#8 四次元ペンダントと星の目グラス
マキナさんは高校の脇の道路に着陸した。
アスファルトに飛び降りる。ツキもマキナさんから降りた。彼女も走って追いかけてきた。
向いのスーパーはもう閉まっていた。人通りもなくて、周りの目を気にする必要はなかった。
「にゃあ」
目的の場所に辿り着く。俺は二人に「ここだよ」と伝えた。
マキナさんの前照燈が壊れた塀を照し出した。俺が昼間に見かけた時は、この辺りに人だかりができていた。警察官が男子生徒に聞取をおこなっていた場所だ。今はカラーコーンが置かれ、侵入防止のテープが張られている。
「ここだね。間違いない」
ツキが言った。
ツキは、自分の首から下げていた宝石に触れた。そう言えば、ペンダントの紐が長くなっている。俺が駅前で拾ったときは、手首にやっと通せるくらい短かったのに。
緑の宝石からあの手鏡が出てきた。
「これが千変鏡だよ。もとに戻るには、これに触れてその姿を思い浮べればいいの」
「このまま戻ったら素っ裸だ」
俺は間髪入れずに言った。ツキはきょとんとして俺を見た。それから、口元を隠して上品に笑った。
「心配しないで。『四次元ペンダント』があるから」
「ヨジゲンぺんだんと?」
はじめて聞く単語だった。ツキは「そう。これのことだよ」と言って、緑の宝石を摘んだ。
「遠くにあるものを取り寄せられるんだよ。例えば……」
ツキの親指が宝石をなぞる。
「にゃっ!」と俺は叫んで、飛び跳ねた。誰かに背中を触られたんだ。
気づいた時には、俺はツキに抱きかかえられていた。
ツキは俺を地面に下ろし、四次元ペンダントを見せてくれた。宝石の表面には四角い穴があいていた。米粒みたいに小さくて、扉のような恰好をしている。穴を覗けば、その向こうに黒猫の背中が見えた。
俺はびっくりして振り返った。背後の空中の一ヶ所に、四角い穴のようなものがあいていた。
「予備があるから、貸してあげるよ」
俺の首に四次元ペンダントがかけられた。長かった紐がみるみるうちに短くなって、猫の首にぴったり合った。
「今、ペンダントの向こう側を君の家に設定してあるから。靴や服はコンピューターが勝手に選んで、着付けてくれるよ」
俺は首をかしげた。
「この首飾りが、袴を穿かせたり、釦を掛けたりしてくれるのか」
ツキが首を横に振った。
「ワームホールをくぐる時に、分子レベルで服を分解するんだよ。それを体のまわりで瞬時に組み立て直して……」
俺は首をかしげた。
「まあ、とにかくやってみてよ」
俺は鏡を地面に置き、目をつむった。
「ペンダントと千変鏡は連動してるんだ。千変鏡で変身すると同時に、ペンダントが服を脱ぎ着させてくれる」
もとの姿を思い浮べて、俺は千変鏡に触れた。前足を地面から離す。身体が大きくなってゆくのが感じられた。
目を開ければ、俺は懐しい人間の姿に戻っていた。けれど、一つだけ問題があった。
「なんじゃこりゃあ!」
俺は、可愛らしいワンピースに身を包んでいたんだ。
見憶えのある服だった。俺は顔を覆い隠し、その場にしゃがみ込んだ。「これは、姉ちゃんの服だ……!」と小声で言った。耳が熱くてたまらなかった。
「ごめんね。コンピューターが間違えちゃったみたいだね」
ツキは苦笑いだった。
俺は自分の服に着替えた。自分の腕時計も取り寄せた。時刻は九時を回ったところだった。
「よし、じゃあ初めての仕事だよ」
ツキが切り出した。
「羽揺。突然だけど、君は過去を見たことはある?」
「見たことないよ」
俺は言い切った。
「俺の眼には今の景色しか映らない。だから、昔のものは見られっこない」
「本当にそうかな」
ツキは上を指差し、言った。
「空をごらん」
俺は上を見た。夜空に星が散らばっている。猫の眼では見えなかったけれど、人間の視力ならどうってことはない。
ツキも見上げながら言った。
「僕たちの真上に、ほかより明るい星が三つ見えるでしょ。それぞれ、ベガ、デネブ、アルタイルっていう名前がある。日本では昔から、ベガは『おりひめ』、アルタイルは『ひこぼし』と呼ばれているけど」
俺は焦れったくなった。
「それがどうしたのさ」
ツキは急がず、順を追って説明した。
「羽揺。あの星たちは、地球からずっと離れた場所に浮んでるんだよ。星から出た光は、宇宙を何十年も、ものによっては何千年も旅して、やっと僕たちの目へ映り込む。羽揺が今見ているのは、星の過去の姿なんだ」
ツキはマキナさんに寄りかかって、ペンダントをつまんだ。
「星だけじゃないよ。どんなものでも、遠ざかれば遠ざかるほど若返って見える」
四次元ペンダントから何かが飛び出す。ツキはそれを捕まえて、俺に差し出した。眼鏡だった。
「『星の目グラス』だよ。このレンズを覗けば、うんと離れて物を見たのと同じになる。つまり、昔の景色が見られるんだ」
俺はそれを受け取った。蝶番のところに小さな目盛があった。
「ダイヤルを八時間前に合せて、眼鏡をかけてごらん」
俺は塀の前に立ち、星の目グラスをかけた。
目の前に競馬場のような場所が現れた。俺は目をぱちくりさせた。
「なんだこれ。馬がかけっこしてる」
ツキが横からレンズを覗き込み、笑った。
「目盛が八十年前になってる。もっと時代を下らないと」
俺は、教った通りにダイヤルを合せ直した。改めて塀のほうを見る。崩れた塀と人だかりが見えた。その中のワイシャツの背に、心当りがあった。
「俺がいる!」
「ここから少しづつ遡っていけば、塀の壊れた時間に辿りつく。それを見つけるんだよ」
俺は眼鏡をクイッと指で上げて、意気込んだ。
「よし、やるぞ」
俺はまず、一時間ごとに遡ることにした。九時間前は……崩れていた。十時間前も崩れていた。十一時間前も同じだった。
十二時間前には、塀はまっさらだった。つまり、十二時間前から十一時間前のあいだに塀が崩れたということだ。
そうやって、少しづつ範囲を絞ってゆく。そして、俺は決定的な瞬間を目撃した。
目の前で砂埃が舞っている。その中に、過去のマキナさんが映り込んでいたんだ。
「ツキ、これは……!」
俺は眼鏡を外し、レンズを見せた。ツキが目盛の数字を読む。
「十一時間五十八分前といったら……マキナ、時刻は?」
「この時代の日本時間で、午前九時十三分です」
「じゃあ、その三分前に設定して。今すぐ行こう」
ツキが指示し、マキナさんに乗り込んだ。これから時間旅行をするんだ、と俺は思った。