0.彼の役割②
「――これ以上逃げ回るのはちっと厳しぃか……」
タクトは自身の倍以上の長さを誇る牙に戦慄しつつも、これから全体を見せるだろう敵の方を睨み付ける。少年を助ける際に一度目に焼き付けているとはいえ、あの厄災ともう一度対峙するにはそれなりの覚悟が必要だった。
ドンッ、ドンッ、ドシンッ。村全体を揺らしながら、巨大な獣がその姿の一部をこちらへ晒す。タクトの数十倍もあるであろう身体からは所々火炎が漏れ出し、その目はまるで燃えているのかと錯覚するほど血走っていた。幸い、巨獣の方も目が慣れていないようで、未だにこちらの姿は捉えられていない。だが、それもこの一瞬だけだけだろう。
「さぁ、少年。ちょっとだけお別れだな」
「お兄ちゃん……!?」
「ごめんな! お兄ちゃんな、ちょっと用事ができちまった。ここから一人で走れるな?」
「そ、そんなっ! 僕一人で……?」
突然地面へと降ろされた少年は不安そうにタクトの袖を引っ張る。目からは再び涙が溢れ出ていて、この暗がりの中一人という恐怖に支配されていた。
タクトはそんな少年にニッと笑顔を向けると、小さく震える頭をわしゃわしゃと撫でる。
「そんな顔すんなって。君はひとりで行けるさ! そのためにオレが残るんだ。危ないことなんて、ひとつもない」
「で、でもそれじゃあお兄ちゃんは?」
「心配すんな。こいつをなんとかしたらすぐに行くからよ。それに君もオレも一人じゃない。外には仲間がいる! 今は村から出れねぇけど、じきに合流できるッ!」
「本当に――、 本当に一人じゃない?」
「あぁ、本当さ。ちょうどこの道をまっすぐ走って村のはずれまで行くんだ。今はあいつの作った炎の壁ごしだが、そこにいるオレの仲間が――少年、君を必ず助け出す。だからそこまでの辛抱な。……できるか?」
少年の肩にそっと手を置くとタクトはその目をじっと見つめる。少年は最初こそ戸惑った表情をしていたが、こちらをしっかりと見据えて力強くうなずいた。
少年の覚悟を受け取ったタクトは最後にその小さな身体を抱きしめる。
「……よーし、いい子だ。そんじゃ、また後でな!」
「――うんっ!」
力強く駆けていく少年。その後ろ姿を見守っていると、後方からまばゆい光が放たれる。ついに巨獣がこちらを捉えたのだ。再び輝きを取り戻した宝珠からは先ほどの溶岩が滴っていて、そこからそれが噴出したことをこちらに教えてくれる。
グギゴガァーーッ! 昔本で見たイノシシのような姿を見せた巨獣は、再び咆哮を上げるとその場で長い牙をがむしゃらに振るい、自らの力を見せつける。
「……会いたかったぜ、いのしし野郎。あいにくとここを通すわけにゃあいかねぇ! 悪ぃがここで、オレに付き合ってもらうぜ?」
牙を振るうだけで巻き起こる暴風をもろに受けながら、タクトは背中に携えていた剣をゆっくりと手に取る。普段であれば手からも汗が出ていておかしくはない状況だが、今回は拭うべき汗はそれほど出ていない。最悪の敵を前に、意外にも心は落ち着いているようだった。
「さぁ、どっからでもかかってこいよ! 怪物ッ!」
そう言い放ち剣先を敵へと向けた瞬間、巨獣は唸り声をあげながら前足で何度も地を蹴る。そして、その巨体をもろともしないスピードでこちらを目がけて突っ込んできた。
「うおぉぉーーらあぁァァーー!!」
両隣にある瓦礫をまるで紙のように貫きながら猛進する巨獣とタクトの全力を込めた一振りがぶつかり合う。その桁外れな重量に一瞬押し切られそうになるが、ギリギリのところで踏みとどまった。
「――はは、大したことねぇなぁ! そんなんじゃオレは倒せねぇっ!」
タクトはジリジリと火花を散らす剣を握りしめながら、そう言い放つ。
もし誰かがその言葉をただ聞いただけなら、それは巨獣に向けられたものだと感じるかもしれない。だが、それはタクト自身に言い聞かせたものだった。圧倒的な戦力差のなかでも決して折れぬように、自分の力が通用すると信じるために。
そうはいっても、結局のところそれは気休め程度にしかならない。いくら自分を鼓舞しようとも、今のタクトにこの巨獣をどうにかできる力がないという事実は変わらないのだから。
だからこそ、崩壊していく村の中で少年を見つけたときも、状況を打破するまで逃げ続ける道を選んだ。みっともないと分かっていても、一人ではなにもできないタクトにとって、それが最善の策と判断したのだ。
「ハァ、ハァ、ハァ……。こんのォ……馬鹿っ力がッ!」
タクトの強がりなどお構いなしに巨獣は一歩踏み込み、なおもその勢いを増していく。
二歩、三歩……。タクトがいくら踏ん張ってもその歩みを止めることができない。それはなんとか気力だけで保っていた均衡が崩れたことに他ならなかった。剣を握る手もガタガタと震え、タクトは自身の今後を悟る。
「――――ッッ、!」
全身を鈍い痛みが襲う。巨獣の突進をもろに受けてしまったのだ。胸部からはバキッと嫌な音が響き、建物二つ分ほど突き飛ばされてしまう。
両手を地につけ肩で呼吸を繰り返す。当然そんな獲物を前にして巨獣が攻撃の手を緩めるはずがない。おぞましい叫び声と共に牙と牙の間に巨大な火球を作り出すと、必死に立ち上がろうとしているタクトに向けて放つ。
周囲の瓦礫をも巻き込み自身へと迫る火球に驚愕しつつも、剣を地面に突き刺しタクトはふらふらと立ち上がった。
状況は最悪。身体はボロボロで、頑丈さだけが取り柄だった剣も先ほどの衝突でギザギザに刃こぼれしてしまった。絶体絶命、そのどこかでみた単語がタクトの脳裏をよぎる。
それでもタクト・アサミヤという少年には諦めるなんて選択肢などない。ボロボロの中、それでも確かに生きている目で灼熱の塊をとらえると、意を決したかのように大きく息を吸う。
「アンタ達の力を借りること、許してくれ。――気力招集ッ、強制的に使用する……!」
突如として周囲を漂い始める蒼白い光。それはタクトを中心に吸い寄せられるとそのまま身体の中へ流れ込む。
「ぐっ、さすがにキツイな……。たのむ、最後まで耐えてくれよぉ! オレの身体ッ!」
本来の使い方とは異なる異能の発動からか、その全身に激痛が走る。流れ込むエネルギーが身体中で暴れ、タクトに不必要な負荷を与えているからだ。
ただ、それは一時的なものだった。迫りくる火球がタクトを包み込むその前に痛みは完全に消え去る。代わりに身体を駆け抜けたエネルギーはすでに腕を通じて剣にまで伝わっていた。
「はあァァーーッッ!!」
雄叫びと共に火球へ向けて振り下ろされる剣。蒼白い光を放つそれは業火にぶつかると、そのまま炎の塊を切り裂いた。