夜中戦闘
静かに粛々と人が上と下を忙しそうに移動する。
雪が積もったなだらかな丘を徒歩で、車輪も雪車もなく登ったり、降ったりを繰り返すなど大腿部が膨れ上がるだけでは済まない。体は登るごとに重くなり、足は踏ん張りがつかなくなる。何人も滑り落ち、雪まみれになってようやく荷運びを終えたと思ったら、また登っていかなくてはならない。
足元もおぼつかない、わずかな月明かりを頼りに武器が入った木箱をおっかなびっくり抱えて降りる恐怖は尋常ではない。武器が入った木箱だけならまだいい。重要な書類、例えば地図、動員数が書かれた書類などが入っている木箱は燃やすわけにもいかないため厳重に釘打ちされ、慎重に下へと降ろされていった。
息を整える間もなく、丘陵の登山と下山を繰り返すのだ。胸は張り裂けんばかりにバクバクと揺れ動く。中には戦傷が響く兵士もいる。包帯に血がにじみ、喉をがらがらと鳴らす彼らを他所に、まだ元気な兵士達は間断なく動いていた。
その様子を眺めつつ、カルバリーはポケットからタバコを取り出すが、火をつけないまま口にくわえた。薄い煙、かすかな点火でも目がいいものであればわかるかもしれない世界だ。撤退戦という神経をすり減らす仕事をしている中の喫煙は慎むべきだ。だがやはり口元が寂しい。喉が煙を欲している。妥協して火の点いていないタバコをくわえることで口寂しさを紛らわしていた。つまらなそうに荷物を丘からおろすロサ公国軍を眺める彼を部下の一人がたしなめた。
「師父カルバリー、そんなにつまらなそうにせんでください。こっちまで気が滅入る」
「わかっていますよ。待ってました、みたいな反応をシドの前でした手前、やりたくなくてもやる気を出さざるを得ません。全周警戒はしているので心配なきよう」
「ま、俺らのいつもの業務と似通っちゃいますが、守るべきものが多過ぎるのは問題ですよねぇ」
部下の軽口にカルバリーは深く首肯した。
カルバリーはシドの副官だ。一応もう一人、アディンという西の王者の青年がいるが、あちらがデスクワーク担当であるのに対して、カルバリーは実務、もとい実戦担当だ。ここでいう実戦とは多岐にわたる。例えば交渉、例えば才氏職の代行、例えば護衛、例えば部下の練兵、例えばシドの無茶振りに付き合う等々、様々な仕事をこなすことが多い。
もっぱらカルバリーの仕事はシドの護衛だが、そのシド本人が自由奔放に色々なところを回ったり、他の人間を護衛に付けることが多いため、カルバリーが護衛として起用されるのは予測不可能な事態が起こるかもしれない魔境などへシドが行くときに限られる。それ以外の時間、例えばシドがヤシュニナ本土にいるときは彼の護衛をその他の業務と並行して行っているマルチワーカーだ。
いつもはそれでもいい。シド本人の強さ、部下達の練度、護衛対象がシドしかいないこともあって苦労することはない。だが彼らの目の前に今いるのは1,000人近いロサ公国の将兵達だ。レベルの平均値は30から40のどこかだろう。最精鋭である騎兵はなく、二線級の歩兵ばかり、殿に回っている本陣からの兵士でも40レベル台だ。レベルがすべてとは言わないが、少しでも戦力差を埋めるためには高レベルの人間が欲しい。
「他はどうですか?滞りなく?」
「おそらく?ここ以外には隊長達がいますので」
ああ、とカルバリーはうなずいた。
カルバリー麾下の部隊、彼らの平均レベルは80台と人間種国家の中では十分高い。特に部隊長三人のレベルは90を超え、100に迫っている。単純にレベルを蓄積しただけでなく、その身体能力を遺憾無く発揮できるように訓練された彼らはそんじょそこらの100レベル越えよりもはるかに強い。
もしそんな彼らが苦しめられる相手がいるのだとすれば、それは同じような訓練をし、なおかつきちんとした下積みを経験している相手くらいなものだろう。それも凄惨で過酷で壮絶な下積みを。
✳︎
剣と剣が交差する。夜の闇を掻き分けるように。
二振りの剣はどちらも銀色の輝きを発しているが、その形状は全く異なっている。片方は正統派の直剣だ。派手な装飾はなく、極めて実直、洗練された形状はまさしく剣とはかくあるべしと言わんばかりの流麗さがあった。片や相対する剣はもはや剣なのかもわからない。トップへヴィー、先端に近づくに連れて刀身の幅が広がり、カットラスのように大きく沿った刀身を持つその剣は切るというよりも殴る、という点に重きが置かれているように見えた。
形状こそ剣ではあるが、片方が握っている武器はどちらかと言えばメイスに近い。切れるメイスという表現がふさわしく、刀身の長さは直剣と同じながら重量はその1.5倍以上はあるだろう。
斬撃武器と打突武器。この二つが真正面からぶつかると散る火花の量は周りを照らすほどだ。ガンガンと剣と剣が交錯する音ではない音が鳴り響き、攻撃と攻撃の合間には互いの息が短く漏れた。
