2、ゴンベッサ
使えない魚、食えない魚って意味の魚を知っている? ゴンベッサって言うんだ。だけどね、最近ゴンベッサは釣りあげると高く売れるということから、幸運を呼ぶ魚っていう意味になったんだってさ。
コモロは世界でも貧しい国と言われている。
家がボロボロだったり、まだ建築中かと思うような中途半端なところに住んでいる人はたくさんいるし、場所によっては電気が通じていなかったり、僕の住んでいるところは比較的電気の通っている家があるけれど、故障とかで半年も電気が通らないことだってあるんだ。
でも人はおおらか。みんなニコニコしているし、せかせかしないで時間はゆったりと過ぎる。空は青いし海は澄んでいる。
「はあ」
白い海岸には誰もいない。
僕だけだ。
こんなにきれいなところに僕だけ。
良いんだ。そう思ってここに来たんだ。
「はあ」
実は僕には許嫁がいる。サーラが生まれてすぐに決められたんだけど、僕はそのことを疑問に思ったことはない。
父さんは僕にいい家のお嬢さんと結婚することが幸せだって言ってるし、実際サーラはすごく可愛い。僕はサーラのことが好きなんだ。
でもさ、サーラは僕のことあんまり好きじゃないっていうか、会うとイヤーな顔するんだよ。あんなに可愛いんだからちょっとでも笑ってくれたらいいのにさ。
「はあ」
何度目かのため息をつく。
なんであんなこと言っちゃったんだろう。
サーラがさ、僕のことちゃんと男として見られないのはわかるよ。でもまだ11歳なんだ。大人の男の人のように立派なことができるはずがない。サーラに認めてもらえるように勉強だって頑張ってるのに、認めてくれないから、つい言っちゃったんだ。『お前だってツンツンしてばっかりで女らしくないだろ』って。
あの時のサーラの顔。
あんな顔させるつもりじゃなかったんだ。真っ赤になって恥ずかしくて悲しくて怒ってて、そういう気持ちにさせるつもりじゃなかったんだ。
悪かったなぁ。なんて言って謝ろう。早い方が良いってのはわかるんだけど、なんか言いにくい。なんで僕、サーラの前に出ると素直になれないんだろう。はぁ。
海を見ていると、くさくさした気分なんてちょっとバカバカしく思えるほどに、海は澄んでいてきれいだ。
と、遠くに魚の影が見えた。
そんなことは珍しくない。僕はすっごく目が良いし、海は澄んでいる。ちょっと遠い海の中の魚が見えることはよくあることだ。だけど、今見えた影は、今まで見たことのない影だった。
「なんだろ、アレ・・・結構大きい」
遠目に見ても形がわかるほど大きさがある。ちょっと厳つい感じの魚だ。
まさか。
あれは幻の魚、じゃないか?
あの形、コモロ人ならみんな知ってる。幸運の魚。
まさか。
いや、だってあれは深海魚だ。こんな浅瀬まで来ることはない。
でもまれに、ごく稀に浅瀬に迷い出るって聞いたことはある。そもそも昔は浅瀬に住んでいたんだ。
幸運の魚かもしれない、と思うと僕は駆け出していた。
サーラに教えたくて。
だって、あの魚を見た人には幸運が訪れるんだ。もし見間違いだったとしても、見といて損はない。
砂浜を抜けて家の方へ行くと、サーラがいた。
「サーラ! 来て!」
「え、ちょ、なに!?」
「浜辺に来て、良いから!」
なんか興奮しちゃってうまく言えない。だけど、サーラは僕に手を引かれて大人しくついてきてくれた。
浜辺についてすぐにあの魚の影を探した。もう行っちゃったかもしれない。
「あ、いた! あそこ、見て!」
僕が少し沖を指さすとサーラはじっと海を見た。
すると魚の影がひらりと踊るのが見えた。
「あっ、ゴンベッサ!」
サーラの顔がパッと明るくなった。
「ね、ゴンベッサだよね」
「うん、そうよ。わあ~、すごい、きれい! よく見つけたね」
「う、うん」
さっきまでツンケンしていたサーラは目をキラキラさせながらゴンベッサの影をずっと見ていた。僕たちは仲直りできたみたいだ。
ゴンベッサ、ありがとう。
僕たちがゴンベッサを見つけたから、僕はサーラと仲直りができた。この幸せを誰かにおすそ分けしたいと思い、ボトルメールに託すことにした。
家に戻り、瓶を探して、紙とペンを準備した。
「ボトルメール?」
サーラが僕のそばで首を傾げた。
「うん。幸せのおすそ分け」
「ふうん。でもどうやっておすそ分けするの?」
「まあ見ててよ」
僕は手紙を書いた。
『親愛なる誰かさん、平安がありますように。僕はゴンベッサを見つけました。ゴンベッサは幸運の魚です。僕はとっても幸運がありました。その幸運があなたに届くように願っています。僕の名前はアリ』
そこにメールアドレスを書いておく。
「これなに?」
「メールアドレスだよ」
「アリの? 持ってるの?」
「うん。父さんが僕用に使って良いって」
「さすがアリのお父様ね」
こういう時、金持ちで良かったな、と思う。
勝手に許嫁を決められるのもちょっとどうかと思うけど、サーラのような可愛い子だから別に嫌じゃない。
『届いたら返事をください。こちらはコモロです。友だちになりましょう』
手紙を書き終わると瓶に詰めて栓をした。
次の日、僕とサーラは海へ行った。瓶を持って一緒に遠くへ投げた。
「遠くの誰かに届くと良いわね。なんか、ワクワクする」
「うん。きっと届くよ」
「何日くらいで届くかしら。返事はいつ来ると思う?」
「わからないけど、何か月もかかるんじゃないかな」
「そんなに?」
「うん、多分」
「じゃあ、届いたら教えてね」
「うん」
勿論届いてほしい。そうしたらサーラが喜ぶから。
だけど、もしも誰にも届かなくても仕方ないと思ってる。電子メールのある時代にボトルメールを受け取ろうって人はなかなかいないと思うんだ。
それでも僕はボトルメールを出した。
サーラと仲直りできたみたいに、僕の小さな幸せを誰かに届けたかったから。
◇
それから9年後――
僕もサーラもすっかり忘れたころ、ボトルメールを日本の小学生が拾うなど、誰が考えただろう。
ボトルメールの返事が来たと伝えた時のサーラの顔を、僕は一生忘れない。
幸運はまだ続いていた。そしてもっと大きくなる。
ありがとう、ゴンベッサ。
ゴンベッサはコモロ語でシーラカンスのことです