#33 危険な沙漠
そこへ一際大きな光が射し込んだ。明りに照され、机にあった恐竜図鑑の頁がパラパラとめくれる。 カーテンが音を立てて旗めいた。
ツキがすぐさまカーテンを閉める。マキナさんがその影に逃げ込んだ。カーテンから洩れた光が椅子を引き寄せる。キャスター付の椅子がごろごろと床を進み、跳び上がって窓に激突した。ツキが髪を乱して叫ぶ。
「二人とも逃げて!」
光の射し込む角度が変る。光がどんどん強くなる。
ベッドの上のいろんな物がガタガタと震える。虫取網が、お菓子の缶が、光に吸い寄せられていった。俺の布団が波打ち、二段ベッドがズルズルと引き摺られる。
ベッドが重い腰を上げ、窓に衝突する。俺はすんでの所でそれを避けた。布団が緩衝材になったので、ガラスは割れなかった。
マキナさんが部屋を飛び出し、俺がそれを追いかける。ドッタンバッタン、二人もろとも階段を転がり落ちた。
「羽揺、どうしたんだ」
リビングで父が夕刊を読んでいた。
「何でもない!」
「お邪魔しております!」
俺たちは外へ飛び出した。
玄関燈の下で、俺は肩で息をした。周りを見て気付く。
「ツキがいない!」
「私に乗ってください! 追い付かれます!」
コウモリの大群が我が家の屋根を越え、夜空を覆った。まるで黒い雲のようだった。恐れおののき、マキナさんに転り込む。彼女は夜の町へ急発進した。
グラリ、車体が揺れる。シートベルトにしがみつく。マキナさんが離陸したんだ。速度計の針が右へ振れた。彼女は電線を搔い閇った。
車体を透明にして飛び続ける。俺は振り返った。満月を背景にコウモリが飛んでくる。変身したタイムパトロール隊だった。
「どうして見失わないんだ」
まるでマキナさんの姿が見えているみたいに、ぴったりと尾けている。彼女が困ったように言った。
「私のモーター音を聴いているんです」
マキナさんが左へ舵を切る。俺は右に姿勢を崩した。壁に手をついて踏ん張る。
木の葉と窓が「ザザッ」とこすれた。下のほうにブランコが見えた。頭の中に声が響く。
「逃走車輛は七姫東高校へ向かっています。車班は廻り込んで下さい……」
木々を抜けた。前方に校舎が迫る。
「マキナさん、前! 前!」
彼女は壁に沿って急上昇した。ぶつかるのを免れる。心臓がひゅんと縮んだような気がした。右に舵を切り、スーパーを越えてゆく。タイムパトロールが四方へ散った。
「……振り切ったみたいですね」
夜空を滑るように飛びながら、彼女は晴々とした声で言った。俺は笑顔になった。
「流石マキナさん!」
その時、空中に無数の光が現れた。パトカーだった。緊張が走る。マキナさんは方向転換した。
今度は、ビルの影からコウモリたちが飛び出した。マキナさんがビルに沿って急上昇する。気圧の変化で耳の中が痛くなった。
ふっ、とマキナさんの動きが止まる。ビルを昇り切ったんだ。体が座席からふわりと浮び上がったような感じがした。眼下に屋上が見える。そこは、俺とマキナさんが初めて出会ったあの場所だった。
ビルの周りに広がる夜景は、色とりどりだった。ジュラ紀の森にも劣らないくらい綺麗だった。
マキナさんは光ピンセットの光線を浴びた。「きゃっ」と悲鳴を上げ、駅前の道路へ落ちてゆく。俺は前のめりになった。
俺の手が立体映像を横切る。計器盤の数字が目まぐるしく変った。行先の年代と経緯度だった。地球儀の映像がぐるんぐるんと回り、大陸が分裂と合体を繰り返す。
行き交う自動車が目の前に迫った時、数字と地球儀がカチリと固まって――窓の外が真白になった。
車体に衝撃が走る。俺の体が座席の上で飛び跳ねた。それが二回、三回、四回。上と下が何度も入れ替る。まるで洗濯機の中みたいだ。
マキナさんはごろんごろんと横回りをして、ひっくり返った状態で止まった。
「羽揺さん、大丈夫ですか」
「俺は大丈夫だけど、マキナさんが」
天井にはたくさんのものが散らばっていた。
シートベルトを外してもらって、窓越しに外を見る。駅前の通りではなかった。真暗で、しんと静まり返っている。月さえ見えない。マキナさんの前照燈が砂の地面を照していた。地面はどこまでも広がっているように見えた。
地球儀の立体映像では、広々とした海に巨大な大陸が一つだけ浮いていた。その下で、現在時刻と現在地を表す数字が点滅している。
「二億五〇〇〇万年前の汎大陸中央沙漠。羽揺さんの時代でいうところのアフリカ辺りですね。恐竜時代のさらに昔まで飛ばされてしまったみたいです」
マキナさんが言った。
彼女は起き上がろうと、タイヤや回転翼を動かした。だけど、空回りするばかりだった。
免疫スプレーをかけ、外へ出た。風が吹き、ワイシャツの背が波打つ。暗闇に眼が慣れてくる。車体の三分の一くらいが砂に埋れていた。
砂を搔き分け、車体を掘り出す。
「マキナさん、プロペラを回して」
「……はい!」
回転翼が動く。髪がなびいた。俺はひたすら砂を搔き出した。砂粒が爪の隙間に詰って、痛かった。
「押すよ。せーのっ!」
肩で車体の側面を押す。翼が今までにも増して速く回った。マキナさんのまわりの砂が流れた。
砂を滝のように零しながらゆっくりと上昇する。車体が空中で起き上がり、もとの姿勢に戻った。
「マキナさん、やったね!」
「羽揺さん……」
着陸して、元気のない声で言った。電池残量を示す計器の針が左に振り切れている。
「電力が足らないので、もとの時代に戻れません。新月なので、充電もまったくできません」
「日の出まであと何分?」
「六時間です……トゥキ様……」
俺はボンネットを撫でてやった。
沙漠に振り返り、暗闇に眼を凝らす。星空の下には何も見えなかった。何も聴こえなかった。匂いもしなかった。だけど俺は言った。
「マキナさん、灯りは消したほうがいいよ」
「そうですね……節電しないといけませんね」
「いや、違うんだ」
彼女に向き直る。
「胸騒ぎがするんだ」
何かがいる。何かが来る。俺は生き物の本能のようなもので、その気配を感じ取っていた。




