ファイト・イージー
空間が歪むと同時にシャルラの見知った人間がまるで見計らったかのように現れた。
黒い衣装に身を包んだ灰色の髪の中性的な男性。右手には黒真珠の杖を、左手には禍々しい波動を感じる鉄剣を握った邪悪な魔法使いの登場だ。
その前触れのない登場にシャルラはもちろん、対峙していてなおかつ攻撃を受け止められた銀髪の男も瞠目していた。脳が情報量に耐えられずパンクする、とまではいかないが、状況を理解できないレベルまで困惑する状況だった。それほどに黒衣の男、シドの登場は二人にとっても、彼らの部下にとっても予想外で、特に銀髪の男にとっては警戒のボルテージを引き上げるには十分だった。
シドに受け止められた剣を払い、銀髪の男は距離を取る。当然だ。まずもってシドは得体が知れない。シャルラからすればなんでシドが現れたのかは見当がつく。シドはヤシュニナでも数少ない瞬間転移が使える人間だからだ。距離の制限はあるらしいが、本陣が置かれている中央丘からシャルラが戦っていた正面左翼の丘のふもとまでは余裕で飛んでこれるのだろう。
「誰だ、貴様」
その情報がない銀髪の男の瞳は険しい。横紙破りも甚だしいシドの登場にひどく苛立っている。同時に恐れてもいる。突然現れるという突飛な登場の仕方、それはさながらひどい手品を見ているようだったことだろう。
声に込められているのは怒り、同様に焦りもある。シャルラだけならば倒せると踏んでいたのだろうが、盤外からの参戦は予想外で、このまま継戦していいものかと思い悩んでいるのだ。その空白、思考の穴が銀髪の男にとって有利に働くことなどなかった。
「答えるかよ」
一瞬だ。一瞬で銀髪の男は顔面を掴まれ、思いっきり雪の上に叩き伏せられた。
「こっちも強兵を失うのは困るんでな。寝てろ」
「断る」
「ぁ?」
刹那、シド目掛けて銀髪の男が剣を振るった。予想外の攻撃だったのか、シドの対応が遅れ、彼の鼻先が切れた。鮮血がこぼれ、それに反応してシドの眼の色が黒から金へと変わった。
シドの瞳の色が金に変わる。それは彼が「変形魔法」を解いた合図だ。本気出た戦う時、彼は普段は変形魔法を用いて弄っている骨格をもとに戻す。変形魔法の練度が低いシドでは変形させても数分で元に戻ってしまい、印象操作の意味がない。平時はこれを掛け続けることで体を変形させているが、その分だけ魔力も消費する。変形魔法を解けばその分の魔力を戦闘に回すことができる。
魔法使いにとって魔力はとても重要な命綱だ。彼らの生存能力と戦闘力はほぼ魔力に依存している。シドのように剣も使ういわゆる魔法剣士のようなタイプもいるにはいるが、それは基本的に中途半端な能力構成になりやすく、必要以上に魔力や技巧を使うための気力を消費する傾向にある。つまり、シドにとっては戦闘において無駄遣いは許されないシビアな懐事情というわけだ。
「しょうがねぇなぁ。遊んでやるからかかってこい」
「ふざけるな。なぶり殺しにしてくれる」
銀髪の男は吠え、そのトップへヴィーな剣を振るう。シドは軽々とその攻撃を避け、無詠唱で火球を放った。火球は男に触れると同時に爆ぜる。悲鳴が炎の隙間から漏れ聞こえ、炎を掻き分けて銀髪の男は躍り出る。鈍重な剣を振るい、シドへと切り掛かるが、警戒をしているシドには当たらない。
振られる剣を何度となくシドは躱す。躱して躱して躱し続ける。さながら遊ぶように。プスプスと炎がまだ男のコートの上で踊っていることも相まって、ただでさえ険しかった男の表情はいっそ断崖絶壁の峡谷のような峻険さを見せていた。
「ちぃ!」
「おいおいどうした!その程度でシャルラを追い詰められるわけじゃないだろ!本気でやれ!本気でやんねーと俺には勝てないぞ!」
