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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
102/310

丘陵殺到

 戦はその日の正午に始まった。


 軍楽隊のマーチと共に前方の丘から雪煙が舞う。同時に雪解けでも起きそうなほどの熱気が巻き起こり、怒号が轟いた。地鳴りが起き、矢羽が風邪を切る音、金属同士が打ち合う音、咆哮、そして絶叫が一気に巻き起こった。


 帝国軍が動き出し、その射程に入ったとほぼ同時に丘の中断から無数の弓矢が放たれる。弓矢を受けても帝国軍は止まらない。運悪く眉間を射抜かれ死亡する兵士もいる。前を走っていた兵士が坂道で倒れ、そのまま後ろを走っていた兵士を巻き込んで転がっていくという光景も散見された。隊列は乱れるが、それでも怒声を上げながら黒色の軍団が馬房柵へと殺到する。


 「突けぇ!」


 馬房柵目掛けて突進してくる帝国兵目掛けて槍が突き出される。それは息の合った合技、青い闘気をまとった軍団技巧(レギオン・アーツ)狼襲(ヴァウ・ハウド)だ。使用者が行う刺突攻撃を強化し、時には貫通効果まで付与するこの軍団技巧は易々と帝国兵の構えていた盾を貫き、その向こう側の心の臓を刺し貫いた。


 「引けぇ」


 一刺しの感触を確かめた現場指揮官の号令と共に一斉に兵達は槍を引いた。彼らが槍を引くと血を吹き、刺された帝国兵達は次々と赤雪にうつ伏せに倒れていった。ただの槍の一撃によるものではない。馬房柵にたどり着くまでに丘陵の中段から放たれた弓矢の斉射を受け、傷を負っている人間が多かった。特に最前列にいた兵士達はまともに弓矢の斉射を受け、満身創痍の人間がほとんどだった。そんな中、槍で刺されれば倒れていくのは自明だ。


 続けて進んでくる帝国軍に対しても同様に弓矢が斉射され、軍団技巧によって能力が向上した槍撃が放たれる。まるで木の葉のように丘を登っていった兵士達は次々と落ちていった。


 単純な力量差があるわけではない。丘陵を守っているロサ公国兵と攻めている帝国兵の間にはさしたるレベル差があるわけではない。むしろロサ公国兵の方が低いくらいだ。しかしただ一箇所だけではなく、丘陵全体でロサ公国兵が優勢だった。


 彼らの優勢は丘陵という地形が攻め手に対して不利に働いているからだ。それも雪が積もった丘陵という地形が。


 12月のロサ公国はよく雪が積もる。雪の厚さは平地で20センチから30センチ、山間部では1メートル以上積もることも珍しくはない。積雪量によっては街道が凍結し、そのままパキリと割れる。


 ゲルバイド丘陵でも雪はよく積もる。時には丘同士の間のくぼみがすっぽりと覆われ、丘陵が喪失するほどだ。雪と共に育ったロサ公国の人間にとっては決して苦でもない障害も帝国兵には切り立った岩壁のように立ちはだかっていた。


 装備の差も大きい。


 帝国軍がまとっている装備は鉄鎧と鉄兜だ。寒冷地で鉄装備は非常に冷たく感じてしまう。さながらドライアイスの塊を背負って戦っているようなものだ。何より重い。大して体重をかけてもいないのにずぼりと腿まで沈むほどだ。対してロサ公国軍の装備は一部の高級将官を除いて鉄兜、鎖帷子の上に革鎧とかなり軽装だ。革鎧もただの獣の皮ではなく、アングリーパの皮を用いているため下手な鉄鎧よりも強度が高い。とかく雪国での戦いは重装よりも軽装の方が利点は大きい。機動力を補う手段があれば話は変わるが、丘陵という高低差がある戦場では機動力は意味をなさない。


 本陣が置かれている丘陵の前方には四つの小さな、それでも100メートル以上ある丘陵が並んでいる。そのすべての戦場でロサ公国軍は優勢だった。丘間部を抜こうとする一団もあったが、すぐに中段の弓兵の内、予備の部隊が動き、雪に足がとられた帝国兵達に容赦のない矢の雨が降り注いだ。


 丘陵、それも積雪状態の丘陵を攻める時、丘間部は言うなれば溝だ。雪が最も深く積もっている場所であり、ゲルバイド丘陵地帯の中央部は特に丘そのものの高さも相まって溝を大きく、深くなる。


 前方の丘陵のロサ公国兵は四千人。攻め立てている帝国兵は四万に上る。兵力差10対1という圧倒的な戦力差を地形効果が埋めているわけだが、彼らが戦果をあげる理由はそれだけではない。国土を絶対に守る、侵略者を殲滅するという強い意志が彼らの双肩に力を宿し、そのレベル以上に感覚を鋭敏化させていた。


