#21 二十二世紀の東京
「椅子に摑まって!」
水浸しの車内にツキの声が響いた。
訣がわからぬまま座席の背もたれにしがみつく。マキナさんの車体は大きく揺れていた。それから、急に耳が痛くなった。
ずん、という衝撃とともに、俺たちは床に叩きつけられた。車体が安定して、水平を保つ。
隣を向くと、ツキと目が合った。上を向くと、マキナさんのカメラがこちらを見た。海中の風景が脳裡によみがえる。
「助かったんだ……」
俺は言った。緊張がゆるむ。
「羽揺、助けてくれてありがとう」
座席の上でツキが言った。
「いや……こちらこそ。マキナさんも、本当にありがとう」
外れたドアが車内を占拠していた。冷たい空気が外から流れ込む。あたりは一面、白い霧におおわれていた。
いや、霧じゃなかった。霧だと思っていたもののなかに、青空がちらついていたんだ。マキナさんの回転翼も動いている。俺たちは雲の中にいたんだ。
「高度調節装置がやられたんだよ。それから、スピーカーも」
ツキが心配そうに壁を撫でる。綺麗な白髪はびしょ濡れで、体にまとわりついていた。
俺は外れたドアをどかし、トランクに顔を覗かせた。ツキの道具が散らかっている。俺はその中から速乾ドライヤーを拾い上げた。
「道具は全部無事みたいだな」
ドライヤーをツキに手渡す。
「よかった。流されちゃったかと思った」
温かい風がツキの髪を乾かす。
ドライヤーで車内を乾かしていたら、天井にノートがへばりついているのを見つけた。俺は愕然とした。頁同士がくっついていて、読めたものじゃなかった。紙の端が波打っている。
(せっかく書いたのにな……)
俺は大きな溜息をついた。
マキナさんが垂直移動で高度をゆっくりと下げてゆく。座席の上の塩を払っていたら、眼下にビルの頭が見えてきた。
「二十二世紀の東京だよ」
ツキがなつかしむように言った。
マキナさんと同じような空飛ぶ車が、ビルとビルのあいだを行き交っている。その様子に見とれていたら、「ぐわん」という音を立てて、大きな直方体が目と鼻の先を横切った。俺は二度見した。胸に手を当てる。心臓がバクバクと鳴っていた。
「なんだ、今の」
「トラックだよ。まだ生き残ってたんだね」
ツキが珍しそうに見遣った。タイヤも運転席もないけれど、言われてみれば確かにトラックだった。
やっと地面が見えてきた。緑がもこもこと連なっているのは、夏木立だ。通行人は色とりどりのビーズみたいに見えた。川に橋がかかっている。俺はその景色に見憶えがあった。
「日本橋だ! 高速道路が上にない」
「自動車が空を飛べるから、必要なくなったんだよ」
川のほとりに静かに着陸する。俺は外で伸びをした。
「羽揺、これをトランクに」
ツキが車内から外れたドアを引っ張り出す。俺は慌ててドアの反対側を持った。海中で持った時よりずっと重く感じた。
「僕はマキナと一緒に車の修理工場へ行ってくる」
トランクを閉めてツキが言った。
「遅くなるから、羽揺は夕飯でも食べて待っててよ。四次元ペンダントの宝石を機械にかざせば、支払えるよ」
「……へえ」
ツキがマキナさんに乗り込む。立体地図を動かしながら、遠くを見るような目で言った。
「出費がかさむから、今日は本が買えないね……最期に一冊読みたかったんだけど」
俺は疑問に思った。
「ツキはどうやって稼いだの?」
「この時代でいくつもバイトをしたよ。身分証明書がないから、そういうのが緩いところでしか働けなかったけどね」
ちょっと悲しそうな目で、そう答えた。
マキナさんが飛び立つ。ツキは窓から手を振り、言った。
「終ったら四次元ペンダントで連絡するから。ここで待合せね!」
「諒解!」
手を振り返す。空中を行き交う車の列に、あっという間に紛れてしまった。
我に返り、腕時計を見る。針は九時五十六分を指していた。家を出たのは午後三時頃だから、それから七時間近く経っている。
腹の虫が「ぐう」と鳴いた。
辺りを見回しながら街を歩く。さまざまな人種の人々が行き交っていた。肌の色も髪の色もそれぞれだ。服装は見慣れない形のものが多かった。けれど、奇抜なものはなかった。どの服も、現代のファッションの延長線上にあることが一目でわかった。
看板などに書かれている文字も多種多様だった。英字もあったし、他のアジアの国の文字もあった。もちろん日本語の文字もあった。見たことのないむつかしい漢字や、ひらがなのような何かが混じっていて、全部は読めなかったけど。
横断歩道があった。右を見て、左を見て、もう一度右を見てから渡る。上から急に車が下りてきて、俺は轢かれそうになった。
「こらこらこら」
別の車が飛んできた。その姿に目を奪われる。マキナさんと同じ型だったんだ。ただし、渋い男性の声で喋っている。
「横断歩道を渡るときは、『右を見て、左を見て、《上を見て、もう一度右を見る』って、先生に習わなかったの?」
車が説教を垂れる。車の屋根には赤いランプがくっついていた。
「あっ、はい……ゴメンナサイ」
俺は戸惑いながらも頭を下げた。
「キミ、古風な恰好をしているね。名前は? いつの時代のどこに住んでいるの?」
「ええと、俺の名前は――」
「次のニュースです」
背後で声がした。俺は振り返った。
空中に大きな立体映像が浮び上がっている。その中でアナウンサーらしき女性が言った。
「新車のパトカーと保護された絶滅動物が何者かによって強奪された事件で、タイムパトロールが本格的な捜査に乗り出しました」
「パトカーが……盗まれた!?」
俺はニュース映像に見入った。
「きみ、そんなことも知らないの? 連日報道されてるでしょう」
車が呆れたように言った。
「でも、絶滅動物を盗む……? タイムパトロールって何?」
事件の内容を摑めない俺に、車が面倒臭そうに説明してくれた。
「タイムパトロールは、警察の特殊部隊だよ。タイムマシンでいろいろな時代を飛び回っている。『時間警察』とも呼ばれているね」
車は続けた。
「タイムマシンが発明されて早五年。密猟者が大昔へ行って、その時代の植物を踏み荒らしたり、恐竜なんかの動物を殺したりするようになった。時間犯罪対策部タイムパトロール課は、そういう犯罪を取り締まるために去年設置されたんだよ」
ひどいことをする人がいるもんだ、と怒りがこみ上げる。
「じゃあ、絶滅動物が盗まれたっていうのは?」
「密猟者から取り上げた古生物を、もとの時代へ帰すまで警察が一時的に保護しているんだ――古生物学者に健康状態なんかを診てもらうためにね。今回の事件は、その保護期間に起ったのさ」
俺は車とともに横断歩道を渡った。そこには交番があった。
「もしかして、おじさんもパトカーなんですか」
「いかにも」
車が誇らしげに言った。
「へえ! すげえ! カッコいい!」
「いやあ、それほどでも……」
車がもじもじする。俺は用事を思い出した。
「じゃあ、この街には詳しいですよね。近くにレストランとかありませんか」
「この通りをまっすぐ進むと、左に和食屋があるよ」
「ありがとうございます!」
俺はそさくさと逃げた。パトカーが慌てて言った。
「ちょっと、キミ! まだ名前と住所を聞いていないよ!」




