#23 空のカーチェイス
俺は猫に変身し、ツキをよじ登った。サイレンがけたたましく鳴っている。後ろの窓越しに赤い回転燈がぼんやりと見えた。
「ツキ、どういうことなんだよ。マキナさんは盗難車なのか」
「知らない、知らない」
ツキは首を横に振った。
「千年前のことなんて記憶にないもん」
「じゃあ、それを正直に話せばいいじゃないか」
「『僕は自分の正体がワカリマセン』っていうの? 捕まっちゃうだけだよ」
「ゐの一〇の〇七。道路に下りて停りなさい」
パトカーの渋い声が聴こえる。マキナさんがちらりとカメラを動かし、言った。
「トゥキ様、どうしますか」
ツキの額には汗が滲んでいる。
「法に触れない速度で逃げて。振り切ったらどこかに着陸して、そこから時間移動しよう」
「承知しました」
計器盤で左向の矢印が点滅した。マキナさんが左に大きく舵を切る。パトカーもウインカーを出して尾いてきた。
「揺れるので、しっかり摑まっていてくださいね」
彼女は注意喚起した。
俺はダッシュボードに乗り、下を見た。目がくらみそうなほど高い。ビルの狭間で無数の車が層をなし、高速で飛び交っている。マキナさんはその中の一台だった。
マキナさんの下でも、その下でも、そのまた下でも車が行き交っている。地面の近くの車は芥子粒のように細かい。
俺は空を見た。頭上でもひっきりなしに飛んでいる。二個も三個も回転翼をつけたヘリコプターや、鱏みたいに翼を広げた飛行機が、車の群れに影を落していた。
上へ、下へ、左へ、右へ。マキナさんは何度も車線変更をしながら、他の車を何台も追い越している。体が八方に揺れて、車酔いになりそうだ。
「マキナさん、透明になればいいのに」
「それは法律違反だよ」
ツキと俺が話していると、マキナさんが急上昇した。
「にゃっ!」
その反動で、俺はダッシュボードから転げ落ちた。
「危ない!」
ツキが咄嗟に受け止めてくれる。
「……マキナ、どうしたの」
ツキが不安げに訊ねる。
「別のパトカーも追ってきたんです。下に二台……いえ、三台います」
その時だった。
マキナさんは空中で急停止した。俺とツキは前につんのめった。ドアの窓から強烈な光が射し込む。車内は真白になった。
俺はツキの胸元を見た。垂れ下がっていた四次元ペンダントが、光を浴びてふわりと浮き上がってゆく。
「不時着します!」
マキナさんはコントロールを失い、真逆さまに落下した。行き交う車が、落ちてくるマキナさんをすれすれで躱してゆく。トランクに仕舞ってあった道具が、フロントガラスにじゃらじゃら集まってくる。俺の心臓は縮み上がった。ツキは化石みたいに固まっていた。
地響きを立てて、マキナさんは路地裏に墜落した。
そして静かになった。
数秒後、彼女は自力で正しい姿勢に戻った。ガラガラと音を立て、道具がダッシュボードから落ちる。
「お二人とも、お怪我はありませんか」
「俺は何ともないけど、ツキが」
ツキは目を閉じ、ぐったりしていた。
辺りは薄暗くて湿っていた。錆だらけの自動車たちが置き去りにされている。一方、空は青く澄んでいた。表で車が飛び交っているのが見えた。
千変鏡に触れる。だけど、動き出すのが遅い。いつもは一瞬で起動するのに、この時は五秒くらいかかってしまった。何とか人間の姿に戻り、ツキを車外に引っ張り出す。
「ツキ、起きろ。大丈夫か」
「……うう、怖かった」
ツキが胸を押さえ、目蓋を開けた。俺とマキナさんは安堵した。
表のほうから足音が駈けてきた。パトカーのサイレンも近づいてくる。マキナさんが瞬時に透明になった。俺とツキは廃車の中に逃げ込んだ。
サイレンが止んだ。
「そこにいるのはわかっています。観念して出てきなさい」
あの警察官の声が響いた。身を潜め、車内を見回す。ハンドルもあるし、アクセルとブレーキも付いている。窓は茶色く曇っていて、ところどころ割れ落ちていた。ツキは四次元ペンダントを探っている。
「……あれ、なんでだろう」
「ツキ、どうした」
「隠れコートが出てこないんだよ。何かに引っかかってるのかな」
「ウソだろ」
他に隠れ方がないか、俺は必死に頭をひねった。そして、思い当った。
「小さな動物に変身すれば、気づかれずに逃げられるかもしれない……!」
俺は千変鏡に触れた。でも、赤いランプが点滅するばかりでなかなか起動しない。
鏡を覗き込み、ツキが囁く。
「電池が切れてるよ」
俺は嘆いた。
「それじゃあただの手鏡じゃないか!」
その時、スポットライトのようなものが路地裏を照し出した。アスファルトに廃車の濃い影が伸びる。車体ががたがたと揺れた。
「羽揺も早く外に」
俺は千変鏡を握ったまま廃車から飛び出した。
その直後、タイヤが路面から離れた。重たいはずの車体が、ゆっくりと天へ昇ってゆく。明るみに出たツキの体も、ふわりと宙に浮び上がった。
「ツキ!」
俺はそれを引きずり降ろそうと、手を伸して跳び上がった。ツキが空中で藻搔く。だけど、光が当ったツキや廃車との距離は、ずんずん拡がってゆく。
俺は警官たちのほうを見た。警察車輛の荷台に、フォロースポットライトのような機械が載っている。そこから放たれた光の帯が、ツキの体を捕えていたんだ。
「何だあれは」
俺は目を見張った。
「『光ピンセット』です!」
マキナさんが姿を現した。
ツキの躰が、今度は光源のほうへ引き寄せられてゆく。ツキは「わっ」と悲鳴をあげ、体勢を崩した。
太陽が傾き、路地裏に光が射し込んだ。日の光が手元の千変鏡に当り、ピカリと反射する。
その時、俺は閃いた。鏡を高く掲げながらツキの前に躍り出る。
「喰らえ、ただの手鏡!」
千変鏡で光の進路を遮る。ツキがどさりと地面に落ちた。廃車も落下して、大破した。
「羽揺さん! 前! 前!」
マキナさんが慌てた様子で言った。
光が鏡面で反射して、空中を行き交う車の列を照していた。巨大なトラックがゆっくりと回転しながらこちらに迫ってくる。俺は「わあっ!」と悲鳴を上げた。
「来るな、来るな! しっしっ!」
無謀にも手で追い払う。
ツキが俺の手を引いて、千変鏡をくるりと裏返した。トラックが空中でUターンして、まっすぐパトカーたちのほうへ向ってゆく。
「照射停止! 緊急停止!」
トラックが墜落した。コンテナの中から白い箱がこぼれる。食料品の運搬トラックだったらしい。
警察が大騒ぎしているすきに、俺たちは路地裏から抜け出した。
「次の行先へ行こう」
路肩に停ったマキナさんに、ツキが乗り込んで言った。
「俺の部屋に帰るんじゃないの?」
「ここで羽揺の家に戻ったら、警察がついてきちゃうよ」
俺も座席の後ろで身をかがめた。
「つまり、別の時代に行って時間をかせぐんだな」
「行先、第四紀更新世、日本」
マキナさんが白い光に包まれた。




