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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
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開幕前章

 冬のロサ公国はすこぶる寒い。ひとそよぎの立ち風さえ鳥肌を立たせ、筋肉を震わせ、骨中まで痛痒を覚えさせる。厚い毛皮をかぶっても隙間から差す寒気が首元を撫で、喋ろうとすれば歯から熱が消え、こすれた時は鋭敏になった神経が不快な痛みと音を奏でた。


 がさり、がさりとさながら薄氷を砕くように、いや実際に薄氷を砕きながら歩くが、薄氷の下には深さが計り知れないほど雪が積もり、足を取られれば10センチや20センチは軽く沈んでしまう。


 あまりにも行軍に不向きな地形、歩くだけで汗をかき、それが冷却されて余計に寒さが増すという最悪な環境。劣悪極まれり、こんな土地に住む人間の気持ちも、まして守り抜こうとする人間の気持ちも理解はできなかった。


 丘陵地帯の比較的なだらかな地形に敷かれた帝国軍の陣内を歩きながらディット・ラガンスは冷たい、突き放すような瞳で前方に見えるロサ公国軍の陣地、引いてはその奥にあるだろう本陣を一瞥した。各丘陵の戦力は一千もいるとは思えない。その奥の本陣は五千近くいるように見えるが、これもその他の丘陵と脅威度では変わらない。


 やがてディットは陣内中央にある天幕の前に立った。彼が前に立つと左右を守っていた二人の兵士が彼に一礼しつつ、片方が垂れ幕を開いた。無言のままディットが天幕の中へ進むと、正面に彼の主人、リオメイラ・エル・プロヴァンスが座り、その傍を数名の幕僚が固めていた。


 リオメイラは非常に美しい女性だ。赤紅の炎髪、整った鼻先と蕾のような唇、見るものを溶かすような赤い瞳と顔立ちは申し分ない。顔立ちのみならず、肢体はほどよく引き締まり、腰回りのくびれなどは非常に扇情的だ。体躯も大きすぎず、小さすぎず、まるで工芸細工のようなきらいがある。


 薔薇のブーケでも両手に持ってドレスを着れば社交界の花になるのだろうが、あいにくと彼女のドレスはバトルドレスの方だ。動きやすさに重点が置かれたそれは皇族のために織られた特注品で、その身に帯ている武具はすべて伝説級の一品に匹敵する。一級の武具に身を包まれた彼女を一体誰が帝国皇帝たるアサムゥルオルトⅪ世の腹違いの妹と考えるだろうか。帝国六大将軍に並ぶ帝国の刃の一人など想像できるだろうか。


 そんな彼女の傍を固める幕僚は大別して二種類ある。一つは黒と銀を基軸にした軍装を纏う帝国正規兵だ。士官のみが着用を許される威風堂々とした軍装からは気品すら感じさせ、彼らはその軍装を纏うことに誇りを感じていた。もう一つはディットと同じく茶色の毛皮のコートを着たリオメイラ直属の軍族、通称「猟兵」だ。正規の帝国兵ではない彼らが同じ目線に立つことに何人かの帝国軍士官は眉を顰めるが、リオメイラが気にしている素振りはない。変わりに彼ら猟兵のリーダーであるディットが睨みを効かせると、不満げにその視線をディットへと向けた。


 「で、ディット。どうだった、連中は」


 ディットが右後ろに立つとリオメイラが彼に話しかけた。ここでい言うどうだった、とはロサ公国の陣地がどれくらいのものだったか、という意味だ。嘘をついても、誇大に語っても仕方ないので、ディットは思ったことをありのままに伝えた。


 「面倒ですね。我ら猟兵が間隙を縫うことを警戒しています」

 「へぇ?てことは多少はやりがいのある奴が指揮してるってことかい?」

 「それについてはなんとも。ただ、城から出てきた、ということは我々と戦う気概はあるということでは?」


 いいじゃないか、とリオメイラは笑みを浮かべた。おおよそ貴族の、それも皇帝家の人間が浮かべるものではないほど残忍な嗜虐的な笑みだ。


 「総数八万八千。この規模の軍を相手にして一体連中、どう思っているかねぇ」

 「意見、よろしいでしょうか?」


 手を挙げたのは帝国軍士官らの中で最も階級が高いマルセル・ルカだ。階級は中将軍。大、中、小で将軍階級が区分けされている帝国正規軍内において、この位に就いている人間は極めて少ない。西部の大長城での従軍経験がなければ就けない役職だからだ。


 そんな百戦錬磨の将校なだけあってマルセルの首筋や手首には無数の傷跡が目立つ。ひげがないため老けては見えないが、若くも見えない。これでもまだ40手前なのだが、髪の毛が薄いこともあってどうしても年齢以上に見られがちだ。


 「なんだ、ルカ中将。献策か?」


 「はい。僭越ながらここで我らが刃を交わす意味はあるのですか?このままずっと(けん)に徹すれば、敵軍は干上がりましょう。補給であればボラー連峰の細道を用いれば少量ですが、可能です」


 「なるほど?つまり貴様はこういうわけだ。食う量を減らして、略奪を自制しろ、と。そして怪鳥が、あの忌々しきアングリーパがボラー連峰を通る旨い飯の乗った馬車を素通りするのを待て、と?」


