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恐竜時代で放課後を  作者: 半ノ木ゆか
第6話 羽揺の過去
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#27 飛鳥

 目を開けると、見覚えのある木目模様が見えた。


 寝転ったまま横を見る。部屋は薄暗かった。カーテンが閉め切ってある。マキナさんの車内だけがほんのりと明るい。長い髪を揺らして、誰かが立体映像を眺めている。頭には青いリボンをつけていた。


「……あすか?」


「あれ、起しちゃったかな」


 車内でツキが顔を上げた。


 俺は掛布団を取った。ふと、腕に何かが貼ってあるのに気づく。名刺大の四角いシートのようなものだ。


「『貼る注射』だよ。皮膚越しに薬が染み込む」


 ツキはベッドに腰かけ、「ちょっと失礼」と言った。


 俺の額に手を当てる。温かった。


「だいぶ熱も下がったね」


 マキナさんがほっとしたように車内を淡い赤色に染める。俺は二人を交互に見て、言った。


「ツキ、マキナさん。本当にありがとう」


 もう少し様子を見るということで、俺は水分を摂ったあと、ベッドで問題集を解き始めた。ツキもマキナさんの座席にもどり、動画のつづきを見始めた。


「それ何」


「例のニュースだよ。薬を買ったついでに録画してきたんだ。大変な騒ぎだったみたいだね」


 動画には、事件現場と思しき警察の施設も映っていた。白い清潔そうな部屋に空っぽな檻が並んでいる。


 アナウンサーが述べた。


「……当時、施設は関係者以外立入禁止でした。建物全体には時空間バリアが張られており、四次元ペンダントを使った盗みもできなかったと考えられています。タイムパトロールは引き続き、消えた動物たちと一千台のパトカーの行方を捜しています」


「一千台も……! そのなかに、私が」


 マキナさんが驚いた様子で言った。


 ツキも立体映像に見入っている。姿勢を変えるたびに、耳の上の青いリボンがひらりと揺れた。ところどころ黄ばんでいる。マキナさんの天井燈に照されて、毛羽立っているのがよく見えた。


 俺はシャーペンを置き、言った。


「マキナさん、ツキ。連れていってほしい時代があるんだ」


 マキナさんが動画を止めた。ツキも顔を上げる。


 彼女は不思議そうに「行先はいつでしょうか。過去へでも未来へでもお送りしますよ」と言ってくれた。


 部屋が静まる。外で雀が鳴いていた。


 俺はゆっくりと、芯のある声で言った。


「十年前の十一月十六日に行きたい」


 ツキが目をぱちくりさせる。


「僕も別にいいけど……どうしてその日なの?」


 俺は目をつむって答えた。


「会いたい人がいるんだ」




 黒い墓石に水をかける。水が文字をつたった。俺は石の裏に廻って、刻まれた字を一文字々々々ぬぐった。「十二月十四日 楢原飛鳥」と読めた。


 色とりどりの花の前で、静かに手を合せる。線香の煙がくゆりくゆりと天に昇ってゆく。


 ツキとマキナさんのほうを向き、言った。


「俺には双子の妹がいたんだ」


 霊園は茜色に染まっていた。


「でも、小学校に入る前に病気にかかって亡くなった」


 ツキは俺の言葉を黙って聴いていた。


「羽揺さんは、どうしてその一ヶ月前に行きたいのですか? 当日を避けるお気持はわかりますが」


 マキナさんが不思議そうに言う。俺は一つ頷いてから、答えた。


「その日に家族五人で誕生日会を開いたんだ。それが、飛鳥と一緒に過ごした最後の誕生日だったんだ」


 ツキは俺の目を見て、力強く頷いた。


「……羽揺、マキナに乗って」


「ちょっと待って!」


 ワンピースをひらめかせて誰かが駈けてきた。マキナさんに乗ろうとした俺は、その顔を見て目を丸くした。


「ね、姉ちゃん」


「きゃっ」


「危なっ!」


 姉ちゃんがコケる。俺は咄嗟にその体を支えた。


 そのはずみで、姉ちゃんの小脇からぱさりと何かが落ちた。すみれ色の表紙の手帳だった。


 俺はびっくりしながら彼女の顔を覗いた。ツキもマキナさんから降りて、呆然とする。


「姉ちゃん、どうしてここに」


 彼女は肩で息をしながら、途切れ途切れに言った。


「ついてきたの。扉越しに『十年前に行きたい』って、羽揺の声が聞こえて」


 彼女の背中はしっとりと濡れていた。


 俺の腕から離れ、マキナさんの前に立つ。


「私、飛鳥にもう一度会いたいってずっと思ってた! マキナさん、お願い。私も連れて行って!」


 夕風が手帳の頁をパラパラとめくる。挟んであった一枚の写真が飛ばされそうになった。俺はそれをすんでのところで捕まえた。


 写真を見て、息が止まりそうになる。


 懐しい写真だった。富士山と松林を背景に、海岸で三人の子供が並んでいる。真ん中にいる背の高い女の子が姉ちゃん。左にいるのは幼い俺。右にいるのは、姉ちゃんではない別の女の子。