 「うーん、これは予想外。思ったよりも勝ってるなぁ」

 「使命感って奴でしょうか。俺らにはわからない感情ですよ」


 本陣から戦の様子を観戦していたシドは感嘆の声を漏らした。予想外の活躍、予想以上の善戦。地形効果という下駄を履かせれば弱兵のロサ公国兵でも多少はマシになるとは思っていたが、挙げた戦果が思っていた数倍はすごかった。陳腐な「すげー」という感想がぽろりと彼の口から何度も何度もこぼれる中、後ろの本営天幕内ではロサ公国の将官達がガッツポーズをキメていた。


 彼らにしてみてもこの上なく素晴らしい戦果なのだろう。地形効果という下駄ありきとはいえ、大陸東岸部最強の陸軍国家で知られるアスカラ=オルト帝国をこうも見事に打ち破っているのだから。


 わずか四千で四万を足止めしているという事実が兵士達の士気を上げ、想定以上の力を引き出し、迫り来る侵略者を完膚なきまでに打ち貫いていた。兵士達の自尊心を底上げするには十分と言えた。勢いはロサ公国側にあり、逆に帝国は予想外の痛手を負っている現状、普段なら嫌味の一つでも言うところだが、素直にシドはこの状況に喜びを覚えていた。あるいは羨望の感情かもしれない。


 実力以上の力を出す。それはシドらプレイヤーにはない力だ。言うなれば火事場の馬鹿力、あるいは主人公補正、窮地で覚醒する才能、など言い方はどうあれ、煬人(NPC)達は時としてそういった力を発揮する。それが戦闘時のレベルアップによる力の上昇なのか、それともプレイヤーとは違うアルゴリズムがもたらす現象なのかはわからないが、追い込んだ煬人は人間種、亜人種、異形種の区別なく、ほんの僅かではあるが強くなる。それが今まさにロサ公国兵に起こっており、帝国兵を圧倒していた。


 しかし上昇する力はほんのわずかだ。兵力を覆す力はない。今日が大丈夫だからと言って明日も大丈夫などありえない。


 「オーリーン将軍。予想外の戦果ではありますが、予定通りに兵を動かしてもよろしいですか?」


 天幕へ向かってシドが叫ぶと、中から現れた灰色の頭髪、顎髭の男は低い声でうなった。


 「才氏(アイゼット)シド。もう1日待ってもよいのでは?これほどの戦果を挙げるのならば明日も持ち堪えられるでしょう?」


 そう言うエルランドは言葉とは裏腹に声が冷淡そのものだ。つまり、本当に言葉通りに思っているわけではない。シドの視線はエルランドから外れ、彼の周りの幕僚へ向いた。その内何人かはエルランドの言葉に頷いていた。なるほど、と嘆息しつつ、シドは天幕の中に入った。


 丘陵一帯の地図が敷かれた机と軍駒だけが置かれた簡素な天幕で、上座にヘルムゴートが座り、その左右を将校達が固めていた。入り口を開けっぱなしにしているから風も入ってくる。大の大人が寒さを凌ぐため身を寄せ合っている姿はちょっとだけ笑えた。


 しかしそんなことにかまけているわけではない、と脳内に湧き出た余計な思考を振り払い、シドはエルランドの隣に立った。仮にも王を除けば最高位の武官の隣に図々しくも立ったシドに不快感を見せる将官もいたが、それを無視してシドはエルランドに振り向いた。


 「当初の予定では夜中に兵を前方の四つの丘から引き上げる、ということだったはずですが?」

 「戦局はこちらの有利に働いている。作戦を変更する臨機応変さが求められるのではないか?」


 「有利に働いているなればこそ、予定通りに軍を動かすべきです。現在、四万の帝国兵が攻めていますが、その奥には同規模の軍が控えているという報告があります。例えば、帝国が夜襲としてこの残った四万を繰り出し、朝になったら入れ替えるというサイクルを行なった場合、疲労が蓄積し、前方の丘陵を守ることは不可能になります。三日もすれば気力は尽き、なす術もなく前方の丘は獲られるでしょう。そうなった時、前方の丘の兵は千人も残りませんよ」


 「そうだな。数ではこちらに大きく勝る。確かに才氏シドがおっしゃったような作戦を敵軍が取った場合、我々の損害は決して少なくはないだろうな。勝利の余韻に浸りつつ、戦線を後退。敵軍の出鼻をくじき、戦意を失わせるという意味では非常に理にかなっている。だが、現場の兵士の感情はどうだ?勝っているならばもっと攻めたいと考えるのが自然ではないか?」


