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ジョギングの夜

作者: たき ひでなが
掲載日:2021/03/06

 つい、この間のことなのです。

 今年の夏は、例年になく暑い日が続きましたが、それを利用して、わたしはジョギングによるダイエットを始めました。きっかけは、妻の一言からです。

 いつものように、仕事を終えて帰宅し、晩酌をしながら夕食を摂っていると、一緒に食事していた妻が、急に箸を止め、

「そのボールのように膨らんだお腹、なんとかできないの。なんか鬱陶しくて………。 

 余計に暑苦しく感じるのよね」

と、唐突に絡んできたのです。

 妻自身も太り始めてきているにもかかわらず、それは棚上げにして、わたしの非難をしてきたことに、差し出がましさを感じたわたしは、

「まだ、自分のチンチンが上から見下ろせるんだから、どうってことないだろう。

 それより、自分のことを心配したらどうだ。中年になって、太ってきたのは、お互いさまだぜ」

と、反撃に出たのでした。

 その言葉に、妻はムッとしたらしく、再び箸を口に運び出したものの、それ以後、夫婦の会話は途切れ、気まずい雰囲気で食事が終わりました。

 その後、妻が夕食の片づけに立つころになると、苛立っっていた自分の気持ちも少しずつ落ち着いてきました。

 売り言葉に買い言葉で、ああは言ったものの少し気になり始めてはいたのです。

 改めて自分の腹の出っ張り具合を眺めてみると、まるで西瓜をまる抱えしているように見えました。

 そこで、最近流行っているジョギングを自分もしてみようかと思い立ったのです。

 都合のいいことに、わたしの住んでいる場所から、近くの高校まで一キロ位あるのですが、この道は、裏通りになっていて、九時頃になると、交通量がグンと減り、ジョギングするのに適していたのです。

 何事にも飽きやすいわたしのことなので、三日と持たないだろうと思いましたが、少しでも体重が減れば「儲けもの」と考え、始めることにしたのでした。

 誓って言うのですが、妻が怖くて始めたわけではなく、自分の体型を引き締めるといった、あくまでも自分に対する「美意識」から始めたことは強く言っておきます。



 早速、次の日から始めることにしました。

 初日は、すぐに息切れがやってきて、途中何度も歩かなければならなく、その都度

 「もうやるものか!」

と思ったのですが、一日だけで止めれば、妻に嗤われることは、目に見えて分かっていたので、絶対三日は続けるといった覚悟で行い続けました。

 すると、なんとか一週間続かせることができたのです。

 こうなると、だんだん身体も走ることに慣れてきて、ジョギングしたほうが、寝つきが良くなるようにまでなりました。体重も、三キロ位減りました。


 さて、その一週間目の日のことです。

 その日も、仕事から帰ってくると、軽く夕飯を済まし、ジャージ姿に着替えると、食後の休憩を取って、日課になったジョギングに備えたのです。

 九時の声を聞くと、家から出て、駆け始めました。

 この道は、裏道なのですが、通学路になっていることから、防犯上、街灯が明るく路上を照らすように設置してあるので、夜中でも、安心して走ることができるのです。

 十分くらい走ったでしょうか、急に何かが破裂する音がしたかと思うと、前方の遠くの方に青白い電球がボーっと灯りました。

 何だろうと思って瞳を凝らすと、その光はだんだん大きくなり、人の姿を形作っていくのです。

 近づくにつれ、それが、わたしと同じジョギングをしている人だということが、わかってきました。

 青白く見えたのは、その人の肌が、やけに白かったせいで、街灯の光が反射してそう見えたのです。

 電球のように見えたのは、その人が、わたしの倍以上に膨らんだ腹をしており、一歩踏み出すごとに、胸や腹の肉が、優雅に上下していたからでした。そればかりではなく、楕円を描いている顔や、禿げた頭が一層、円味を浮きだたせていて、まるで運動会で見られる大玉が近づいて来るようにさえ見えたのです。