「バカか?ここで死ぬつもりがないのに、本気でやるわけないだろ。貴様にはグリペルングで十分だ」
グリペルングとは銀髪の男が握っている奇形の剣のことだ。主にオルト地方北部に伝来している剣だということをシャルラは男の発言を聞いて思い出した。
元はとある鍛治師の一団が作った対魔獣用の剣だ。人間を相手にするには小回りが効かず、重心が偏っているため扱いにくい。それを器用に、かつ正確に振るってくる銀髪の男の攻撃は彼の練度を物語っていた。
銀髪の男は一歩踏み込むと、突きを放つ。剣を使ってシドはそれを受け流そうとする。その行動を予期していたとばかりに銀髪の男はさらにもう一撃を加えた。ほぼ間断のない二連撃、それはタイミングを完璧に合わせたシドの鉄剣を弾き、彼の左腕を掠めた。
「めんどくさ!」
「よく喋る!」
面倒臭そうにシドは銀髪の男の剣を弾く。両者はほぼゼロ距離で剣を打ち合っていた。超近距離で魔法を使えば、魔法の効果に巻き込まれる可能性が大きい。実質的にシドは剣士としての実力だけで戦うことを余儀なくされていた。
シドはいわゆる魔法剣士だ。プレイヤー間の非公式なクラス区分ではブレード・エレメンタリストと呼ばれている。ブレード・エレメンタリストは剣と魔法、その二つを器用に使いこなせるクラスだ。しかしどちらかと言えば器用貧乏な面があり、大抵は剣技か魔法のどちらかを補助的な役割で習得しているケースが多い。シドの場合に照らし合わせれば魔法が主武器で、剣技が補助武器だ。
「SoleiU Project」のゲームシステム上、「魔法も剣技もどちらも最高、僕は最強、天才!」は不可能だ。それと言うのも一部の例外的なスキルを除いて、個としての強さはレベル100までの積み重ねでほぼ最高になってしまう。レベル101から得る強さはそれまでの積み重ねの延長線上でしかなく、有体に言えばステータスの割り振りとスキルの習得はレベル100以上からは行うことができない。
例えばレベル100までに筋力と敏捷力に特化したステータスに振り分けた人間はレベル101になってもその特化した部分が大幅に伸び、それ以外の部分は小幅に伸びる。スキルに関しては言わずもがな、1レベル上がるごとに得られるスキルポイントを割り振ってスキルレベルを上げたり、なんらかのクエストをクリアしてスキルを得ることができる。特殊なクエストをクリアしてレベル100以降も得られるスキルはあるが、それらのスキルレベルを上げるには提示された条件を順々にクリアしていくしかない。
レベル100までに得られるステータスポイントとスキルポイントには限界があるという理屈上、よく考えてステータスとスキルを決めなければならない。プレイヤーに限るが、最悪はキャラリセットという手段を取ることもできるが、これまでの研鑽が水疱に帰す行為は避けたい人間がほとんどだ。
特に魔法使いはスキルポイントがシビアだ。まず魔法を習得するために「魔法文字読解」というスキルが必要になる。このスキルのレベルが上がるごとにより高度な魔法文字が読解できるようになるという仕組みだ。他にも魔法の効果を底上げするスキルなんかもある。戦士にとての魔法である技巧にも似た部分はあるが、技巧は「魔法文字読解」という無駄食いスキル(プレイヤー談)がないため、スキルポイントには余裕が生じる。
「SoleiU Project」というゲームで魔法使いが少ない原因はまさにこれだ。余計にスキルポイントを消費するスキルがあるから、その理由だけで嫌われている。他にも魔法を無詠唱化するスキルを習得するまではいちいち詠唱しなくてはいけない、語学の勉強みたい、ストレス、という元も子もない理由でとにかく嫌われている。
