯しなければ、諦めろ」


 そう言ってリュカが席を立とうとすると、外側に喧騒があった。夜の酒を楽しんでいるのかと思ったが、そういう感じではない。声に恐怖が混じっていた。


 「なんだ、何が起きている?」


 嫌な予感がして剣に手を伸ばすリュカは恐る恐る幕に手をかける。まさにその直後、血の匂いが顔面に直撃した。嫌というほど西方の国境付近で嗅いだ血臭。瞬時にリュカの思考モードは戦闘用のそれになり、剣を抜いて彼は天幕の外へと躍り出た。


 天幕の向こうでは悲鳴が聞こえた。遠くから漂う血臭も相まって、悲鳴は遠い。陣地を隔てる外周部から火の手が上がり、悲鳴も血臭もそちらから来ている。


 「何があった!」


 近場の兵士を捕まえてリュカは状況の説明を命令する。


 「ファシュ少将。敵襲です。ロサ公国と思しき軍が夜襲を仕掛けてきました!」

 「なぜ、すぐに知らせなかった!」


 「ファシュ少将。でんれ、あ」

 「ちぃ。入れ違いか。状況を説明しろ」


 捕まえていた兵士の襟首から手を放し、リュカは今まさに馬に乗って現れた兵士へと向き直った。


 「ロサ公国と思しき軍による奇襲攻撃であります。数は不明。松明をことごとく倒され、情報が錯綜しております!」


 「なるほど、厄介な。おそらく、精兵だろう。でなければ松明を倒しても同士討ちをしかねない」


 状況を飲み込んだリュカはすぐに正規軍を本陣周りに集めるように命令を下す。彼の命令を受けた兵士が馬に乗って駆けていくが、どれだけ命令が伝達できるかはわからない。恐らくは夜目が効く、あるいは夜闇を見通す類のスキルを使える人間を使っての奇襲であることは想像に難くはない。


 ロサ公国もなりふり構っていられなくなった、と考えるべきだ。精兵をこのような無謀とも言える夜襲に使うなど帝国軍であれば候補にすら上がらない下策だ。本陣が置かれている平野部を夜闇に紛れて駆け抜けるその胆力は見事と言わざるを得ないが、裏を返せばそれはただの蛮勇に他ならない。松明を倒してこちらを撹乱し、夜闇に紛れて再び逃げようと考えたのかもしれないが、帝国正規軍を侮っているにもほどがある。


 笑みを浮かべながらリュカは随時指示を出し、燃える外周部を蠱惑的な眼差しで見つめた。数がわからない、と伝令の兵士は言っていたが、どんなに多く見積もっても500かそこらだろう、とリュカは見積もっていた。それ以上となるとさすがに見張りの兵士が気づくし、何より目立つ。仮に馬を持ってきたとすれば数はさらに少ないだろう。


 ロサ公国軍の奇襲がうまくいった要因は二つある。一つは彼らの能力、もう一つは大隊長以上の指揮官が不在だったことだ。前者は言わずもがな、後者は指揮系統の混乱を招き、今のカオスを産んでしまった。こればかりはリュカ自身も自分の落ち度だった、と認めざるを得ない。だが、そのカオスももうすぐ終わる。各所へ派遣された大隊長が指揮系統を回復させ、人海戦術という名の数の暴力で攻め込んできたロサ公国兵を皆殺しにする絵面を想像するだけで体が熱くなるように感じた。


 「報告、報告!」


 「なんだ。もう終わったのか?」


 「いえ、違います!ゴーダマ二等歩兵武官死亡、並びにその指揮下の第478歩兵大隊が壊滅!」

 「なに?」


 「報告いたします!ティッツ一等歩兵武官討ち死に!同官麾下の第488歩兵大隊も損害大!」

 「何が起こっている!上位の指揮官が立て続けに戦死とはどういうことだ!」


 声を荒げ、リュカは外周部を臨む。帝国軍での大隊規模とはざっと五百人から七百人規模の軍隊だ。武官の等級が上がるにつれて麾下の大隊の人数は増えていき、一等武官ともなればその麾下兵数は一千人規模になる。それが損害大という報告を受け、リュカの眉間に青筋が立った。


 北方方面軍の兵士が弱いということはない。平地で同数での戦いならば、帝国中央軍にも勝利しうる自負がある。それが壊滅、損害大などという報告を受けて安心できるわけがない。


 「何が起きている?あの火炎の真下で何が起きているんだ!?」


 彼のその疑問に答えるかのように、帝国軍の陣地全体に響くような強烈な銃声が夜闇につぶさに轟いた。それはさながら100年の眠りから覚めた禽獣の咆哮だった。一瞬で戦意を喪失させる悪魔の轟き、リュカも、彼の部下達も、誰もが聞いたことのない破壊的な銃火のいななきだった。

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