 「それは、はい。それこそ一時的に転進することも」

 「撤退を、と言わないのは帝国軍の誇りからか?貴様の言っていることは撤退ということではないか?」


 図星を突かれた、とばかりにマルセルは口を一文字にむすんだ。理由は言わずもがな、隠された理由があるとすればそれはリオメイラが口にした怪鳥、アングリーパだろう。


 アングリーパは赤い禿頭と四つの目、三対の茶色い翼、四本指の鳥足に目がいく怪鳥だ。(くちばし)は金剛石よりも硬く、開けば四本の穴が空いた舌があり、その一本一本からは毒煙がばら撒かれる。それがアングリーパの吐息に反応し、毒を持った炎の息吹となって吐き出されるのだ。炎と毒、この二つの属性に対する耐性を持っていない限り、アングリーパの息吹にぶつかることは推奨されない。


 息吹だけではなく、嘴や鍵爪を用いた攻撃も厄介だ。並の防具や盾では守ることはできず、簡単砕けてしまい、剣で切り付けてもよほどの業物でなければ折れてしまう。


 極め付けに厄介なのが、この怪鳥は肉食である点だ。一般人のみならず、帝国兵、ロサ公国兵もその餌食になることがある。彼らの勢力圏はボラー連峰周辺であり、このアングリーパの視界をくぐる形で現在の帝国軍はロサ公国に侵攻している。


 食糧は何よりも優先されるべきものだ。八万規模の食糧をうまくアングリーパの死角を縫い、ロサ公国へ運び入れる、それは至難の業だ。ある程度は略奪でどうにかなるが、それも限界がある。早々にロサ公国の王族を根絶やしにし、帝国へ帰還しなければ窮地に陥るのは帝国軍だ。


 「戦果は十分。ここで撤退しても文句を言う人間はいないでしょう」

 「それは、皇帝陛下の御意に背くのではないですか、ルカ中将」


 撤退を具申するマルセルにディットが反論する。猟兵はあくまでリオメイラの私兵だ。明確な階級はなく、正規の訓練を受けているわけでもない。そんな彼らに反論されることが、あまつさえ同じ目線で戦局を語られるのが嫌なのか、将校の一人が机を叩いて怒声を上げた。


 「貴様!軽々しく皇帝陛下の御意などと口にするな!我々は現在糧食が残りわずかである、という死活問題の話をしているのだぞ?ロサ公国の陣地突破が難しければ一旦後退し、補給路の確保を優先するのは当然ではないか!」


 「ファシュ小将、落ち着け!気を立てるな。彼の言にも一理ある」

 「ルカ中将!?ですが糧食に乏しいことは事実ではありませんか!」


 ルカに叱責されてもなお声を上げた将校、リュカ・ファシュは反論する。それは他の将校が思っていることの代弁に他ならず、口にしてはいないが、マルセル以外の多くが頷いていた。


 「今の我々の糧食では良くて10日、これではとても丘攻めなどできません」

 「ロサ公国軍の総数は一万を少し超える程度、対して我らは八倍。一気呵成に攻め立てればよろしい」


 リュカの言葉に反論したのはディットではなく、別の猟兵だ。茶色の無精髭が目立つ大男で、しゃくりあげた顎髭をさすっていた。


 「雪中での丘攻めは難しい。しかも陣地化しているとなれば攻め手は足を雪に取られる可能性がある。まず一日で前方の丘すら落とせん!」


 リュカに追随するように声を上げたのは同じ小将軍のアルマン・ラヴェルだ。まだ若い将校で産毛すら口元には生えていない。


 「ゆっくりと軍団技巧(レギオン・アーツ)を展開しながら登ればいいではないですか。帝国正規軍はそんなこともできないのですか?」


 「なにを!?」

 「貴様ら!プロヴァンス公爵様の庇護下にあるからと増長しおって!」

 「我らへの侮辱のみならず、帝国正規兵全体への罵詈雑言となれば許さんぞ!」


 口々にマルセル以外の将校、リュカやアルマンなどの将校は憤りから席を立ち、机をばんばんと叩く。侮辱されたこと、プレイドを傷つけられたことに顔を真っ赤にして腹を立てた将校達に、ディットをはじめ猟兵達は冷ややかな視線を向けた。


 この言い争いが見るに堪えない、聞くに堪えないと思ったのか、頭痛を覚えたようにこめかみを抑えるマルセルはリオメイラに発言の許可を求めた。リオメイラが鷹揚に首肯するとすぐにマルセルは口を開いた。


 「プロヴァンス公、ご覧いただいたように私ども正規軍の意見としてはすでに戦果は十分である、という認識であります。もし丘攻めをなさるのならば、それ相応の策を練る必要が」


 「よい、ルカ中将。確かに糧食は大いなる問題だ。だが、案ずるな。10日かけずに丘を落とせばよいのだろう?」

 「はい、いえ、はい。ですが、それは非常に難しいと」


 「問題ない」

 「は?」


 リオメイラの言葉にマルセルは目を白黒させる。


 「貴様らは私の言う通りに行動しろ。それで勝てる」


 あまりにも自信たっぷりに宣言するリオメイラに、マルセルを含め正規軍将校はただ沈黙に陥るしかなかった。


✳︎

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