聖峰―2
「え、あなた、どうしたんです?」
アリスが俺の背中で大きな声を出した。
「山を下りてるんですが」
俺は彼女を背負って山を下りていた。
「だってあなたの目的は……」
「下山しないと治らなそうでしたから」
「そんな……」
会話しながらも黙々と山を下る。
山と言っても中腹まではハイキングコースのようなものだ。
人一人くらい背負ってもどうということはない。
いや
……実は正直そろそろきつくなってきていた。
「おります。おろしてください。もう一人で歩けます」
アリスはそう言って俺の背中からおりようとする。
「ちょ、ちょっと」
アリスは無理やり俺の背中から下りる。
地面に立つが、まだ少しよろよろとしている。
「後半分くらいだし、別にいいですよ。アリスさん軽いですし」
「……今さりげなく私の胸が軽いのをバカにしましたね」
いや被害妄想です。
まだ熱で頭が混乱してるのだろうか。
「別にスレンダーな美人じゃないですか」
「……なっ」
アリスは顔を赤らめた。
「そ、そんな事を軽々しく言わないでください」
「ああ、すいませんね」
彼女はそう軽口を叩いてはいるものの――。
まだ体調が優れないのか、道端の石に座り込んだ。
「やはりもう少しだけ、休んでもいいでしょうか」
「もちろん」
俺も適当な石に腰掛けた。
俺ももう体力の限界だったのだ。
探偵たるもの護身の心得くらいはある。
が、人を背負って山登りをするような体力はない。
「アリスさん、今魔法は使えますか?」
「今ですか? ……正直しばらくは使いたくありません。暴発が怖いのです」
「では魔物に気をつけて進んでいきましょう」
「このあたりの魔物だったら、それほど怖がる必要はないですが……」
俺は怖いんです。
まだ見たこともないんだから。
魔物と言ってもまだ全然イメージできていない。
結局山へ来るときも一度もそういったものに遭遇していないからだ。
全く魔物が出ないというわけでもないらしい。
街の人の警戒具合は、野生のクマを警戒するくらいのものに聞こえた。
出会ったらかなり危険だが、逃げられないわけでもない、というくらい。
もちろん、油断したら死ぬようだが。
「クマくらい、あいつがいればなあ……」
つい独り言がもれる。
「クマ? あいつ?」
アリスが独り言に応える。
「いや、こっちの話です」
「そう」
「そういえば、もう少し魔法と魔物の話をしてもらえませんか?」
山に来るまでの道中、魔法と魔物のかんたんな講義をしてもらっていたのだ。
例えば、魔法使いは基本的に杖と呪文で魔法を使うとか。
魔法を補助するための魔術具があるとか。
戦闘では魔法使いは後衛だ、とか。
魔法使いとの戦い方、とか。
「そうですね、魔法の基礎は……」
ということで他にも教えてもらった。
《炎熱魔法》炎
《紫水魔法》水
《氷結魔法》氷
《迅雷魔法》雷
《疾風魔法》風
《大地魔法》土
《暗黒魔法》闇
《閃光魔法》光
魔法のベースはこれらの基礎魔法。
これらを組み合わせることで、偽装魔法や隠蔽魔法といった高度な魔法を使っているそうだ。
たとえば、重力魔法は大地と暗黒、偽装魔法は暗黒と閃光の組み合わせ、だそうだ。
「これって、本当に基本なんですか? 炎魔法と氷魔法って単に操る温度が違うだけなのでは?」
「……あなた、魔法は素人なのですよね」
「もちろん」
「……これだけの説明で基礎魔法系統の正当性に疑問を浮かべるなど、素人の思いつきでは済みませんよ?」
「たまたまですよ、たまたま」
まあ,少しでも科学の知識があれば思い浮かぶ疑問だ。
熱の本質は分子運動。
熱いも冷たいも、分子運動が激しいかそうでないかの違い。
感覚的なものは所詮人間の主観に過ぎない。
とすれば、炎の魔法と氷の魔法の本質は同じなのではないだろうか?
「……ええ、確かにそういった考え方もあることはあります。炎熱魔法と氷結魔法の類似性、あるいは迅雷魔法と閃光魔法の類似性……。が、それは本当に最先端の魔導研究者が今まさに取り組んでいるような問題なのです」
「面白いですね」
「……人によってはこれら全ての魔法の源は一つだ、と唱える人もいます。《万象斉一理論》と言います」
「《万象斉一理論》」
やたらとかっこいいな。
万物理論を思い出す。
「ただ、そういった考え方は学会では異端です。認められないだけ、ならばいいのですが、ひどいときには迫害されることも」
……何だか妙に実感がこもった話だな。
「アリスさんのお知り合いも?」
「あなたにするような話ではありません」
ま、それはそうだ。
「すみません。あとは、魔物について聞いても?」
本当に知らないんですか、とでも言いたいような目つきで見られる。
ええ、本当に知らないんです。
すいませんね。
「すみません、遠くの国から来たもので。常識にうといのです」
我ながら露骨に怪しい言い訳だ。
話によれば。
魔物は、大まかに以下のように分類されるそうだ。
《特A級》 国家緊急案件
《A級》 都市緊急案件
《B級》 村落緊急案件
《C級》 大人が数名で対処可能
《D級》 大人には無害。子供は気をつけるべし
一段階上がるだけで危険度が跳ね上がる。
「実際のところ、ほとんどの魔物はC級かD級。B級は冒険者のいい獲物。特A級とA級になると、私たち王属騎士団や勇者の出番」
勇者もいるんだな。
「例の【大厄災】は?」
「……あれは《特A級》より上でしょうね」
「上?」
「公式な認定はないけれど、《S級》と言っても」
魔界の三大妖怪並だと。
「そこまでいってしまうと、正直人間にはどうしようもないから、ランクもついていないけれど」
《S級》もピンからキリまでというやつか。
正直少しテンションが上ってしまう。
話していると、アリスも多少は具合がよくなったようだった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、まだ魔法を使うほど回復はしていないけれど、一人で歩けます」
「馬のところまで、頑張りましょう」
◆
ふもとが見えてきた。
馬は確かあのあたりにつないでおいたな……。
そう思いながら馬をつないだはずの木の方を見やる。
すると、そこには、木の根元には。
バラバラに殺された馬の死体が散らばっていた。
おいおいおい……。
「そんな……」
アリスの驚く声が聞こえた。