さて、ここでシドのクラス、ブレード・エレメンタリストに戻るが、先にも説明したようにブレード・エレメンタリストは魔法剣士だ。シドは魔法を主武器とし、剣技を補助武器にしているとも言った。では剣技だけを見ればシドのレベル的な強さはどれくらいなのか。
答えは100レベル以下、90レベル以上だ。ちなみに魔法使いとしてのレベルは大体130レベル後半である。
つまり、今対峙している100レベルを超える銀髪の男にシドは剣技では勝てないということだ。
「へーんだ。そんなこたぁわかってますよっと!」
シドの剣が跳ねる。ウサギのように跳ねる。それは決して比喩的な表現ではなく、文字通りにシドの剣は空を跳ね、銀髪の男の持つグリペルングの刀身と柄の接合部、鍔のないグリペルングの最も脆い点とも言える場所目掛けて強烈な突きを放った。空が切れる音が聞こえ、続いて鋼が砕ける音が響いた。
武器の性能で言えばシドの持つ鉄剣の方が数段勝る。真正面からの攻撃を受ければ伝説級にすら及ばないグリペルングが砕けるのは必然だ。
「剣がなきゃこっちのもんだ。本気ださねーからこうなんだよ」
柄から崩れたグリペルングを男は無言のまま見つめている。自身ありげ、自慢げに語るシドを無視して彼はグリペルングの柄を興味がなさそうに雪上に放り捨てた。
「なんだ、降参か?」
少し退屈そうにシドは問いかける。しかし男は大きく頭を振った。
「いささか、不快だな。自分よりも劣る剣士に本気を出さなくてはならないとはな」
気がつくと、男の手には一振りの長剣が握られていた。美しい銀色の刀身を持つ奇形の剣。先端が鎌のように曲がったそれは柄も長く、槍とまではいかなくとも裕に50センチ以上はあった。明らかに異質な気配、伝説級の武器以上の性能を秘めていることを読み取ったシドは即座に無詠唱の防御魔法を行使する。どんな攻撃であっても一回は無効化する、そういう特性を持った防御魔法だ。オレンジ色の光壁が彼を守るように現れ、それはシャルラ達、殿の兵士達も巻き込んだ大規模なものになった。
——それは正しい判断だった。
男が剣を振るうと同時に防御魔法を使っていたにも関わらず、シドの足が地面を離れた。さながら凍てつく風が過ぎ去ったように、彼の体は宙を舞った。彼だけではないシャルラ達もだ。
「なんだそりゃ!?」
口で驚いてみせながらも、シドは視線を男の剣から外してはいなかった。。シャルラも改めて銀髪の男が持つ剣に視線を向け、自分の持つ記憶の中から当てはまりそうな武器を探した。パタパタと伝説級から幻想級、そして神話級と様々な武器の記憶が彼の中で流れるが、該当するものはない。もっともそれはわかっていたことだから彼としては落胆する要素はない。
「SoleiU Project」内で外装がわかっているものはボスモンスターからドロップした武器、イベントやクエストで得られる武器に限られる。武器の外装を多彩に変えられる自由度の高さからオリジナルの武器が多数を占めているのがこのゲームの特徴でもある。
シドが持っている「黒真珠の杖」がそのいい例だ。あとは皇帝シリーズなどがシドには馴染み深い。皇帝シリーズは初めからオリジナルの外装になることを前提とした武器シリーズだ。「〇〇皇帝の霊蓋」というレアドロップアイテムを生産系スキルを持つ人間が加工することで強力無比な皇帝シリーズという神話級武装になる。
銀髪の男が持っている剣もそれと同じ類なのだろう。等級は目算で幻想級。属性武器であることは一太刀で冷気を帯びた風を巻き起こしたことからも明白だ。
