#37 ジュラ紀の吹抜
マキナさんのトランクドアに銃弾が何発も当る。けれど、頑丈な車体はそれを跳ね返した。ツキが背もたれにしがみつきながら窓の外を見る。
廊下と言っても、二車線の道路くらいの幅があった。車たちが行来できるよう、幅広に作られているらしい。天井に灯りが等間隔についていて、その光がダッシュボードをちらちらと照らしている。左右の壁には部屋の入口がいくつも並んでいた。
前方からヘッドライトの光が近づいてくる。
「うわっ、前からも来た!」
マキナさんが大きく舵を切る。俺たちは別の部屋を走り抜けた。馬鹿でかいシーラカンスがじっとこちらを見る。蛇のような両棲類が水面をしゅるりと泳いだ。金属製の檻の中で、鎧をまとった鰐の遠縁がのそりのそりと這っている。
正面にひときわ大きな入口が見えてきた。車たちを引き離して、マキナさんはそこへ飛び込んだ。
まばゆい光が車内に射し込む。反射的に瞑った目を、ゆっくりと開けた。マキナさんは生い茂る木々のあいだを走っていた。
「マキナ、車が追ってこないよ」
ツキが後方を見て言った。マキナさんが速度を緩める。車たちは何かを恐れるように、入口の附近に留まっていた。
マキナさんも停車した。俺は彼女から降りた。ツキがひょこりと窓から顔を出す。
「羽揺、よしなよ」
いたるところにシダやセコイヤの樹が生えていた。床には土が敷かれていて、木漏日がそこに模様を描いている。船の中とは思えなかった。
「これじゃあまるで、ジュラ紀の森みたいだ」
「上を見てください!」
マキナさんの声に、俺たち二人は木々を仰いだ。
茂る木の葉のさらに上。遥か高くに天井が見える。太陽だと思っていたのは、無数の電球の集まりだった。
部屋の形は円柱だった。八方に白い壁がそそり立っている。その壁にはパイ生地みたいに、暗い隙間が何層も挟まっていた。よく見ると、その隙間の中でマキナさんと同型の車が飛んだり走ったりしている。ここは、ビルが一本収まってしまうほどの大きな吹抜なんだ。
「過去の僕がいるのは、二階だったよね」
俺たちがくぐった入口のすぐ上に、白い柵が取り付けられている。その先の暗闇の中で、暖色の明りがいくつか灯っていた。だけど、木々が邪魔をしていてよく見えない。
入口にたむろっていた車たちは、既に姿を消していた。
「あれが操舵室ですね」
マキナさんが言った。ツキは恐る恐る外に出て、見上げた。
天井のすぐ下の階に、他よりも少し明るい部分があった。俺の目にはぼんやりとした点にしか見えないんだけど、あれがそうなのだろうか。
「ツキなら見えるのか? ……ツキ?」
ツキは操舵室を見ていなかった。木々のほうを見たまま、凍りついている。俺はその視線を辿った。
俺たちは、入口から続く曲がりくねった小路の上にいた。ツキはその路の先を見つめていた。
暗い木々の向こうで大きなものが動いている。立ち並ぶ幹の裏で、茶色っぽい動物がゆったりと歩いていた。それが何なのかを理解するまでに、十秒くらいかかってしまった。
顔が明るみに出る。一頭の肉食恐竜が、路の先でピタリと足を止めた。眉に小さな赤い角を生やしている。黄色い眼が俺たちの姿を捉えた。
「アロサウルスだ!」
「トゥキ様、羽揺さん、逃げましょう!」
茂みを揺らしてアロサウルスが跳び出す。ツキがマキナさんに飛び乗った。俺は乗り遅れた。そのあいだも、あの瓦みたいな足が小枝を踏み散らしながら迫ってくる。
走るマキナさんを追いかけ、車内に転がり込む。
「離陸します!」
マキナさんが飛び立つ。アロサウルスも跳び上がり、牙をむいた。車体がぐらりと傾く。彼女は「きゃっ」と悲鳴を上げた。「大丈夫?!」とツキが言った。
手が届かないところまで高度を上げる。アロサウルスはしばらくのあいだ、俺たちがまた降りてくるんじゃないかと真下でうろうろしていた。だけど、やっと諦めてくれたらしく、すごすごと引き返していった。
俺は車内の壁に肩をあずけた。自分の胸に手を当てる。まだ鼓動が速かった。車たちも怖がって近づかないわけだな、と俺は納得した。
アロサウルスが木々に紛れる。
その時、甲高い鳴声がかすかに響いた。俺たちは無言で顔を見合せた。マキナさんは車体を透明にすると、なるべく音を立てないようにそうっと声のほうへ近づいた。
地面に俺の胸くらいの高さの、こんもりとした高まりがあった。上にはやわらかい枯葉が敷き詰められている。巣だ。そこに小さな動物が五、六匹いる。白地に黒い水玉模様の、ふわふわの羽毛を身にまとっている。アロサウルスの雛だった。
ツキがしみじみとそれを眺める。
雛たちはぴいぴい鳴きながら、親のアロサウルスに赤い喉の内を見せた。親が困り果てたように雛たちを鼻先で撫でる。
「家族ごと連れてこられたのですね」
マキナさんが言った。
「到着しました」
マキナさんが言った。
俺は二階に降り立った。ふと、足元に鳥籠が置いてあるのに気づく。
しゃがむと、一羽の鳥と目が合った。羽繕いをぴたっと止め、三角形の頭を高く持ち上げる。
黒い翼から小さな爪が覗いていた。首を傾げながら、青みがかった灰色の目で俺を見つめている。
籠には札のようなものが附いていた。触れて見る。液晶画面だった。斜体で “Archaeopteryx lithographica” と表示されている。
「わあ……」
前方を見て、ツキが感嘆の声を洩らす。俺も顔を上げた。そして、圧倒された。
色とりどりの鳥たちが広々とした部屋を埋めつくしていた。あちらこちらから囀りが聴こえてくる。ペットショップで嗅いだ覚えのある、独特なにおいも漂っていた。でも、不思議と嫌なにおいじゃなかった。
「ペリカン形類のトキ科だから……たぶんこっちだよ」
ツキが率先して通路を行く。マキナさんと俺はそれに続いた。
途中、太いくちばしをもつ背の高い鳥がいた。俺より頭三つくらい大きい。鉄柵越しに鋭い目付で睨んでくる。そのあまりの迫力は、俺の足がすくんでしまったほどだ。恐怖で名前を思い出すのが遅れる。
図鑑で見たことがあった。たしか、この鳥の名前は――。
「ディアトリマだ」
「ガストルニスだね」
ツキが訂正した。
「見た目は恐しいけど、果物なんかを食べるおとなしい動物だよ」
説明を聞いて、ホッと一息つく。
ツキの歩みが速くなった。俺は置いていかれないよう努めた。鳥たちの顔ぶれが、だんだんとトキっぽくなっている。過去のツキが近くにいるんだ。
今、立ち止まった。マキナさんも停った。ツキが期待と緊張の入り交じった表情で数個の檻を眺める。だけど、眉尻が下がる。ミドリトキの檻の前を行ったり来たりする。
「見当たらないな」
ショウジョウトキと睨めっこするツキの背中を見て、俺は言った。そこらへんに立っていた柱に、何気なく寄りかかる。
肩の後ろに出っ張りを感じて、振り返る。柱に赤い釦が付いていた。
「なんだ、この釦は……」
マキナさんが地図を拡大する。
「確かに、この辺りのはずなのですが」
「マキナ、地図見せて」
ツキがマキナさんのドアを開けた、その時だった。