 彼は、だいぶ長い間走ってきたのでしょう。焦点が定まらない目で前方を見つめ、わたしの姿も目に入らないようでした。しかも、何かぶつぶつ言っているのです。

 その言葉を聞こうと、走るスピードを少しゆるめて耳を澄ますと、

「痩せなくちゃ。ハッ、ハッ。

 痩せなくちゃ。ハッ、ハッ」

と言っているではありませんか。

 それを聞きながら、

「そいつは無理だろうなぁ」

と、つい思ってしまいました。

 というのも、彼本人は一生懸命走っているのでしょうが、まるで幼児がよたよたと歩いているようなものなのです。いえ、幼児の方が速いかもしれません。

 それに、息切れが激しく、疲れた顔つきはしているものの、彼の額には汗一つ浮かんではいませんし、顔が真っ赤になっているわけでもないのです。

 つまり、エネルギーが消費されていないのです。

 まったくどんな走り方をしているのだろうか、と呆れた思いで、ふと足元を見ると、なんと膝から下の足がないではありませんか。

「えっ。幽霊!」

 そんな言葉が、脳裏に浮かび上がりました。

 しかし、不思議なことに、「怖さ」は全く感じません。

 というより、「奇妙さ」が先にたって、「怖さ」がうち消されてしまっているといったほうが正しいでしょう。

 とにかく、足のない太った幽霊のダイエット・ジョギングというのは、「怖い」というより「おかしい」というのが適切ではないでしょか。

 ふわふわと頼りない波線を描いて走ってくる様子は、まるで、風船を横に移動させたような感じです。

 普通、ダイエットのためのジョギングであれば、エネルギーを消費することが目的なので、無言のうちに全体から発せられる「力強さ」を感じるものですが、そこには、まったく「力」というものが見られません。

「痩せなくちゃ。」

と言う言葉に、意志は感じるものの、身体にはうまく反映されていなくて、「紙風船」を見ているようなものでした。

 気力だけが、空回りしているのです。

 さらに、呆れてしまったのは、彼がわたしの傍を通り抜けていく時でした。、

「ハッ、ハッ、痩せなくちゃ。

 ハッ、ハッ、このままじゃ、カアちゃんに、叱られる。

 ハッ、ハッ。、家に、入れてもらえない。 

 ハッ、ハッ。痩せなくちゃ………」

 こうなると、もう「滑稽」と言うしかありません。

 わたしは、嘆かわしさや可笑しさ、哀れみ等が一緒くたになった気持ちに襲われ、口元が上に歪むのを押さえることができませんでした。

 いつの間にか走るのを止めていたわたしは、そんな複雑な気持ちを持ち続けながら、彼が通り過ぎた後ろ姿を見つめていました。

 すると、すれ違ってから数十メートルも行ったでしょうか、彼の姿が、明るい街灯の下を走っていたにもかかわらず、足元からスーッと消えていったのです。



 彼の姿が消えていったとき、わたしは、夢から覚めたような気持ちになって、彼のためにホッと安堵感を覚えました。

 それから、わたしは、改めて自分の本来の目的のことを思い出すと、

「ああ、やだ、やだ。あんなふうにはなりたくないね。

 死んでからも、家内の意向を気にしてなくちゃいけないなんて、やっちゃいられないよ」

と、独言のようにつぶやきながら、また走りだしたのです。

 走りながらも、さっき起こった出来事は、頭の中に留まっていて、

「しかし、ひとっつも怖くねぇ幽霊だったな。

 おかしな幽霊だったよ。

 それに、あの太った身体。何キロぐらいあるもんかなぁ。

 あんな走り方で、痩せられるんだろうか」

など、その他、幽霊の家族のことや、彼の奥さんの怒り方など、次から次へととりとめもなく考えが浮かんでくるのでした。

「しかし、あの太った顔。

 まあ、あれはあれで愛嬌があったが、もとの顔はどんなだったのかね。

 もとの顔を見てみたいよ。

 贅肉で横に膨れ上がっているあの頬をもとにもどすと………。

 もどるのかなぁ………。

 フフッ。もっと、面白い顔になったりして………。」

と考え、一人含み笑いをしながら、頭の中で、イメージを作っていった時です。

 唐突にわたしの足が、止まりました。

「あれは………。

 俺だ!」

 この時、初めてわたしの背筋に冷たい汗が流れ落ちたのです。            

                             おしまい


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