シドが展開した防壁によって目立ったダメージを負った人間はいない。しかし、敵が彼だけではない状況下でああも強力な武器を出されるとはシドも思ってはいなかったのだろう。嫌そうにため息を吐く彼の姿が、シャルラには厄介ごとに首を突っ込んだことを後悔しているように見えた。
「しゃぁねぇなぁ!」
鉄剣をしまい、シドは新たな剣を何もない空間から引き出した。それはシャルラにも見覚えがある剣、死の鉄剣だ。まごうことなき神話級武装。その固有能力「XeLO」はあらゆる鉄装備保持者、鉱石系種族に対して高い特攻能力を持つ。この世界で最も強力な武器にも鉱石は使われている。鉱石を使わず、植物や皮などを用いた武器は少なく、レベル差があってもグアサングならば致命傷を与えることは可能だ。
その見た目はあまり知られていないが、放つ気配の禍々しさは銀髪の男が握る剣の比ではない。男は目頭を寄せ、顎を引いた。彼が一歩踏み込むと同時にシドが動いた。
正面からの袈裟斬り。しかし男の反射速度ならば容易に対応できる速度だ。両者の武器が交錯し、シドの武器からは死の気配が、男の武器からは凍てつく冷気が迸る。黒と白、二つの相反する属性が違いに絡み合い、激しく煌めきを発した。
それは派手な光の爆発だったが、せめぎ合う両者の剣撃に比べればただ明るいだけで、それ以上の輝きはなかった。シドと銀髪の男は違いにスキルと技巧を惜しみなく用い、剣を交わす。スキルの量はブレード・エレメンタリストであるシドの方が多いが、それを加味しても余りある技術で男はシドの剣撃の合間を縫い、鋭い突きと斬撃を繰り出してきた。
「お前、剣士って感じじゃないな。どっちかっていうと軽業士って感じだぜ?」
戦いの最中、シドは口を開く。まだ余裕があることのアピールか、それとも相手の意識を逸らすことが目的か。シドの問いかけを男は無視するが、なおも彼は話を続けた。
「筋力が純粋な剣士よりも低い。代わりに敏捷力が高い。あと反応速度もだ。お前ら猟兵はそういう兵種なんだってことはわかっていたが、戦ってみるとそのめんどくささがよくわかるよ」
男は無視して、攻撃を続ける。しゃべることに夢中になっているのか、男の斬撃の方がシドによく当たるようになった。
「ま、だからさ。そういう相手には。こうするのが一番だよなぁ?」
両者の剣が真正面からぶつかり合う。すぐに男は剣を返して次の攻撃に移ろうとしたが、逆にシドめがけて前のめりに倒れた。なんで、と彼の瞳孔が開かれるが、それは単純だ。シドが思い切り重心を前に傾け、ほぼ強制的に鍔迫り合いに持ち込み、相手の胴をガラ空きにしたからだ。言うなれば重心崩し。剣を地面に押さえつけられ、男の両腕はピクリとも動かなくなった。
単純な話、シドと銀髪の男とでは筋力が違う。シドの筋力はレベル150の魔法剣士のそれ、片や銀髪の男の筋力はレベル100台の軽業士のそれだ。剣士としての技量はシドよりも銀髪の男が勝るだろうが、技量もへったくれもないステータスという数字の暴力ではシドが圧倒的に彼の上をいく。
地面に剣を押さえつけられ、瞠目する銀髪の男にシドはさらに追い討ちをかける。無詠唱化した火球が二人の間に生成され、それは数秒後には臨界しそうなほど膨張していた。驚いたように銀髪の男は敏捷力上昇の技巧で逃げようとするが、杖を捨てたシドの右手が彼の襟首を掴んで離さない。ジタバタと男はもがくが、シドの、150レベルの筋力は離すことを許さない。
爆炎が熾る。夜闇の中に火柱が立った。戦場にいるすべての人間が天高く昇ったその火柱を目撃した。
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次話投稿は明日を予定しています。




