#43 ツキとマキナさん
二人で階段を駈け登る。
外へ飛び出すと、銃声が響いた。ツキの四次元ペンダントが砕け散った。ツキが体を強張らせる。
前方の空中に黒い人影と一台の車が立っていた。万化銃の銃口をこちらへ向ける博士と、マキナさんだった。
ここは船の甲板だ。船体が透明になっているので、空中に立っているように見えるんだ。遥か下で魚たちが群れている。鏡のような肌が日差を照り返していた。
目の前をよく見ると、ひらひらとした屑のような物が海風に流されている。四次元ペンダントは粉々になったのではなく、灰になってしまったんだ。
「トキ。今、お前の眉間に狙いを定めている」
黒いコートが旗めく。外套の裂け目から日光が洩れる。ツキも俺も、人形のように止まっていた。
「トゥキ様」
博士の背後でマキナさんが呟いた。その背後に入道雲がそびえている。
階段から続々と車たちが昇ってきた。未来のマキナさんもユウさんも、黒いバイクもいる。
真昼の太陽に照らされて、一筋の汗がツキの首で光った。
「……マキナさんを返せ」
俺は言った。ツキが体をぴくりと揺らした。
「生物学者なら知っているだろ。生き物には個体差があるんだ。同じ種の生物でも、一匹々々、個性がある」
喉から言葉が溢れてくる。
「機械だって同じなんだ。あなたの目には、みんな同じ車に見えるかもしれない。だけど、一台々々、性格が違う。考えることも違う。抱えている思い出も違うんだ。簡単に盗んだり、壊したりするな!」
博士は何も言わなかった。静かに万化銃を握り直し、まっすぐと、ツキに狙いを定める。
「先生」
バイクが博士に呼びかける。
「今から別の時代へ逃げて、一体何ができるのですか。法を犯してまで研究を続けて、その先に何があるのですか……」
博士は狙いを変えた。万化銃から薬品の入った弾が発射される。銃弾は俺たちの背後の船体に命中した。
炎が上がる。
「どうぶつたちが!」
車たちがどよめき、悲鳴を上げた。ツキが目を見開く。
博士は言い放った。
「鳥の一千羽、車の一万台がどうした。個体差など揺らぎに過ぎない。代りは幾らでもあるのだ」
俺たちを尻目に、マキナさんに乗り込んだ。
「さあ、出発しろ。行先は二億年後の超大陸だ。人間は絶滅していて一人もいない。誰にも邪魔されず研究に没頭できるだろう」
しかし、マキナさんは動かなかった。博士が繰り返した。
「おい、聞いているのか。さあ動け」
「動きません」
「なんだと」
博士が驚く。
「私はあなたの物ではありません。あなたの言いつけには、これっぽっちも従いません」
コートを翻し、マキナさんから降りる。
「機械が人間に逆らうな!」
万化銃を取り出した、博士の手をツキが払った。そのときの衝撃で博士がどさりと倒れる。万化銃はくるくると回りながら透明な甲板を滑った。
万化銃が止まった。ツキがそれを力いっぱい踏み潰す。ガラス製の銃は簡単に砕け散った。薬品の附着した部分だけ、甲板が変質する。灰が風に吹かれ、金属の船体が露出した。銃は跡形もなく消えた。
博士が顔を上げる。ツキはそれを見下ろした。真白な髪が風をふわりと孕む。青いリボンが風になびいている。リボンは黄ばみ、毛羽立っていた。
「僕の家族に手を出さないで」
ツキがきっぱりと言った。博士が眉間に皺をよせる。
その時、空の彼方から何かがやってきた。
「タイムパトロールだ!」
俺は指差した。車たちが歓声を上げる。ツキとマキナさんが空を見上げて微笑んだ。
マキナさんと同型のパトカーが甲板の上に何台も降り立った。パトカーの中から一斉に色とりどりの蝶が羽ばたく。ツキはマキナさんに寄り添い、その様子に見とれていた。
蝶が次々に人間へと変身する。隊員たちは無言で銃を構えていた。あの女性隊員もいた。みんなの先頭に立って、博士を見据える。
博士は歯を喰いしばり、俺たちを見た。マキナさんもツキも俺も、彼を睨んだ。
眉間の皺がのびた。博士は崩れ落ちて、観念したように両手を上げた。
*
俺たち三人は、タイムパトロールの母船のなかにいた。
俺は椅子にかけていた。隣にはツキがいる。そのまた隣にはマキナさんがいる。この会議室で待っているように言われてから、かれこれ三十分が経っていた。
