#25 タイムパトロール
数時間後、俺は不思議な声で目を覚した。
身は起こさず、目玉だけを動かす。窓が曇っていて外は見えなかった。
「向こうを……見つかりません」
「どこに隠れて……」
途切れ途切れの言葉が頭に響く。
俺は飛び起きてフロントガラスを拭った。太陽が南の空に昇っていた。遠くの林の中に、何かの動物が集まっている。
「マキナさん、起きて」
俺はダッシュボードを叩いた。
「むにゃむにゃ……あと五分」
マキナさんはちっとも起きなかった。
隠れコートを羽織り、ドアを開ける。そして、俺は思い留まった。免疫スプレーを忘れるところだった。
靴にも、背中にも、目にもスプレーをかける。これでよし、とスプレー缶を仕舞う。でも、喉に噴きかけるのを俺は忘れていた。
俺は外に出た。凍えるような寒さだった。マキナさんが気を利かせて、煖房をつけたままにしてくれていたんだ。
林の中を急ぐ。動物に近づくにつれて、声はだんだんと大きく、はっきりと聴こえるようになった。鼓動が速まった。
茶色っぽい体が見えてきた。木の下に四本足の獣が何頭か集まっている。俺は息を殺してそれを見上げた。
思っていたよりずっと大きな動物だった。焦茶の毛に被われた巨大な鹿だ。先の巻いた帯のような、立派な角を生やしている。俺の部屋に入ったら、天井を簡単に突き破っちゃいそうだ。
鹿は六頭いた。角があるのはそのうちの四頭だ。残りの二頭には角がなくて、体も一回り小さかった。
「おそらく、車体を透明にして隠れているのでしょう」
女性の声が聞こえた。二十二世紀でマキナさんを追ってきた、あの警察官の声だった。同時に、中央にいた牝鹿が「びい」と鳴く。その頸には四次元ペンダントがかかっていた。宝石の形はツキのものと同じだ。色は青だった。
よく見ると、他の鹿もみな同じ形、同じ色のペンダントをかけている。そうか、と俺は確信した。タイムパトロールが変身しているんだ。
「捜査が振出に戻ってしまいましたね。せっかく氷河期までやってきたのに」
牡鹿が頭を下げて、落ち込む素振を見せた。
その時、一台の車が飛んできた。未来の街で蕎麦屋を教えてくれた、あのパトカーだ。
「私のドライブレコーダーの映像を解析しました」
渋い男性の声だった。
「容疑者の少年が身につけていた衣服は、『七姫東高等学校』という学校の制服であることがわかりました。この高校は、二十世紀から二十一世紀にかけて東京都内に存在していました」
鹿たちが目を見開く。牝鹿が首を揺らし、指示した。
「至急、七姫東高校の卒業アルバムを取り寄せて。コンピューターでふるいにかければ、一致する顔写真が見つかるはずだから」
俺はガタガタと震えた。体中から嫌な汗が噴き出した。なんとかその場を離れ、急いでマキナさんの元へ戻る。隠れコートがはだけた。
途中で一匹のオコジョに出くわした。ツキだった。ツキは頭のリボンを揺らし、小さな牙を覗かせた。
「羽揺、何かあったの?」
「ツキ、大変なんだよ!」
ツキは目をぱちくりさせた。
俺はマキナさんの車内で、自分が見聞きしたことを伝えた。二人はまずびっくりして、それからだんだんと不安気になった。
「羽揺さんの身元を知ったら、タイムパトロールは必ず家を訪ねてくるでしょう」
マキナさんは真剣な様子で言った。
「いつ訪ねてくるんだろう」
俺は言った。ツキが頭を抱える。
「明日かもしれないし、来週かもしれないし、来年かもしれない……」
「明日やって来られたら、俺たち確実に捕まるよ!?」
「警察は、トゥキ様と羽揺さんが私を盗んだのだと誤解しています」
マキナさんが言った。
「タイムパトロールが訪ねてくる前に、私の生い立ちをはっきりさせなくてはなりません。誰が私を盗んで、トゥキ様がどういういきさつで私に乗り込んだのか――トゥキ様の故郷を一日も早く探し出して、その一部始終を撮影しましょう。動画を見せれば、誤解も解けるはずです」
ツキが拳を握った。
「マキナの言う通りだね」
「そうと決まったら、さっさとやることを済ませて現代に戻ろう」
俺はそう言って頷いた。
「トゥキ様、行先はわかりましたか」
「もちろん」
ツキが星の目グラスを取り出して言った。
「人間の姿じゃなかったから、ダイヤルを回すのに手こずったけどね」
マキナさんが行先を入力する。窓の外を光が覆っていった。
「ジュラ紀中世。場所は北中国ですね」
針葉樹の生える山の中で、マキナさんが言った。車内に夕日が差し込んでくる。前方にドローンの撮った映像が流れていた。過去のマキナさんの計器盤が映っている。
「次は日本じゃないんだな」
俺の言葉に、ツキが反応する。
「そう言えば……羽揺の時代も、白堊紀も、この時代も、全部日本だよね」
「もしかしたら、設定を使い回しているのかもしれません。行先の場所はそのままに、時代だけを変えているのではないでしょうか」
マキナさんが考察する。
窓の外が光に包まれた。俺はその時、咳込んだ。
「大丈夫?」
ツキが心配してくれた。
「ありがとう……たぶん平気」
俺は何気なく言った。気づいた時には、マキナさんは俺の部屋にいた。
東の空に太陽が昇っている。俺は掛時計を見た。八時五分だった。腕時計も八時五分を指していた。
「やばい、遅刻する!」
俺は鞄に教科書を搔き込んだ。部屋から出るとき、ツキを振り返る。ツキは工具箱のようなものを持ち出して、マキナさんのボンネットを開けていた。
ツキの横顔に見とれる。髪が朝日に照されて、ほんのりと紅色に染って見えた。白にも見えるし、オレンジ色にも見える。綺麗だけど、不思議な色合だった。
ツキが俺の視線に気づく。「ああ」と言いながら自分の髪に触った。
「体の調子がいいと、こういう色に染るんだよ。どうしてなのか僕にもわからないんだけどね」
「いや」
俺はかぶりを振った。
「とても優しそうな顔をしていたから」
ツキがきょとんとして俺を見詰める。俺は言った。
「大切なひとなんだな」
ツキは何かに気づいたようにマキナさんのほうを見た。そして、また手を動かし始めた。




