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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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戦場転変

 ハンス・ベーネゲルトは自らを優秀であると思ったことはない。平凡、あるいは平凡よりもちょっと上くらいだと自負している。


 ハンスの生家は長年にわたってロサ公国の将軍や五千騎長を排出していた家系である。自尊心は人並み以上であり、家名には並々ならぬ誇りを持っている。しかし彼の兄達に比べれば自分などまだプライド意識は低い方だとハンスは自負していた。


 二人いるハンスの兄達はどちらも彼と同じく軍人だ。階級はそれぞれ五千騎長と四千騎長。末っ子のハンスよりも階級は上で、その分自尊心も高い。いつだったか長男が近所の平民の子供を殴り殺したことがあった。その子供が馬の前を横切ったからだ、と聞いた時はむごいことをするもんだ、と内心で軽蔑した。次男にいたっても兄の太鼓持ちをするか、女性の使用人を強姦し支配欲を満たすようなおおよそ人らしいことを何一つしない外道だ。


 どちらも極端な軍事的ロマンチシズムの持ち主で、騎兵による集団突撃こそが戦の華であると信じて疑わない。その乾いた英雄願望を満たすためにザルツブルク・エルベンリーテの守備騎兵に志願し、帝国軍の到来を待ち望んでいたほどだ。そして今回の帝国軍侵攻によって二人は壮絶な戦死を遂げた、と二人の付き人として同じく騎兵隊にいた兵士から聞かされた時、胸中にあったのは意外にも落胆だった。


 二人の兄から何かしてもらったことなどない。ハブられていた、というわけではなく、単純にためになることを教えてもらったことがないのだ。代わりに悪い遊びは死ぬほど教えてもらったが、それに感謝するほどハンスは邪悪には染まっていなかった。自分が落胆を感じたのはそんな兄達でも心のどこかでは愛おしく、大事に思っていたことの証左なのだろう、と自分を納得させ、今回の親征に参列した。


 だが、結局のところ自分は納得しきれていなかった、心の整理がついていなかったのだろう、とゲルバイド丘陵で繰り広げられる攻防を間近で眺めながらハンスは自嘲した。後背の王が居座る天幕内で行われた軍議でハンスは同僚と共に将軍であるエルランドへ作戦内容の変更を求めた。勝っているのだからこれからも勝つに決まっている、典型的な無知蒙昧な軍事ロマンチシズムの表れだ。


 だからあんな根拠のない妄想、夢想の類を口にしたのだ。それも自信満々に。否定され、バカにされるのも納得だ。激昂したことすら今に思えば兄達の思想に毒されていた証かもしれない。それが今や兄達と自分をつなげる唯一のものだと悟った時はやるせない気持ちでいっぱいになった。


 何よりも嫌悪し、眉をひそめた兄達の軍事ロマンチシズムの精神をまさか自分が口にするとは思ってもみなかった。頭を冷やせという意味で前方正面の丘陵へ向かっていた道すがらそのことに気がつき、思わず破顔した。そして間近で戦場を見たとき、自分の発言がどれだけ愚かだったかを悟った。


 眼下では馬房柵を挟んで槍兵同士が突き合っている。死に物狂いの形相、鬼気迫る苛烈な形相を浮かべて正も邪もなく相手の命を奪うことだけを目的として殺し合う。いや、正確には自分が生き残ることを目的としてだろう。倒れた兵士を盾代わりに使ってなおも奮戦を続けるその姿から一目瞭然だ。


 ひどい話だ。


 彼らの死に物狂いの奮戦、隙間一寸での奮戦を優勢などという陳腐な言葉でまとめ、あまつさえよりさらに長く地獄に居座らせようとするなど人間の所業ではない。彼らが全員死んでしまえばその奮戦は無意味であると言うのに。


 自分の浅慮さを恥じ、与えられた職務を全うしようと前方正面の丘陵へ入ろうとしたその矢先、伝令とぶつかった。伝令は一瞬しまった、というような表情を浮かべたが、すぐに深々と一礼し、天幕へと駆け込むと、かなり大きな声量でハンスの名前を呼んだ。


