母の顔をした羊
辺りがだんだん暗くなってきた。道の両側に続く木々がざわざわと動いているように感じた。道幅がせまくなった気がした。カラスがまた鳴いた。ぼくは泣き出しそうになった。目からこぼれてくる涙をふきながら、前に向かって歩いていった。
すると、前から二つの灯りが見えてきた。ぼくは道のそばの木の後ろに隠れた。明かりはこちらに向かって近づいてきた。道に落ちている小石を踏みしめる音が聞こえた。どうやら、二匹の動物が歩いてきているようだった。一匹は大きく、もう一匹は体は少し小柄だった。でも、辺りは暗くて、それがなんなのかぼくには分からなかった。だんだんその動物はこちらに向かって近づいてきた。
そして、ぼくが隠れている木のそばを通りかかろうとしたとき、その動物は立ち止まった。
「そこに隠れているのはだれ?」
と、二匹の内、大柄の動物が言った。ぼくの胸はどきどきしていた。
「そこに隠れているのはだれ?」
と、再びそれは言った。ぼくは大きいほうの動物の顔を目をこらしながら見た。辺りの暗闇の中で、それの首から提げた灯りがそれの顔を照らしていた。それは顔がお母さんで体が羊だった。森の中のカラスが鳴いた。
「お母さん。」
ぼくは、うれしくて道に飛び出した。大好きなお母さんだと。
「お母さん。」
ぼくは、もう一度、言った。それは不思議そうな顔をして答えた。
「私はあなたのお母さんじゃないわよ。あなたはだれ?。」
「ぼくだよ。」
と、ぼくは驚いて言った。
「あなたなんか知らない。」
それは、不思議そうに答えた。
「ぼくのお母さんじゃないの。」
「ええ。私はあなたのお母さんじゃないわよ。」
「じゃあ、なんなの。」
「私は私。」
ぼくは、がっかりして、もう一匹の方を見た。それは、体が羊で、顔が女の子だった。知らない女の子の顔だった。
「この子は?。」
と、ぼくは大きい方に尋ねた。
「わたしの子供よ。」
ぼくは、びっくりして言った。
「じゃあ、ぼくは?」
「あなたは私の子じゃない。」
ぼくは泣き出しそうになった。
「ぼくはお母さんの子供だよ。」
「違うわよ。私の子供は唯一、この子だけ。」
と、それは言った。そして、小さい方に向かって優しくほほえみかけた。ぼくは嫉妬した。
「ぼくはお母さんの子供だよ。お母さんの言いつけをまもっていい子にしてるよ。」
大きいほうのそれは、ぼくが言ったとたん、いきなりぼくの方を向きなおって言った。
「いいえ。あなたは悪い子よ。」
大きい方のそれは言った。それの目は冷たかった。ぼくはもう泣いていた。目からこぼれてくる涙をこらえながら言った。
「いい子だよ。お母さんのいいつけを守って、いい子にしてるよ。幼稚園だって毎日行ってるし、お使いだって行ってるし、お手伝いだってするし。さっきもいい子って言ってくれたじゃないか。」
もう、涙をこらえることができなかった。
「そんな事言ってないわ。あなたは悪い子よ。」
もう一度、大きい方のそれが言った。
「どこが悪いの?」
「私の子供をいじめるでしょ。」
ぼくはびっくりして言った。
「いじめてなんかないよ。」
「いや。あなたは私の子をいじめてる。」
ぼくにはわけがわからなかった。小さい方のそれを見た。かわいい女の子の顔をしていた。
ふと、気付くと喉の渇きが限界に達してることに気付いた。大きいほうのそれの背中に水筒がぶら下がっていることに気付いた。
「水、ちょうだい。ぼく、喉がかわいてるの。」
「だめよ。この水はこの子のものなの。あなたにあげるわけにはいかないわ。じゃあ、さよなら。」
と言って、二匹のそれはぼくの横を通り過ぎ、ぼくが歩いてきた道を歩いていった。
森の中はもう真っ暗で何も見えなかった。道も消えてしまっていた。ぼくはもう本当にひとりぼっちだった。森の中のカラスがまた鳴いた。