0.彼の役割①
村が炎に呑まれていく。チリチリと音を立てながら、ゆっくりとそれでも確実に。その赤い波は、すでに日が落ちきった小さな村を真っ赤に染めあげた。
建物だったはずの瓦礫からは時折村人の手足が顔を出し、この厄災が炎によるものだけでないことを思い出させる。もう、この村で息をしている者はほとんど残ってはいないだろう。
「――ちくしょうッ! オレにもっと……、もっと力があれば!」
もしかしたら救えたかもしれない亡骸を横目に、タクト・アサミヤは炎の地獄をがむしゃらに走り抜ける。どうせどこへ逃げようが村から出ることは叶わないのだ。そうであるなら、頭を使う必要などない。状況を打破するまで奴から逃げればいい。――ただ、それだけのことだ。
「――お、お兄ちゃん……?」
片手で抱きかかえていた村の少年が、タクトの胸の中で不安そうに言葉を漏らした。
「おっ、起きたか少年! 大丈夫だったか? どこか痛かったら言うんだぞ?」
「痛くない――、どこも、痛くないよ」
先ほどまで気を失っていた少年はゆっくりと首を横に振る。流石に表情に活気は見られないが、大事には至らなかったようでタクトはひとまず安堵とする。
「良かった、ならあと少しの辛抱だ。すぐにここから出してやるからな!」
「う、うん」
少年が煙を吸わないように胸へ抱き寄せると視界に入った十字路を曲がる。すぐに周囲を見渡すが、目に入るのは変わらず真紅の景色に半壊した建物。正直、目が覚めたばかりの少年のために少しでも足を止められればと思っていたが、そうもうまくはいかないらしい。
ゴガアァァーーッ!! 先ほどまで走っていた路地の方から、全身の毛が逆立つかのような轟音が鳴り響いてくる。タクト達を追う巨獣の咆哮に違いなかった。その恐怖の塊を改めて受けた少年はタクトの身に着けている学生服をギュッと握りしめ力なく震える。
「あいつは僕たちを探してるの?」
「そうだろうな……。――少年、今だからこそ覚えておくんだ。奴らは自分以外の生き物を殺すためだけに存在している獣ってことをな」
「じゃ、じゃあ! このまま僕たちも殺されちゃうの? い、嫌だ。僕、まだ死にたくないよぉ……」
こちらを見上げる少年の顔は絶望に歪められていた。無理もない。今、涙を流している少年は自分よりも一回りも二回りも年下なのだ。そんな子供が抱える恐怖はタクトのそれを遥かに超えることくらい想像するに容易い。――だからこそ、これ以上不安にさせないよう、こちらが感じる恐怖だけは伝わらせてはいけないだろう。
タクトは強張りかけていた顔で無理やり笑顔を作ると少年を強く抱きしめる。
「――大丈夫、大丈夫だ。さっきも言っただろ? オレが絶対にここから出してやる。君は絶対に死なせない。オレの命に代えてもな!」
そう、困っている人がいれば助ける。自分の命がある限り他者の命を救う。そして、その生を見守り続ける。それがタクトに課せられた役割であり、タクトが自分を証明するために、絶対にこなさなければならないことだった。
少し震えの収まった少年の頭にポンと手を置くと、落ちかけていたスピードを元に戻す。いくら建物を挟んでいるとはいえ、すぐ隣の通路にはこちらをつけ狙う獣が徘徊しているのだ。その証拠に先ほどから獣の背負う紅色の宝珠が視界の端に居座り続けている。
煌めくことを忘れないその宝珠は赤く塗りつぶされた闇夜を変わらずに照らし続けていて、本当であれば視界の悪い夜でも暗さを忘れる程だった。だからだろう。――すぐに異変を察知できたのは。
「お兄ちゃん、暗いよぉ……」
突然、周囲が暗がりに包まれる。はっとして見上げると宝珠から光を感じることができない。先ほどまで視界の良かった道も炎によって足元を照らすばかりで見えづらくなっていた。
異変に首をかしげながらタクトは足を止める。突然暗がりに放り込まれたのだ。いまだに目の慣れていないこの状況で、瓦礫の道を駆けるのは得策ではない。光の消失と共に動きを止めている獣の背中をタクトはじっと見据えた。すると、
「なんだ、この音は……?」
タクト達の耳に馴染のない異音が入り込んできた。それは獣の咆哮でもそれに呼応して吹き荒れる風でもない。例えるならグツグツとなにかが煮えるような、そんな音だ。
しかし、もう既にこの村には水なんてものは存在していない。村が奴に閉じ込められたあの瞬間、広場の噴水も、村人を潤す井戸の水も、ささやかに流れていた小川さえも蒸発してしまった。いまさらなにかが煮えたぎることなどあり得ない話だ。
「――悪ぃ、少年。少し揺れるぞ」
嫌な気配を感じ取ったタクトはその場を足早に通り過ぎる。少年もそれは感じ取っていたようで振り落とされないよう、必死にしがみついていた。そして、何事もないかとちらりと後ろを振り返った瞬間――、
ゴォォーーッ! 先ほどまでタクト達が通ったはずの通路を横切るように、灼熱の線が通り抜ける。その熱線は勢いの収まる気配もなく、そのまま彼方にある山脈の一部を吹き飛ばした。さらにそれだけでは飽き足らず、その後をゆっくりと追うかのように真っ赤なドロドロとした液体がなだれ込む。
「クソっ! 熱線の次は溶岩かよ! むちゃくちゃやりやがってッ!!」
今もなおブクブクと音を立てているそれは、そのまま村はずれまで流れ込み、途中の障害ごと溶かしつくす。運よくタクト達の進行方向へは流れてきてはおらず、少年の身の安全も今は守られていた。そう、今はまだ。
「お、お兄ちゃん、あれっ!」
すぐに溶岩から距離を離そうとしていたタクトだったが、少年の声掛けにゾッとして立ち止まる。少年の指さす方向へゆっくり、ゆっくりと首を回すと――、そこには何者かの牙が、溶かされ中心をくり抜かれた建物から顔を覗かせていた。