#6 ツキの過去
ツキはマキナさんの座席に坐っていた。暖色の天井燈が白い髪を照している。
「僕もマキナも、昔の記憶はすっかり抜け落ちてる。だから、この話は僕たちの推測を組み合せたものだよ。それをわかった上で聞いてもらえるかな」と、ツキは前置した。
俺は「わかった」と言った。俺は猫の姿でダッシュボードの上に坐り、ツキと向き合っていた。
マキナさんは一人乗だった。俺の足元で速度計が光っている。いろいろな形の警告燈も点滅していた。そして、不思議なことにハンドルがなかった。
「僕は、もともとは普通の動物だったの」
ツキは語り出した。
「動物の種類はわからない。いつの時代のどこの土地で生れたか、検討もつかない。きっと、森かどこかで家族と気ままに暮してたんだ」と、遠くを見るような目で言う。
「そこへ、人間が乗り込んできた」
ツキは続けた。
「未来の人間がタイムマシンを発明したんだ。――人間の道具は何でもそうだけど、タイムマシンも正しく扱ってるうちはいいんだよ。でも、やっぱり悪用するやからが出てくる」
ツキは眉尻を下げた。
「密猟者がタイムマシンを手に入れて、過去へ出向くようになったんだ。彼らはいろんな時代で動物を殺したり、捕まえて未来で売るようになった。……僕もそうやって捕まった」
気分の悪い話に俺は身じろぎした。ひどいことをするもんだ、と怒りもこみ上げてくる。
「僕は運がよかった」
ツキが微笑む。
「何かの拍子に、僕は逃げ出せたの。で、少しばかりの道具を手に、このマキナに転がり込んだ」
「私に乗って命拾いしましたね」
マキナさんが口をはさむ。ツキはカメラを見て、「そうだね」と頷いた。
「道具の使い方も、言葉も、みんなマキナから教わったの。二人でいろんな時代を旅して、そこそこ楽しくやってたよ。でも、あるとき転機が訪れたんだ――オドメーターって知ってる?」
俺は頷いた。
「見たことあるよ。父さんが説明してくれた」
たしか、自動車についているメーターのひとつだ。今までに走った全部の道のりが、足算されて出ているんだっけ。
「じゃあ話は早いね。マキナにもオドメーターがあるの。この黄色い数字だよ」
ツキが俺の足元を指さした。俺はツキの膝に乗って、振り返った。そこにはこう表示されていた。
「999yr 360d」
「きっと、羽揺が知ってるのは単位が『キロメートル』のやつでしょ。『この車は、今までに何キロ走りました』っていう。でも、マキナはタイムマシンだから、メーターの表す意味も違う。この数字は、マキナが起動してから今までで、車内に流れた時間を表してるんだよ」
「車内に流れた時間」
俺はメーターを見つめたまま、鸚鵡返しに言った。
「そう。つまり、僕とマキナが出会ったのは九百九十九年と三百六十日前」
「言いかえると、その数字は私の年齢なのです。私はもうすぐ千歳の誕生日ということですね」
どこからともなくマキナさんの声が響いた。きっと、車内のどこかにスピーカーがあるはずだった。でも、俺には見つけられなかった。
「そう言えば、あれは朝だったよね……ヴュルム氷期のヨーロッパへ行った時だった」
ツキは話をもどして、ドアをコンコンと二回叩いた。マキナさんがドアを開ける。ツキに続いて、俺も外にぴょんと降りた。
「僕はマキナを高台に停めて、窓越しに景色を眺めてたんだ。朝焼を背景にマンモスの群れが横切ってたよ。僕はふとオドメーターを見た。そしたら、数字がぴったり五〇〇年になってたんだ。そっか、もう五百年も経ったんだ……って、感慨深くなっちゃった」
千とか五百とかいう数字が出てきて、俺は疑問に思った。そんなに時間が経っていたら、動物も機械も寿命が来るんじゃないか。
だけど、まずはおしまいまで聞いてみることにした。
「その時、僕は気づいたんだ。自分がどこから来たのか、自分が何者なのか、まったく知らなかったことにね」
ツキが見上げる。俺もつられて空を仰いだ。十日夜の月がぼんやりと見えた。夜風が俺の黒い毛並を撫でた。
「今まで、いろんな動物に変身してきたよ。例えば、大きな動物」
手鏡を取り出して、鏡面を数回叩く。ツキは巨大なアルゼンチノサウルスに変身して、マキナさんを一跨ぎした。
「小さな動物」
体を一瞬で縮ませて、蚊に化ける。
「海の動物」
真白なイルカがマキナさんの隣に横たわる。
「それから、空の動物にもね」
雀に変身して俺の前に降り立った。人間に戻り、すっくと立ち上がる。俺はドキドキしながらその姿を見上げた。ツキは「ふっ」と俺に笑いかけた。
「だけど、僕、そういう暮しはやめることにしたの。ふるさとへ帰って、もとの姿に戻ると決めたんだ。そのためにまず、石炭紀のゴンドワナ大陸へ戻った。そこには一日前の僕がいる。一日前の僕がいつの時代から来たのかを調べれば、二日前の僕に会える。そうやって一日づつ遡っていけば、五百年後に僕のふるさとへ辿り着く」
ツキは俺に背を向けて言った。
「今は、長かった旅も大詰なんだ。明日からの五日間は、これまでよりずっと忙しくなる」
くるりとその場で回り、俺に向き直る。
「羽揺。僕が元の姿に戻るのを手伝ってくれないかな」
俺は一瞬、自分が何を頼まれたのか理解できなかった。マキナさんも呆然としている。
「それって……具体的に何をするんだ」
「簡単だよ。五日間でいろんな時代へ行って、過去の僕を探すの。一日二時間、計十時間。学校から帰ってきたあとでもできるよ」
「えっ、時間旅行ができるのか!?」
俺はびっくりして訊き返した。
「もしかして、中生代にも行くんじゃないか」
恐竜たちの暮していた時代に思いをはせる。ツキはちょっと考えてから、「十中八九行くと思う」と言った。
俺はぼうっとしてしまった。
恐竜時代で放課後を過ごせるかもしれない。生きて動いている恐竜を見られるかもしれない。そう思うと胸が高鳴った。