 驚いたのはハンスだ。なんで自分の名前が呼ばれるのだろう、と軍学校で教師に呼び出された時のようなどぎまぎした心境のまま「どうした」と伝令の肩を叩いた。振り向いた伝令はギョッとした様子でハンスを見つめ、視線を千騎長が付けている赤い腕章へ落とした。


 ロサ公国において軍人の階級は左腕に付けている腕章の色で区別される。歩卒は白、歩兵長は灰色、騎兵は藤色、千騎長は赤、二千騎長は青、三千騎長は緑、四千騎長は黄色、五千騎長は銀色、そして最高位の将軍は黒い腕章を付けている。今ハンスのことを凝視している伝令は赤い腕章を見て、ハンスのことを千騎長であることはぶつかった時にわかったのだろうが、彼が自分が呼びにきた千騎長だとは思っていなかったのだろう。


 「私がハンス・ベーネゲルトだ。一体どうした?」

 「失礼いたしました、ベーネゲルト千騎長!本営より指令であります。ベーネゲルト千騎長は現在地より帝国軍の陣容を確認し、その数を確認せよ、との仰せであります」


 それだけを告げると、伝令は天幕の中から出ていった。


 指令を訝しむようにハンスは逡巡するが、答えはすぐに出た。本営内にあった遠見のレンズをひったくると、メモ用紙片手にハンスは天幕から出て、前方の帝国軍本陣、そして間近の帝国軍へレンズを向けた。


 レンズを通して眼下の帝国兵を見てみると、確かに異様な数だった。報告では一万人と聞いていたが、どう見ても二万人以上がふもとにたむろしていた。すでにふもとの馬房柵は押し倒され、中腹の弓兵部隊はわずかに後退している。第二防陣で防いでいるのが現状、もうあと数時間もすれば第二防陣も押し倒されそうな勢いだ。


 数の圧力もあるだろうが、それだけではない。攻撃する地点を選んで、戦力を集中させていた。兵士の練度の強弱をわずか数時間の内に把握したとなると厄介だ。いや、実際に強弱をすでに把握したのだろう。一見して全面攻勢に出ているように見えて、実際のところは要点要点だけを攻めているのだから、冷や汗が止まらない。


 「この分だと二時間もあれば中腹まで迫るな。雪の深さの足止めも考慮すれば三時間か四時間か?」


 日はすでに西へ向かって大きく傾いている。日没までに二時間と少しだろうと空の色を確かめつつ、ハンスは視線を奥にある帝国軍本陣へ向けた。丘陵のふもとに築かれた二重三重の防陣を張る本陣は夜戦の準備をしているようには見えない。炊き出しの煙や野営のための松明の灯りは見えるが、夜戦のための準備には見えなかったのだ。


 しかし断定はできない。夜戦を挑んでこないとこちら踏んでいるところを一気呵成に畳み掛けられれば夜明けを待たずに本陣さえ陥落するかもしれない。


 目にすることで初めて帝国軍の練度の高さがわかる。まとまればあれほど厄介かつ強大な軍隊は存在しない。軍団技巧(レギオン・アーツ)は言うまでもなく、指揮伝達の速度、現場の兵士達の即応力、一糸乱れぬ連携などあらゆる点でロサ公国兵を凌駕している。


 地形の有利と護国の精神がなければ侵略を機械的に行う帝国軍を食い止めることなど不可能だっただろう。ましてこちらから攻める、必要以上に踏みとどまるなど、愚の骨頂だ。


 苦笑と嘲笑が入り混じった複雑な笑顔を浮かべ、ハンスはすぐに旗信号を送る兵士の元へ走った。自分が書き殴ったメモの内容を噛み砕いて、少しでも本陣に正確に伝わるように説明し、次々と入れ替わる旗の色を祈るような眼差しで見つめた。


 直後、一迅の北風がハンスの頭上をかすめ、近くではためいていたロサ公国の国旗が槍から外れ、天空へと舞い上がった。


✳︎

次回の投稿は水曜日を予定しています。

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