プロローグ―3
「はあ、はあ……」
ここまで逃げれば流石に大丈夫だろう。
目の前にあるのは小さな小屋。
路地裏にひっそり建っている木造の小屋。
吹けば飛ぶようなボロ小屋だった。
「ご飯とってきた」
小屋の中へ声をかける。
小屋の中からおそるおそる出てきたのは、一人の少年。
名前はコリー。
「ホントにとってきたのか……」
コリーは目を丸くして言った。
「これくらいしかできないからね」
マントの下から袋を取出す。
あの食事処で食べるふりをして、隠した袋に食べ物を入れてきたのだ。
小屋の中で、袋の中から食べ物を取り出す。
焼いた肉の塊が多いから、取り出すのは難しくない。
「ほら、食べて。3日くらい何も食べてないでしょ。コリーもコリーのお母さんも」
「ありがとう。でも……母さんももう長くないかもしれない」
「食べても治らないの?」
「……ノインは何も知らないんだな」
コリーは力なく笑う。
「ご飯は食べないとダメだけど、母さんの病気を治すには、薬か魔法が必要なんだ」
「じゃあ薬もとってくる」
わたしはコリーに言う。
が、彼の顔はさえない。
拳をにぎりしめるコリー。
「ノインには」
「え?」
「ノインには! 何の薬がきくかわからないだろ!」
コリーは声を張り上げた。
「何の病気か調べるには医者を呼ばないと。けどもうお金もない。治療魔法を使える人を呼ぶにも、すごくたくさんのお金が必要だ」
……そんな大変な時に、助けてくれたのね。
……。
「ごめんなさい」
わたしは家の外へ出た。
わたしを追いかけてくる足音が聞こえた。
「……ノイン」
コリーの声は泣きそうだった。
「大丈夫。力になれなくて――ごめんなさい」
わたしはコリーの目を見ずに言う。
この街に来たのはつい最近だ。
ほとんど行き倒れのようなかたちでこの街にたどり着いた。
傷だらけで死にかけのわたしを助けてくれたのはコリーだった。
雨をしのぐ屋根を貸してくれたのは、コリーのお母さんだ。
「……お金、とってくる。とってくるから。それで、治療術士を呼ぶ」
「…………」
「いいね。いいよね。やるよ」
この世界は理不尽。
理不尽と戦おうとしても、その力すら、そのきっかけすらままならない。
だから戦う。わたしは、死ぬまで戦う。
周囲を確認しつつ、そっと小屋の外へ出る。
まあ、流石に追ってきてはいないよね。
けど、お金か。
どこへ行けばいいのかな。
途方のなさに思わず頭が下を向く。
……と、その時。
目の前に、人が立ちふさがった。
下を向いていたので顔はよく見えない。
端へ避けると、声がきこえた。
「見つけた」
顔をあげると目の前にいたのは、鋭い目つきの男だった。
◆
路地裏。
フードを被った小柄の人物が、俺を見て立ちつくしている。
……すぐに逃げないな。
追いかける俺のことをちゃんと見てなかったのかもな。
とすると俺のこともわからないか。
「よう、食い逃げ犯」
俺は近づきながら声をかける。
逃げ出そうとする食い逃げ犯。
が、一手遅い。
俺はフードをがっちりとつかむ。
うーん、小柄な大人かと思ったが。
お子様だな。
10代前半か?
見ると靴はガリガリにすり減っている。
こんな子供がそれほどの長旅をする世界なのか、ここは。
もちろん、金もないんだろうが。
まあ、俺の仕事はこいつを突き出して終わりだ。
ガキは観念したのかおとなしくついてくる。
「……なんでわかったの。逃げ切ったと思ったのに」
少女の声だった。
声変わり前の少年と言っても通りそうな声。
「お前は俺と同じ旅人で、この街に来たのって最近だろ」
「それは服装を見てそう思ったの?」
話がはやいな。
頭は悪くない。
「それに金がなさそうな様子と、探偵の勘だな」
「探偵?」
探偵なんて概念、この世界にないだろう。
「探偵とは、この世界にはびこるありとあらゆる事件を解決し、犯罪者を追い詰め、世界に愛と調和をもたらす存在だ」
正しい探偵概念を布教しなくては。
「……バカみたい」
バカとは何だ。
「バカとは何だ」
「……だったらコリーを救ってよ!」
コリー?
「そんなすごい……タンテイ? だったら、コリーも、コリーのお母さんも救いなさいよ」
……………………
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……………………
「……なるほど」
「何がなるほど!?」
「事情はわかった」
「……え?」
「さっきの話の続きだが。お前は旅人で、この街の出身じゃない」
「……」
食い逃げするなんて、たいてい流れ者だしな
「けれどこの街の路地になぜかくわしい。頭の中に地図のある、この俺をまける程度にはくわしい。なぜか?」
「……」
少女は口をつくんでいる。
「それはお前に、この街の路地にくわしい協力者がいるからだ。自分で道がわからなくとも協力者に逃走ルートを考えてもらえばいいわけだ」
俺は少女をちらりと見る。
「その協力者がコリー。想像するに、この街に命からがらたどり着いたとか、この街でトラブルに巻き込まれるか何かしたお前を、助けてくれたのがそいつ」
「…………!」
少女は目をみひらいている。
「……間違っては。いない」
「あってるならあってるって言えよ、負けず嫌いか?」
「予想はあってる」
推理と言ってほしい。
「俺は身元不明なお前を助けそうな家々をめぐることにした。その途中で、お前を見つけたというわけだ」
「……そんなの! どれだけ路地裏に家があると思ってるの? それを全て記憶して……?」
「このあたりの家はたかだか数百件。その中で怪しい家などたかだか十数件。地道にまわれば何とかなる数だろうな」
「数百件が少ない……? あなた旅人って言ってたけど、この街の出身なんじゃ……」
「いや、今日の昼頃来たばかりだ」
「?????」
意味がわからない、という顔をされる。
……ま、もちろん。
足跡とか、足音とか、その手の手がかりも腐るほどあった。
あまりにも簡単すぎる問題だ。
「で、ここからはお前に話を聞かないとわからない。そいつらが困っているのは何でだ? 金か? 病気か? 人間関係か?」
「……病気」
……面倒だな。
金か人間関係なら金で解決できる。
病気は困る。
専門家を呼ばねばならないし、呼んでも治る病気とは限らない。
俺は立ち止まって考え込む。
「……助けられもしないのに気を持たせるのはやめて。はやくさっきのお店に連れて行って。家の場所もバレちゃったし、あなたから逃げても仕方ないし」
少女は諦めたような声で言う.
「助けるに決まってるだろ」
「悪いことをしたのに? 悪いことをした人も助けてくれるの?」
「……探偵にとって」
「何?」
「人助けに理由はいらない。探偵は世界に愛と調和をもたらす存在だ」
「……」
――そして何より。
「俺の目的は、単なる事件の解決じゃない。ベストな解決へ導くことだ」
「……」
子供は何故か少しうつむいた。
「助けられる人間は、俺の手の届く範囲、助けられる限りにおいて力を尽くして助ける。ハッピーエンドじゃなく、常にベストエンドを目指す。それが探偵としての俺のポリシー」
まるでヒーローね、と呟く声が聞こえた。
「そう。くだらない世界の冗談みたいな理不尽を一つでも多く潰すのが、俺の仕事といえる」
小さな笑い声が聞こえた。
久々に楽しいことがあった、というような笑いだった。
「……あなた、名前は?」
「朱羽レイ。三千世界に比類なき空前にして絶後の、名探偵だ」