プロローグ-2
――改めて思うが。
俺が神から受けた依頼。
異世界での神殺しの阻止。
だが現状、犯人候補も、動機も、手段もわからない。
どころか殺害対象である神の情報もなし。
これだけ意味不明な依頼をしておいて1ミリも事前情報がない。
過去最悪の客といえる。
すべて終わらせた暁には――。
あの神の一番嫌がることを……。
そう決意した俺は、ひとまず街で聞き込みを始めた。
そもそもこの世界で生きていけるか。
この世界の常識。神とは何か。
知りたいことは山程ある。
俺は街中を練り歩いた。それもスミからスミまで徹底的に。
旅人のふりをして街ゆく人に話しかけ。
枝分かれする路地裏に潜り込みながら。
買う気もないのによくわからない店に入り。
冷やかしは止めろと言われながらも――。
最低限必要な情報は集まった。
情報集めは探偵の基本。
とはいえここまで足を使ったのは久々だ。
最近はあいつらのおかげで大分楽ができていた。
……残してきた事務所のあいつらは大丈夫だろうか。
頭の悪い弟子が1人とたまたま拾ったハッカーの少女が1人。
まあ、あいつらなら……。
俺がいなくとも……。
……やっていけないだろうな。
――早く。
可能な限り早く帰ろう。
あいつらが何か問題を起こす前に。
高すぎる能力と引き換えに心のブレーキが壊れている。
……国を敵に回しかねないようなやつらなのだ。
◆
……いい加減聞き込みも疲れてきた。
ひとまず晩飯を食べよう。
何か食べながら考えをまとめるか。
『雷の鳥亭』。
目についた店に入ると、席は20ほど。
それが半分埋まっている。
ひとまずカウンターに座る。
オススメのサンダーバード焼きとやらを注文。
味には期待しないが、腹を壊さないかが心配だ。
大抵の環境で生き残れる自信はある。
が、異世界はさすがに想定外だ。
周囲を見渡す。
街の人、夫婦らしき男女がテーブル席にみられる。
あたりさわりない会話の他に魔物がどうの王属騎士団がどうの。
何やらぶっそうな話が聞こえてくる。
そういえば街掲示板にも衛兵募集の紙がはってあった。
想像通りそれなりに危険な世界ではあるようだ。
……ふむ。
一人で来ているのは俺くらい。
この店は地元の人向けのようだ。
――いや、もう一人。
俺の座るカウンターの反対側。
薄汚れたマントを羽織った小柄の人物が座っている。
マントのフードを深く被ったまま食べ物をかきこんでいる。
その人物の前には積み上がった皿、皿、皿。
……何皿食ってるんだ?
余程腹がすいていたのだろうか。
まあいい。
わかったことをまとめよう。
とりあえず言語は通じる。
読み書きもなぜかできる。
おかげでこの店のメニューも読めるし、注文もできる。
とはいえ、人をこんなところに送る以上当然のサポートといえる。
宿や食事も特別俺の常識の範囲で使えそうだ。
生きる分には問題ないだろう。
あとはお金について。
銀貨1枚あれば節約して一週間は暮らせる。
銅貨10枚で銀貨1枚。
銀貨50枚で金貨1枚。
銅貨1枚で安宿なら泊まれるし、一日簡単に三食はとれる。
もらったお金は丁寧に使って半年分くらいか。
……しかしそれも多いんだか少ないんだか。
金貨100枚くらいパーッとくれてもいいと思う。
あれこれ考えていると、食事が来た。
サンダーバード焼き。
まあ……サンダーバードという生物がいるのだろう。
鶏でも豚でも牛でもない肉。
切り身になっていて原形はわからないが……。
興味をひかれないでもない。
筋肉質で脂身は少ないが、山椒のようにしびれる風味。
丁寧な血抜きのおかげで肉の臭みもまったく気にならない。
他にもこの世界のものを食べてみたくなる。
……飯がうまいのは、よかった。
あとは、神殺し。
現時点での最優先確認事項。
道行く人に加え、数十件の家を訪ねて質問した。
しかし、神だの精霊だのについてまともな答えは得られなかった。
神や精霊がこの世界の安定を保っているとか、その程度は皆知っていた。
ただそれ以上聞こうと思っても、みな済まなそうに首をふるだけ。
答えは何一つ返ってこなかった。
今日見たところこの街は人口2、3万程度の商工業の街だ。
文明レベルを考えると、巨大な部類だろう。
とすれば学校くらいはあるだろう。
神がいるなら教会も必ずあるはずだ。
明日はその辺りから聞き込みを始めようか。
あとは……。
と考えをめぐらせていたところで、怒鳴り声がきこえた。
「食い逃げだ!」
店の亭主の声だ。
瞬間、店の扉が閉まる音が店内に響く。
食い逃げ犯が勢いよく扉を閉めたためだろう。
周囲を見回すと、俺の対面のカウンターに座っていた奴の姿がない。
カウンターの上には十数枚の空の皿。
小柄のマントの人物。
あいつか。
あんだけ食って逃げるか……。
いい度胸だ。
店内はどよめいているものの、追いかける姿はない。
……事件のあるところ探偵あり。
また探偵あるところ、事件もあるという。
追うか。
捕まえたら亭主に恩が売れるな、という打算もある。
……打算もあるが。
何よりも、この俺の前で。
目の前で事件を起こして逃げ切られるなど屈辱だ。
それがたとえ食い逃げだとしても。
俺の目の黒い間は何人たりとも逃しはしない。
「おじさん、俺が追う! とりあえず銅貨1枚おいてくから釣りは後で!」
俺は立ち上がってコインをカウンターに置く。
「おい!」
背中で店の亭主の声を聞きながら、俺は店を飛び出した。
店の外に出ると、人通りは比べて大きく減っていた。
右手側に通りを走り去る小さな影が見える。
影は右に曲がる。
大通りから細い路地に入ったようだ。
まあ、当然だ。
大通りは視界がひらけすぎている。
ただ……正しいは正しい行動なんだが。
……何か違和感がある。
とにかく。
俺は影を追って路地へと入る。
路地は複雑に入り組んでいる。
マントの人物はチラチラこちらを振り返りつつ逃げる。
追いかける俺。
見失ったら終わりだ。
がしかし、問題ない。
この区画は聞き込みの際に一通り歩いた。
頭の中に既に地図はある。
やっかいなのは、この路地は更に細かく枝分かれすることだ。
分岐が多く、なおかつ見通しも悪い。
逃げ込まれると一番面倒だ。
だが……おかしいな。
食い逃げ犯はおそらくこの街の人間ではない。
旅装のようなマントもそうだが、何より俺と同じ匂いがする。
だとしたら、一番逃げやすいこの路地を選んだのは偶然か……?
と、そこで影がいきなり加速した。
曲がり角をその勢いで駆け抜ける影。
「クソ、そこは……」
影が俺の視界から一瞬消える。
俺は今までよりもなお強く地面を蹴った。
曲がり角を曲がる。
クソ。
――いない。
俺の前には、曲がりくねった4本の小路。
ここはいくつかの路の中でも一番見通しが悪い。
しかも路の分岐も複雑。
影の姿は見失った。
小路のどれかには進んだのだろうが……。
見失いたくないところで見失ってしまった。
まあ、問題ない。
かすかな匂い。
あるかないかの足跡。
そして遠くから響くたくさんの足音。
手がかりは十分。
さて、行くか。
まだ振り切られたわけじゃあない。
相手が誰であろうと――たとえ神や悪魔だとしても……逃しはしないさ。