表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恐竜時代で放課後を  作者: 半ノ木ゆか
第1話 変身
4/45

#4 猫になった俺

 白髪はあの鏡を持ち、ベランダに出た。俺はそれを追った。背中から見て初めて気づいたんだけど、彼(彼女かもしれない)は見たこともない型の服を着ていた。それから、耳の上に青いリボンをつけていた。


 白髪は何かを見つけると、俺の腕を引いた。そして、俺に手鏡を握らせた。さっき書き忘れたけど、この鏡の支えは持手にもなるんだ。だから、床に立たせることもできるし、うちわのように手で握ることもできる。


 俺は鏡を覗き込んだ。鏡はステンドグラスのように透けていた。鏡越しに、植込で光る二つの目を見つけた。


 ガチャン、とドアの開く音がする。白髪が鏡に触れた。途端に、手鏡がむくむくと膨らんだ。同時に重たくなっていく。ついには腕が耐えられなくなって、俺はそれを手放した。


「羽揺? ……羽揺、どこ?」


 姉ちゃんの声が聞こえる。


 気づいたとき、俺は布の山に埋もれていた。白髪が布団を被せたんだろう、と俺は勝手に解釈した。布団から這い出て、俺は姉ちゃんに居場所を伝えた。


「姉ちゃん、ここだよ」


 ドアのほうを見て、俺は言葉を失った。


 姉ちゃんが巨人になっている。身長が二階建の家くらいあるんじゃないかな。


 姉ちゃんが俺に気づく。巨人に見下ろされて、俺は後ずさった。足に布団が絡まる。下を見て、俺は固まった。


 布団じゃなかった。白いツルツルした生地と、暗い色の生地。その間に、書初半紙ほどの幅の、分厚い革の帯が見え隠れしている。大きさは全然違うけど、見憶えがあった。俺のワイシャツと制服のズボン。革製の帯は、俺のベルトだ。


 あたりを見渡せば、見慣れたドアや、ベッドや、ベランダに続く掃出窓があった。姉ちゃんが巨人になったんじゃない。俺が小さくなったんだ。


「にゃんこが二匹……?」


 姉ちゃんが呟いた。


 彼女の顔色が悪く見える。部屋の色も、なんだかおかしい。景色が鮮かじゃない。世界から色がひとつ抜け落ちてしまったみたいだ。


いてきて」


 声が聴こえた。俺は振り返った。


 ベランダに真白な毛並の猫が立っていた。頭に青いリボンをつけていて、首から緑色の宝石をぶら下げている。


 猫が駈け出した。動揺する姉ちゃんと、夜闇に消えゆく尻尾を見比べる。俺はベランダへ飛び出し、白猫を追いかけた。




 白猫にはすぐに追いついた。


 俺たちは、駅前で一番高いビルの階段をのぼっていた。階段といっても、商業施設でお客さんが使うような開放された階段じゃない。関係者以外立入禁止の、せまくて暗い裏の階段だ。


 埃の積った段々を、白猫が飛び跳ねるようにして登ってゆく。さらりと揺れる尻尾を追いかけながら、俺は階段室をちらちらと眺めた。


 風景はやっぱり鮮かじゃなかった。真赤なはずの消火栓ボックスが、くすんだ黄色のように見えた。そのかわりと言っては何だけど、暗闇なのに物の輪郭がはっきりと分った。


「猫は夜目がきくからね」


 登りながら白猫が言った。いや、何も言っていない。振り返った猫の口は、閉ざされたままだったんだ。俺も、この耳で聴いたわけじゃなかった。なんというか、頭の中に直接語りかけてくるような。


「テレパシーみたいなものだよ。『千変鏡せんぺんきよう』を使えば、しばらくはこれでやりとりできる」


「何を言ってるのかさっぱりだ」


 俺は言った。言ったつもりだった。だけど、俺の耳に聴こえたのは「みゃあ」という猫みたいな声だった。


 俺は口をつぐみ、階段の途中で立ち止った。声があきらかに変だ。そう言えば、俺はずっと両手を地面につけて歩いている。無我夢中で追いかけていたので、今まで気づかなかった。


