#28 ユウさん
高校の隣の公園で、姉ちゃんと俺はブランコに腰かけていた。イチョウの黄色が電燈に映えている。
「羽揺のペンネームには、そういう意味があったんだね」
マキナさんに寄り添いながら、ツキが言う。俺は力強く頷いた。
「『俺が飛鳥の代りに書くんだ』って。そう心に決めて、文芸部に入ったんだ……けど、なかなか上手くいかないんだよなあ」
ガックリと肩を落し、うつむく。
俺たちは九月から来たけれど、ここは十一月だ。薄手のシャツは肌寒かった。
「どういうふう上手く行かないのですか?」
マキナさんが訊ねてくる。俺は呟いた。
「〆切だよ」
「シメキリ……?」
「文芸部では『部誌』って言って、毎月、部員の作品を載せた冊子をつくるの。でも、羽揺は作品の提出日にいつも間に合わない」
姉ちゃんが代りに説明してくれる。
俺はうつむいたまま、重い口を開いた。
「自分の納得できる文が書けなくて、何度も書き直してるんだ。で、書き直してるうちに〆切が来る」
はあ、と大きな溜息をつく。
「途中で読み返すと、粗が目について、つい直したくなっちゃうんだ。短篇でこのザマだから、長篇なんて永久に完結しそうにない」
隣でギイ、とブランコが鳴る。俺はおもてを上げた。姉ちゃんがこちらを見ている。
「羽揺、どういう書き方してんの」
まるで、怖いものでも目にしたような表情だった。
ツキは、黙って俺たちの様子を見物している。俺はおそるおそる答えた。
「『どういう書き方』って、普通の書き方だけど」
「『途中で読み返す』って、言ったよね」
姉ちゃんが確めるように俺の顔を覗く。
「羽揺は、自分の文章を読み返しながら書いてるの?」
俺は頷いた。姉ちゃんはイチョウを見上げ、「ああ」と納得したように言った。
「なるほどね」
「何が『なるほど』なんですか」
ツキが身を乗り出す。姉ちゃんはブランコから降りて、俺に向き直った。
「私と羽揺の決定的な違いを発見したよ」
「えっ、何?」
俺は困惑しながら訊ねた。彼女は答えた。
「私は振り返らずにぶっ通しで書いちゃう。文章の良し悪しより、書き切ることに専念するの。それで、推敲は後まわしにしてるよ」
俺の全身に、雷のような衝撃が走った。そして、こころの底からふつふつと希望が湧いてきた。
そうか、俺……自分に実力がないから書けないんだと思ってたけど、違うんだ。書く手順が不適だったから、書けなかったんだ。
ツキが俺に笑いかける。
「お姉さんを見習って、とりあえず最後まで書いてみるのはどうかな」
俺は立ち上がり、言った。
「俺、もう一度やってみるよ」
*
洗面所で手を洗う。
顔を上げると、鏡のなかの姉ちゃんと目が合った。壁によりかかって、暗い表情をしている。
「どうしたの」
問いかけると、姉ちゃんは申し訳なさそうに答えた。
「私たちだけで会ってきちゃったね。お父さんとお母さんも、きっと会いたかったのに」
俺はハッとした。それから、無言で頷いた。
両親も、俺たち姉弟と同じように飛鳥のことを想っているんだ。もう一度飛鳥に会えると聞いたら、身を投げ打ってでも会いたがるに違いない。
けれど、俺たちは二人に黙って過去へ行ってしまった。
姉弟揃って、暗い顔してリビングに入る。
そこで、俺たちはびっくりしてしまった。なんと、母さんがツキを抱きしめていたんだ。
「お、お母さん。何やってんの」
姉ちゃんが震える声で言った。それに気づき、母さんが名残惜しそうにツキを離す。母さんは笑った。
「あら、見られちゃった」
ツキは照れて下を向いている。
「一体なんの真似だよ」
俺は口走った。自分が抱きしめた訣でも、抱きしめられた訣でもないのに、恥しくて耳が熱い。
母さんは俺たちを見つめて、それからツキを見つめて、神妙な表情で言った。
「ツキちゃんがね、飛鳥に重なって見えて……『抱きしめてもいい?』って、訊いてみたの」
姉ちゃんも俺も黙ってしまった。母さんはそれを見て「おかしいでしょ」と自分を笑った。
「でもね、ツキちゃんに初めて会った時から、なんだか飛鳥が帰ってきたような気がしてて。実際、似てるの。一重なところとか、鼻の形が特に。羽揺と同じで、お父さんそっくりでね……ごめんね、こんな話」
母さんはツキに謝った。ツキは「いえ」と首を横に振った。
ツキは、母さんと姉ちゃんと俺とを順番に見て、言った。
「三人は、飛鳥さんのことが好きなんですか」
俺と姉ちゃんは顔を見合せた。
「大好きだよ」
最初に答えたのは姉ちゃんだ。
「もちろん」
俺も言った。当り前だ。
母さんはツキを見つめて、ゆっくりと頷いた。
「家族だもの」
「……かぞく」
ツキが母さんの言葉を復唱した。
一人、家の階段を登る。自分の部屋に入り、灯りを点ける。俺は、二段ベッドの上の段に這い上がった。
小、中学校の教科書や、虫捕網や、その他いろんな思い出の品が所狭しと並んでいる。
(確か、このあたりに……)
あった。段ボール箱が一つ、ベッドの隅のほうに置いてあった。蓋に「飛鳥の宝物」と、母の字で書いてある。
そっと箱を開ける。一番上に、平たいお菓子の容器が入っていた。クッキーの空缶だ。俺はそれに手を伸ばした。
「――お帰りなさい」
びくりとして。振り返る。
「ゆ、ユウさん」