正面の扉が自動で開いた。部屋に入ってきたのはあの女性隊員だった。彼女はこの隊を取り仕切っているようだった。俺たちの顔を一人々々確めるように見てから、隊長は言った。
「あなたたちの無実は証明されました」
俺はほっと溜息をついた。ツキとマキナさんも同じようだ。
「楢原羽揺くん。あなたは二十一世紀に帰るのですよね」
「はい、帰ります」
「問題は、ツキさんとマキナさんです」
隊長のことばにツキの顔が強ばる。マキナさんも光を弱くしてツキに寄り添った。
「ツキさん。私たちの調査によれば、あなたは飛鳥時代の日本にトキとして生れました。そして、五歳になった夏。博士に捕えられ、船の中で人間に変身し、マキナさんと出会いました」
ツキは、その言葉をひとつひとつ、ゆっくりと飲み込むように聞いた。それから首肯した。
隊長は芯の通った声で言った。
「選択肢は二つあります。トキに戻るか、人間として生きるかです。いずれにしても、マキナさんは本来タイムパトロールの所属です。このあと、私たちが責任をもって引き取ります」
俺はカチンと来た。隊長は、二人がお互いのことをどんなに大切に思っているのか、知らないんだ。マキナさんの意向をはなから訊かないだなんて、許せない。
俺が席を立とうとした時、ツキが意を決したように言った。
「僕も、タイムパトロールになりたい」
「……えっ?」
マキナさんがきょとんとする。俺も意味がわからなかった。
隊長がこくこくと頷く。
「志望動機は?」
ツキは、隊長の目をまっすぐ見据えて言った。
「仕事の様子に、心を動かされたからです。人間と機械が協力して、大きなことを成し遂げようとしているふうに見えました。お互いに、頼りっぱなしでも従いっぱなしでもありません。その関係を、とても素敵だと感じたんです」
俺はツキを見て目を疑った。髪の毛先がみるみるうちに染まってゆく。やがて、オレンジがかったピンク色に変った。
隊長が無言でつづきを促す。
「生物や機械の知識には誰よりも自信があります。入隊したらきっと活躍できます」
そこで一度口を噤む。それから、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「それに……僕は、マキナと一緒に暮したいんです。千年間、ずっと一緒にいたんです。別れるなんて……考えたくありません。だから、お願いします。マキナと一緒に二十二世紀へ連れて行ってもらえませんか」
部屋の中が静かになった。マキナさんの車内で色とりどりの光がまたたいていた。
隊長が厳しい目で言った。
「必要なのは、生物学と工学の知識だけではありません。法律のことも知り尽くしていなければなりません。入隊には試験もあります」
ツキがうつむいた。隊長がつづける。
「それでもやりたいというのなら……この船に残りなさい」
ツキは顔を上げた。マキナさんを見つめて、ぽかんと口を開ける。
「トゥキ様!」
マキナさんがツキに飛びついた。
「マキナ!」
ツキはマキナさんを受け止めた。部屋の扉が開き、マキナさんと同型の車たちが雪崩込んできた。バイクも、改造された車たちも一緒だ。未来のマキナさんもユウさんもいる。
「マキナちゃん、よかったね」
「ふたりともおめでとう!」
ツキをボンネットに乗せて、マキナさんは宙に浮かび上がった。その場でくるくる回る。ツキは満面の笑みだった。
「ツキ、マキナさん。よかったな」
俺は声をかけた。隊長も微笑んでいる。
床に降り立ったツキの顔を見て、俺は言葉を失った。ツキは泪を流していたんだ。
「マキナ、ごめんなさい」
ツキが頭を下げた。マキナさんは静かに耳を傾けている。
「マキナのことを消そうとして、ごめんなさい」
「わかっていましたよ」
マキナさんはくすりと笑った。ツキが顔を上げる。彼女のサンバイザーには「麻紀奈」と書かれた紙が挟んであった。
「わかっていましたよ、あなたが私のことを消せるはずがないって。私にとって、トゥキ様はおひとりだけです。トゥキ様にとっても、私はひとりだけなのですから。あなたの命が尽きるまで、あなたに付き合ってみましょうか」
ツキはゆっくりと頷いて、ヘッドライトに頰を寄せた。




