#24 氷河期
マキナさんの回転翼が動き出す。霧が晴れると、車内に日が射し込んだ。俺たちはまた空に出たんだ。
「羽揺の家に戻ったら、残りの部品を取り替えなくちゃね」
ツキがいたわるように言った。
トランクの窓が曇っている。俺はそれを拭い、外を眺めた。眼下に針葉樹の森が広がっていた。そこに白いものが積っている。雪だった。
三分ほど空を飛び続けたあと、マキナさんは着陸した。森のはずれの雪野原だ。
「この時代に来てからは、車体をずっと透明にしていました。タイムパトロールがやってきても、ここまでは追って来られないでしょう」
マキナさんが静かに言った。やっぱり、いつもより覇気がない。
「今回は僕一人で探してくるよ」
ツキが千変鏡を取り出して言った。
「でも、電池が切れてるんだろ」
「あ、そっか」
ツキは千変鏡をダッシュボードに置いた。朝日が鏡に反射する。
「一回分なら……三分くらいかな」
マキナさんが計器盤に時計を表示させて、時間を数え始めた。
「――三分経ちました」
ツキが千変鏡をちょこちょこといじる。体がみるみるうちに縮んで、小さな白い獣の姿に変った。
長い胴に短い脚。ふさふさの尻尾は尖端だけ黒くなっている。青いリボンをつけたオコジョが座席で立ち上がった。
「そろそろ免疫スプレーの効目が切れる頃だよ。もし外に出る時は、必ずスプレーをかけてね」
ツキの声が頭に響く。
「……諒解」
「絶対だよ」
念を押してマキナさんを降りた。ぴょこぴょこと跳ねるようにして走ってゆく。白くて小さな体は、朝の雪原にすぐ紛れてしまった。
俺たちはまた二人っきりになった。
俺は千変鏡をダッシュボードに戻し、日が当るように置場を調整した。
トランクの整理に取りかかる。散らかった道具を拾い、仕舞っていった。
引出につっかえていた隠れコートを引っ張り出し、折り畳んでいると、天井燈が暗い藍色に染まっているのに気づいた。俺は中腰でおろおろしてしまった。
「ま、マキナさん。どうしたの」
「何でもありません」
彼女はすぐには答えなかった。だけど、俺には分った。
「気付けなくてごめんな。何があったのか、教えてくれるかな」
マキナさんは迷う素振を見せたあと、静かに、少しづつ言った。
「……私は、自分を誇らしく思っていました」
彼女は続けた。
「高性能の高級車だと無垢に信じていたのです。ですが……本当はただの中古車でした。私なんてばらばらに壊れて、海の底に沈んでしまえばいいと思いました……」
悲しげな声に、俺はハッとさせられた。
白堊紀の海であの動物に襲れて、マキナさんは大怪我を負った。でも、傷ついたのは外身だけじゃなかった。その時に心まで壊れてしまったんだ。
背もたれの裏から身を乗り出し、慌てて言葉をかけた。
「そんな悲しいこと言うなよ。マキナさんは本当にすごいんだから」
思っていることを素直に言う。
「空も飛べるし、時も超えられる。透明にもなれるし、ビルと同じ高さから落ちても無傷だった。めちゃくちゃ恰好いい未来の車だよ。マキナさんは――」
「『マキナ』というのは、私の名前ではないんです」
彼女は笑った。
「固有名詞ではありません。ラテン語で『機械』という意味の一般名詞なのです。私は量産車です。私の代りは、いくらでもいるのですよ」
天井燈はますます暗くなり、ほとんど光が消えてしまった。外では積雪に日が当っている。光が跳ね返って、眩しかった。
トランクを見回す。散らかった道具の中からノートを掘り出した。一度海水に濡れたから、よれよれになっている。だけど、なんとか綺麗な頁を探し出して、破り取った。
俺は座席に移った。天井のカメラがうなだれている。
シャーペンで文字を書き、ダッシュボードの隅に置いた。
「ほら、これで固有名詞になった」
カメラが面を上げた。紙には「麻紀奈」と書いてある。レンズがじっとその文字を見つめる。
……なかなか反応を示さないので、俺は小恥しくなった。もしかすると俺は、とんでもなく珍紛漢紛なことをしてしまったんじゃないかな。
「ショックだった、よな」
目を逸らし、赤くなった顔を隠す。
「でも、『代りなんていくらでもいる』っていうのは、違うと思う」
俺は言葉を選びながら言った。
「確かに、未来には同じ車種の車がたくさんいた。でも……ツキにとって、マキナさんはひとりしかいないよ」
ツキの海での必死な様子が頭に浮かぶ。
――だって、マキナが、マキナが。
そう言って泪を流していた。ツキにとって、マキナさんの代りなんて居やしないんだ。
彼女は俺の言葉を静かに聴いていた。そして笑った。
「ごめんなさいね。こんなことを羽揺さんに打ち明けても、困っちゃいますよね。慰めて下さって、ありがとうございました」
その言葉に、心がズキンと痛んだ。
マキナさんのカメラがゆっくりと外を向く。
「……羽揺さんは、旅行をしたことがありますか」
「えっ」
突然の問に思考が止る。なんでそんなことを訊くんだろう。
「あ、あるよ。中学校の修学旅行で京都へ行った。幼稚園のとき……家族全員で三保の松原へ行った」
「楽しめましたか」
俺は深く頷いた。マキナさんが続ける。
「私は、トゥキ様と一緒にいろんな時代へ行きました。自然や人間が遺したものを見て廻りました。綺麗な景色もたくさん眺めました」
天井燈が温かい色に染まる。
「かけがえのない時間でした。私は、そうしてトゥキ様と過ごすのがとても楽しかったんです」
マキナさんは「ふふっ」と笑った。
「大切なことを忘れたまま消えてしまうところでした。羽揺さん、ありがとうございます」
数分後、マキナさんは眠ってしまった。灯りを落して静かにしている。オドメーターには「999yr 363d」と表示されていた。顔を塞ぎ、溜息をつく。
……俺は何をやってるんだろう。
マキナさんは声こそ若々しくて、言動は俺より幼く感じることすらある。だけど、それは見かけの話だ。本当は千年も生きてきたんだから。俺より経験を積んでいて、器も大きいはずだ。彼女の言葉が脳裡に蘇る。
――慰めて下さって、ありがとうございました。
あの時、どんな気持でそう言ったのか。マキナさんが、どんな目で俺を見ていたのか。想像すると恥しくて、消えてしまいたくなった。
俺がもっと大人だったら良かったのに。「ショックだったよな。悲しかったよな」って、もっと慰めてやれたのに。幼い自分が疎しかった。
不意にあくびが出た。顔を上げる。腕時計の針は十二時を指していた。眠いはずだ。本当なら真夜中なんだ。
泳ぎまわって走りまわったから、体も疲れ切っている。俺は背もたれを倒した。
白い山の上に太陽が昇っていた。だんだんとまぶたが重たくなってくる。氷河期の日本で、俺は眠りについた。