仮面をつけた男が、床にあぐらをかいていた。水色のノートに何かを書きつけている。
俺は思い当って、すぐさま缶の蓋を取っ払った。水色のノートが入っていた。
「えっ!? そのノートって」
「よしよし、三分経ったぞ」
俺が訊ねる前に、ユウさんはノートを脇に置いた。
ユウさんがカップ麺の蓋を開ける。湯気とともに、美味しそうな匂いが部屋のなかに満ちた。
俺は我に返って、訊ねた。
「どこへ行ってたんですか。『泊まる』とか言っておいて、ちっとも顔を見せませんでしたよね」
夜の海で巨大な動物に襲われたときも、助けてくれなかったし。
「それは建前。家に上がり込むための嘘だよ」
ユウさんは割箸でちぢれた麺を持ち上げ、それを啜った。いつの間に用意したんだろう。隣にはポットが置いてある。
「ツキが言ってたでしょ。俺は未来に住んでるんだ。毎晩、我が家に戻って寝てたんだよ」
あっさりと自分が未来人であることを曝露す。俺はノートを胸に抱えて、ベッドから飛び降りた。
どきどきしながら彼の前に正坐する。なんだか俺が客人で、ユウさんのほうが昔からこの家に住んでいるみたいだ。
ユウさんのノートと飛鳥のノートとを、じっくりと見比べる。どちらもまったく同じ水色だった。飛鳥のノートは、表紙に蝶の絵が印刷されている。ユウさんのノートは、表紙を伏せてしまってあるので、どんな絵柄なのかは分らない。
「二十二世紀で食べたもの、美味しかったよね。何を食べたんだっけ」
ユウさんが手を止め、俺に言い放った。スパイスの香りが俺の鼻をくすぐる。麺の容器には「カレー南蛮」と書いてあった。
仮面の目の孔から、黒い瞳がまっすぐ俺を見つめている。
俺は唾を飲み込んだ。髪の中の頭皮を、冷たい汗がたらりと伝った。
「ユウさんの正体って、まさか」
「俺はただの助っ人だよ」
また、あの台詞を言った。俺は怒った。
「それじゃあ答になってません。あなたの本名はなんなんですか? いつの時代から来たんですか?」
俺は、ユウさんのノートをひったくろうとした。でも、彼のほうが素早かった。ちょいと指を添わせて、自分の手元に引き寄せた。
「今は秘密だよ。だけど、いずれ解る」
「誤魔化さないで下さい」
ユウさんのノートをひっくり返そうとする。でも、やっぱり彼には敵わなかった。ひょいと掬い上げて背中に隠してしまう。俺の行動が最初から分っているらしかった。
「まだ解らないのか」
ユウさんは、今までにない冷たい声で言った。
「俺の正体を知って、一体なにになるんだよ」
俺は、言葉を失ってしまった。
仮面の下から器用に麺を啜る。俺は飛鳥のノートを抱いたまま、しばらく坐り込んでいた。
ユウさんが汁を飲み干す。割箸と空っぽのカップを手持のビニール袋に入れ、立ち上る。
彼は部屋を出る前に、一度だけ振り返って言った。
「俺がこれから何をするのか。君がこれから何をするのか。そのほうが、よっぽど大切なことだと俺は思うけどね」
ばたん、と戸が閉った。
俺は、すっくと立ち上った。
ゴミ箱を漁り、丸められた紙を取り出す。広げると、そこには自分の小説が印刷されていた。
皺をのばし、もと通りに部誌に挟んだ。
机に向う。飛鳥のノートを開き、そこに小説を書き始めた。
月明りがベランダを照していた時だった。
「こんな夜中まで起きてたのか」
俺は顔を上げた。
父さんが部屋の前を通りかかったところだった。
「部活に出す文章?」
「うん」
俺はシャーペンを走らせながら頷いた。
「熱心なのはいいけど、今日はもう寝て、朝、書いたらどうだ」
父さんが言った。
「どうして。今、ちょうど乗ってきたところなのに」
俺はちょっと不満を持った。
「入ってもいいか」
「どうぞ」と俺は言った。父さんが歩み寄りながら言う。
「夜遅くまで書いてても、いい文章は書けないよ」
そして、俺の隣の椅子に腰掛けた。
「本当かな」
「本当だよ。実は父さんはね、作家を目指してたんだよ」
「えっ?!」
初耳だった。
「昔は羽揺みたいに夜遅くまで、よく書いてたもんだよ」
父さんは窓を見た。月がまた一日、満月に近づいている。
「でも、真夜中に書いたのを翌日の昼間に読み返すと、ひどい文章になってるんだ。くしゃくしゃに丸めてくずかごに叩き込みたくなる」
俺は、机に置いてあった部誌を、スッと隅に寄せた。
「だから、朝書きなさい」
「ごもっともです」
俺はノートを閉じた。
「それにしても意外だな、父さんが小説家を目指してただなんて。今は全然関係ない会社で働いてるよな」
父さんはむつかしそうな顔で頷いた。
「今思えば失敗だった。ずっと書き続けていたら夢が叶ったんじゃないかって、今でも悔やむことがあるよ」
そして、嬉しそうに話す。
「でも、その会社に入ったおかげでお前の母さんに出逢えたし、穂乃香と羽揺にも出逢えた」
「飛鳥にもね」
俺は言った。父さんは俺を見て、淋しそうに笑った。
「もちろんだよ」
俺の頭をわしゃわしゃと撫でる。大きくて温かい手だった。
「とにかく今夜はもう寝なさい」
父さんが立ち上がる。俺は布団に入って、言った。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
父さんが部屋の灯りを消した。