 口調は相変わらず、語気も冷淡なままだ。エルランドが本当に言葉の通りに思っているわけではない。一部の将校が勝っている現状に満足して、不服を口にした、というのが正直なところだろう。オブラートに包んで諌めても意味がないと判断したから、オブラートに包む義理もない自分に火消し役を押し付けたのだろう、と考えたシドは内心で苦笑いを浮かべた。


 エルランドがオブラートに包む理由はわかる。亡国の憂き目に遭っている中、下手に身内同士で禍根を作りたくないからだ。誰も彼もが理屈や合理で最適な選択をするとは限らない。時として人は合理を超越した感情で動く。彼に計画の見直しを進言した将校はそういうタイプなのだろう。勝ちの戦しか知らないタイプだ。この期に及んでまだ亡国の瀬戸際どころ、崖から足が離れていることにまだ気がついていないのだ。


 そんなタイプの人間だ。恐らく自分の意見具申が通るものと思ってエルランドに進言したのだろう。相手の性格をわかっているからか、エルランドはとりあえず預かり、絶対に否定するだろうシドが来るのを待った。ここでの悪役はシドだ。シドが若い将校の素晴らしい意見具申を屁理屈で否定し、進言した将校達の憎悪を一心に浴びるのだ。なんという嫌な役回り、嫌われるのに慣れていなければ吐いていただろうな、とシドは自嘲めいたため息を吐いた。


 「兵士の感情が気掛かりであるなら、いいように説き伏せましょう。作戦の概要……の半分くらいを話して、自分達が丘から撤退することの意味を教えてあげればいい。そっちの方がより多くの帝国兵を殺せる、とか付け加えてね」


 「なるほど。そのアイディアはなかった。確かにそれはある。だが」


 「オーリーン将軍。戦とは生き物、とは申しますがなればこそ軽はずみな行動は命取りになるのです。その場の思いつきで獣が狩れるわけもなく、獣を狩るには十全の備え、充足した英気を必要とします。手前勝手な思い込みで突撃する猪武者など、戦場においては無能な働き者と同義ですよ」


 「その言葉、我らへの侮辱か!」


 天幕内で怒号が上がる。シドが天幕に入る前にエルランドの言葉に頷いていた将校の一人だ。


 「侮辱ではなく、事実です」


 エルランドに向けていた感情を押し殺した語気ではなく、冷たく突き放すような語気。あるいは嘲笑うかのような、見下すような、とにかく他人への侮蔑の感情が込められた言葉に怒号を発した将校の眉間にしわが寄った。いや、しわではなく血管が浮き上がった。


 「ベーネゲルト千騎長。今は私が才氏シドと話している。その会話に割り込むとは何事だ!」

 「すい、申し訳ありません、将軍閣下!ですが、この男の我、いえ将軍閣下に対するあまりに無礼な物言いが我慢ならず」


 「わかっている。わかっているとも。貴様の言が私を慮っての言葉であることは。だが我慢せよ。この天幕で顔を合わせるのが嫌だと言うのなら前線の様子を見てきてくれ。そして改善すべき点があれば報告せよ」


 かなり遠回しな「お前出ていけ」という追放命令だ。文字通りの悪役(ヒール)であるシドと顔を合わせていたいわけもない。シドに出ていけ、と言わないのはシドが他国の人間だからだろう。目の届かないところで余計なことをされてはたまったものではない。そういう建前で哀れにもベーネゲルトと呼ばれた千騎長は神妙な面持ちで前方の丘陵へスキー板を使って颯爽と降りていった。


 「なんであんなの連れてきたんですか?」

 「優秀な奴らは皆死んだ。もしくは繋がれた。元々王城に勤めている将校はあまり質がいいものではない。この私を含めてな」


 「将軍閣下は優秀でいらっしゃいましょう。なにせ敗北の味を知っていらっしゃる」

 「いやな『優秀でいらっしゃいましょう』だな。義憤に駆られそうだ」


 二人の物騒な歓談の中、辟易したようにずっと沈黙を貫いてきたヘルムゴートはため息を吐いた。

※「SoleiU Project」内のヤシュニナ以外の大きな組織(帝国以外)


・アングラーク)レーヴェの国。アインスエフ大陸最強の陸軍国家。


・神龍協定)神龍五柱の協力連合。対プレイヤー、対冥王軍に備えて組織された。


鳴龍(メイロン)金寂龍アウロストゥルー・レノンと嬴楽章の国。神龍が属する陣営で三番目の規模をほこる。


・ナイト・エア・ガーデン)メリュザンドの国。メルコール大陸最大の国。


・キルギア)前人未到。

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