 姉ちゃんは言った。


「一年、また一年って経つごとに、声を、顔を、忘れていっちゃうの。記憶が薄れてくの。それが怖い……あんなに大好きだったのに」


 マキナさんとツキは、気まずそうに視線を交し合った。


 写真を手帳に挟み直し、姉ちゃんに返す。彼女はおもてを上げた。俺は言った。


「実は、マキナさんは一人乗で――」


 姉ちゃんの顔がショックを受けたように固まる。


「お姉さん。これに触れてみてください」


 ツキがすっと千変鏡を差し出す。初めて見る道具を前にして、姉ちゃんは不安気に俺のほうを見た。心配いらないよ、と頷いてみせると、彼女は意を決したように鏡に触れた。


 姉ちゃんはみるみるうちに縮んで、黒猫の姿になってしまった。


「どうなってるの、これ!?」


 肉球や尻尾を見て、びっくりしていた。同じく黒猫に化けた俺を見つけて、またまた目を丸くする。


 歩きながら俺を遠巻に眺めて、おそるおそる訊ねる。


「……羽揺なの?」


「そうだよ、姉ちゃん」


 俺は「にゃあ」と鳴いてみせた。


「行先、十年前の十一月十六日、日本」


 ツキが席に着き、俺たち姉弟がその膝に乗り、出発した。


 霧が晴れると、そこは真暗な場所だった。


「到着しました」


 マキナさんが言った。


 黒猫がぴょんと外に降り立つ。姉ちゃんの驚いたような声が脳裡に響いた。


「ここって、もしかして」


 マキナさんがヘッドライトを点けた。


 辺りが照し出されたた。俺の部屋だった。でも、家具の配置が今とは違っている。遠い記憶が喚び起される。


「確かに、あの時はこうだった」


 俺はぽつりと呟いた。勉強机が二つ並んでいた。


「お姉さんはこれで元の姿に。隠れコートも予備がありますよ」


 人間に変身したツキが千変鏡を差し出す。


 何かに気付いたように、マキナさんが扉のほうを見た。


「一階から歌声が聞こえてきます」


 みんなで耳をそばだてる。マキナさんの言う通りだった。姉ちゃんが静かに扉を開けた。


「――ハッピーバースデーディア飛鳥と羽揺、ハッピーバースデートゥーユー」


 揺らめいていた小さな六つの炎が、吹き消される。「おめでとう!」と誰かが言った。拍手とともに天井の明りが点く。


 マキナさんとツキと姉ちゃんと俺は、ソファーの近くで息を潜めていた。


 四人がテーブルを囲んでいた。壁際に五人目がいる。若い頃の母さんだった。照明のスイッチから手を離し、にこにこしながらテーブルに戻る。


 カメラを構えているのは父さんだ。その隣にいるのは、小学一年生の姉ちゃん。そして、チョコレートケーキの前で笑う、幼い男の子と女の子。


 心臓がどくんと跳ねた。俺のすぐ隣でも、「はっ」と息を吸う音がした。


 隠れコートを着ていたから、表情や仕草は見えない。でも、心は読み取れてしまった。


 虚空をさぐり、やわらかい手を握る。その手が弱々しく握り返してくる。しっとりとしていて、小刻みに震えていた。


 嬉しそうにケーキを食べる姿を、部屋の隅の暗がりから見守る。


 飛鳥は、腰まである長い髪をポニーテールにしていた。リボン附きのヘアゴムで結わえている。リボンは鮮かな青色で、表面は毛羽立っていなかった。


「あ」と、ツキの消え入りそうな声が聴えた。俺の背後で、隠れコートの裾がぱさりと音を立てる。


 そう。ツキに頭にくっついているリボンは、飛鳥の形見なんだ。


 流し台にケーキの皿が五枚、積み重った。


「羽揺にはお父さんからプレゼントだよ。お誕生日おめでとう」


 父さんが分厚い紙包を手渡す。幼い俺は目をむいて、それを受け取った。


「あけていい?」


「どうぞ」


 不器用な手つきで包を開ける。中から出てきたのは、真新しい恐竜図鑑だった。幼い俺は「わあっ」と言って、目を輝かせた。


「ありがとう! これ、すごくほしかったんだ。大切にするね」


「飛鳥にはお母さんから。お誕生日おめでとう」


 母さんが薄い紙包を手渡す。飛鳥は目を見開き、それを受け取った。


「あけていい?」


「どうぞ」


 足をぱたぱた揺らしながら包を開ける。飛鳥は取り出したそれを、嬉しそうに胸に抱いた。


「お母さん、ありがとう」


 にこにこと図鑑をめくっていた俺が、ふと飛鳥のほうを見た。彼女が持っていたのは、一冊のノートだった。


「みせて」


 パジャマに着替えた幼い俺が、二段ベットの上の段に顔をのぞかせる。そこには布団が敷いてあって、髪を解いた飛鳥がちょこんと坐っていた。彼女は「はい」と水色のノートを差し出した。


 幼い俺は、わくわくしながらそれをめくった。でも、頁を進めるにつれて戸惑いの表情に変る。まっさらなノートをくまなく見て、言った。


「なんにも書いてないじゃん」


「わたしが書くんだよ」


 飛鳥が言った。


 首をかしげる幼稚園児の俺に、彼女が説明する。


「わたしがお話を考えて、わたしがここに書くの」


 幼い俺は、飛鳥にノートを返した。飛鳥がノートを抱きしめ、目をつむる。


 俺たち四人は、部屋の隅でその様子を見ていた。高校生の俺は、水色のノートをじっと見た。表紙に黒い蝶の絵が描いてある。


「おねえちゃんが学校で漢字のお勉強してるでしょ。わたしたちもこれから学校にいって、ひらがなとか漢字のお勉強する。そしたら、わたしが考えたお話を、いまよりもっとすらすら書けるようになる」


「あすか、お話考えるの好きだもんね」


 幼い俺が笑いかけた。飛鳥が目を開き、嬉しいそうに話す。


「いつか、このノートをお話でいっぱいにするの。できたら、はゆるに最初にみせてあげる」


「たのしみにしてるね」


 その言葉に、飛鳥は満面の笑みで頷いた。


 姉ちゃんも、マキナさんも、ツキも、誰も何も言わなかった。身動き一つしなかった。

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