月下、剣を交錯させるのは二人の戦士。
一人は長い銀髪の男、青い瞳は鋭く、彼が放つ殺気はひどく冷めていた。茶色い毛皮のコートを纏ったその男は月明かりの中で青白く映える美丈夫で、雪中においてまるでダンスを刻むかのように軽やかに舞い踊った。もう片方は黒いサーコートを着た金髪の男、口元をマスクで隠した黒瞳白瞳の彼は冷静沈着、動きは最小限に銀髪の戦士の攻撃を切り返す。
両者の技量はほぼ互角と言えた。互いの武器が交錯するや否や次の攻撃のための動作に入り、間髪入れず、間断なく切り結んだ。そのことを金髪の男、シャルラ・イルラーは歯痒く思っていた。
シャルラの剣技はヤシュニナ最強の剣士である刃令なのはなさん直伝の技だ。精度で言えば彼に届かず、まして勝るわけもないが、あの「剣聖」リドルを相手にして、十本勝負を勝ち越す剣技の腕を持つ男から教わった技は並の剣技を凌駕する。極めて実践的でありながら攻撃一つ一つの繋ぎがさながら小川のような流麗さで紡がれるなのはなさんの剣技は大陸最強である、とシャルラは思っていた。
その剣技が通用しない。否、かろうじて肉薄しているだけだ、と彼が悟ったのは目の前の銀髪の男と三合ほど打ち合ってからだ。
名乗りはしなかったが、相当な兵だ。剣技においてはシャルラ以上、あらゆる面でシャルラを凌駕している。シャルラがかろうじて肉薄できるのは彼が長年にわたってなのはなさんの技を受けてきたからだ。神速を超えたなのはなさんの剣技に目が慣れ、相手の動きがゆっくりと見えるからだ。この点だけが唯一シャルラが銀髪の男に勝っている点だ。
なのはなさん直伝の技をこれみよがしに使っておいて負ける。それが彼には許せなかった。ゆえに歯痒かった。自分が最強、自分が天下一などと思ったことはない。上を見れば上司のカルバリーやさらにその上のシド、ヤシュニナ最強の双剣使いであるノタ、「剣聖」リドルなど強者はいくらでもいる。しかし、だからと言って鍛錬を怠ってもいいなどという道理はない。目の前の相手が強いからと悲観することは許されない。
「しぃ!!」
これまでは見せてこなかった大振りをシャルラは放つ。面食らったのか、銀髪の男のリズムが崩れ、振り下ろそうとした右手を引っ込める動作が一瞬だが、遅れた。強烈なシャルラの大振りが剣の鍔に接触し、振動が相手の右手に直接伝わった。それまで無表情だった男に一点の驚きが見え、彼の右手から剣が落とされた。
即座に距離を取る男を見て、シャルラも同じように後ろへ跳んだ。着地と同時にちらりと横目で自分の部下達、撤退中のロサ公国兵を見た。傷を負っている者が何人かいるが、その数は少ない。部隊の多くはすでに撤退の岐路についたのか、周りにいる人間は少なかった。
「撤退成功か?」
柄にもない独り言がこぼれ、マスクの下でシャルラは自嘲した。いつもとは違ったことをするのは分が悪いことを理解している証拠だ。体どころか頭で理解している以上、もう勝てない。ここで死ぬ。
「——腹立たしいな。この程度の相手に」
声が聞こえた。感情が乗ったドス黒い声だ。それが目の前の冷たい表情の男から発せられたものだと理解するまでに時間を擁した。そのことに得意げにシャルラは満面の笑みを浮かべた。
「手ぶらで帰るわけにもいかん。この場で素っ首、切り捨ててしまって問題、ないな?」
「全力で抵抗させてもらう」
口では強がって見せるが、シャルラはすでに死を確信している。間合いは10メートル以上あるが、なんらかの技巧、スキルを用いれば一瞬で詰められる距離だ。シャルラと銀髪の男は目立った技巧を使ってはいないが、自分にできることは銀髪の男もできるだろうと予測し、シャルラの頬を嫌な汗が伝った。
その刹那、銀髪の男が揺れ動いた。距離を一瞬で詰めるまっすぐな突進。突進し、距離を詰める中、取り落とした剣を掴み、真っ向から袈裟斬りを放った。直剣を両手で握りしめ、突進を耐えようとするが、耐えきれずシャルラの体は雪中に沈んだ。肺から空気が押し戻されるほどの衝撃、ぶつかった時間は一瞬だったが、体は何回も張り裂けたように弛緩し、両手はぶるぶると震えっぱなしだった。
かろうじて立ち上がるが、剣はその手にない。どこだろうかと首を振ると、はるか遠くに自分の愛剣が落ちていた。それを見て、もう戦う気力も失せた。全力で抗うつもりだったが、それも叶わない。剣がないのだから。戦える唯一の手段がないのだから。
——だのにどうしてこの足は前を向いているんだ?
「つまらん抵抗だな」
感傷に浸る間もなく、シャルラ目掛けて鉄剣が振り下ろされる。
「あ」
頭蓋を潰そうとするような鈍重な一撃、それが振り下ろされる刹那、まるで示し合わせたかのように世界が歪んだ。
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