 自分の腕を見て、俺は目を丸くした。黒くてもふもふになっている。手のひらには肉球まであった。


 混乱する俺を見て、白猫があやしく笑う。




 俺たちはビルの屋上にやってきた。


 空は曇っていた。月が見えたり、隠れたりしていた。航空障害燈が間近で点滅している。振り返ると、たくさんの室外機が運転しているのも見えた。


 白猫は器用にペンダントを外し、足元に置いた。前足の肉球で、これまた器用に緑の宝石を踏む。宝石から、あの手鏡が飛び出した。


「見てごらん」


 白猫が言った。俺はそれを覗き込んだ。


 鏡に俺たちの姿が映っていた。一匹は端正な顔立の白猫だ。青いリボンをつけているんだから間違いない。


 その隣にいるのは、しょぼくれた表情の黒猫だった。俺が瞬くと、黒猫も目をぱちくりさせた。後ろに力を入れると、俺のわきに黒い尻尾が横たわった。


 俺は鏡にへばりついた。黒猫も俺に抱きついた。細いヒゲがぴゃんぴゃん生えている。口を開けると、舌の表面の小さなとげとげまでよく見えた。


 俺は確信した。猫になったんだ。俺は猫になったんだ!


 首筋にヒヤリとしたものが触れた気がした。俺は振り返って、白猫に説明を求めた。


「これはどういうことなんだ。……ええと」


「チョキだよ」


 白猫が言った。


「チョキ?」


 俺はその言葉を繰り返した。三秒くらい考えて、白猫に訊ねる。


「君は、チョキという名前なの?」


 白猫は黙り込んだ。また三秒くらい経って、首をかしげながら言った。


「ううん、ツキだったかも」


「憶えてないの?」


 訊ねると、白猫は困り果てたように「好きなほうで呼んでよ」と言った。


「ええと、じゃあツキさんで」


「『さん』は要らないよ。僕も付けないから」


「諒解……俺は羽揺。楢原はゆる」


 俺が名乗ると、白猫改めツキが言った。


「ならはらハユル? あすかじゃないの?」


「それはペンネームだよ。っていうか、なんで俺のペンネームを知ってるんだ?!」


 俺が驚いていると、ツキはペンダントをかけ直しつつ、さも当然のことのように言った。


「冊子を読んでたでしょ。ブシ、っていうの? そこに書いてあった。ベランダで見たよ」


「ああ、あの蝶はやっぱりきみだったのか」


 俺は妙に納得した。


「ツキ。どうして俺が黒猫になってるんだ」


「ちょっと待って、段取があるから――マキナ!」


 虚空に向けてツキが言った。猫の鳴声が響き渡った。


「貸して」と、ツキが俺に言った。俺は手鏡を明け渡した。


 ツキが鏡面を肉球でたたく。俺はそれを覗き込んだ。


 鏡に細かい文字がびっしり浮び上がっていた。これは初めて見た。部屋で見たときに気づかなかったのは、たぶん、蛍光燈の明るさに邪魔されていたからだと思う。


 薄々わかっていたけど、これはただの手鏡じゃなくて、なんらかの機械であるらしかった。しかも、とんでもなく精巧な。


 ツキが鏡の柄に触れる。次の瞬間、猫の体がむくむくと膨らんで、その場にスラリと立ち上がった。気づいたときには、あの白髪の美人になっていた。


「起きて、マキナ」


 長い髪を夜風になびかせ、ツキが歩き出す。


 そして、俺は我が目を疑った。眼の錯覚かと思った。


 景色が突然ゆがみはじめたんだ。月がぐにゃりと潰れて線になり、消えた。俺の背後にあった室外機が映った。そうして、隠れていたものの表面がだんだんと見えるようになった。


 ツキが立ち止る。その前には一台の車が停っていた。俺は一人感嘆しながら車の前に廻り込んだ。


 銀色の車体に四つの車輪がついていた。車輪の構造が立体的で、中にプロペラのようなものが水平に取りつけられている。


「マキナ、お待たせ」


 ツキが言った。俺の胸は期待に膨らんだ。


 珍しい機械を持っているツキのことだ。きっと、この車は「喋る」んだ。ツキの声に反応して、今に恰好いいセリフが飛び出すに違いない。


「うーん、あと五分寝かせてください」


 らしくない台詞が飛び出した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