#17 八〇〇〇万年前の日本
俺はマキナさんに乗った。車内前方に地球の立体映像が浮び上がる。地球はゆったりと自転していた。
大陸の形はやっぱり現代と違っていた。南北に細長い海が北米大陸をまっぷたつにしている。ヨーロッパは水びたしで、小さな島々が散らばっているだけだ。
ツキが車外から説明した。
「白堊紀の地球は今よりずっと暖かかったんだ。北極や南極の氷も海にとけてた。水かさが増したことで、それまで陸地だった場所も沈んじゃったんだよ」
ツキが北の大陸の東端を指さした。
「僕たちが今から行くのはここ。現在の日本列島があるあたりだね」
「知ってる!」
俺はハキハキと言った。
「映画を観たよ。ピー助がいたんだよな」
ツキは笑った。
「そうだね。でも、フタバサウルスの棲息年代より少し時代が下るから、会うことはないと思う」
ユウさんはあぐらをかいて、俺たちの会話を黙って聴いていた。
ツキがリボンに変身し、俺の頭にくっついた。メーターパネルが慌しく点滅する。
「ちょっと待って。持っていきたい物があるんだ」
俺はマキナさんを降りた。シャーペンをワイシャツの胸ポケットに挟み、ノートを小脇に抱えた。これを持って行けば、小説のネタに出会ってもその場で書き留められる。
もう一度乗り込む時に、ユウさんに声を掛けられた。
「お気を付けて」
俺は何も言わなかった。何も言葉が浮ばなかった。マキナさんが静かにドアを閉める。
「行先、白堊紀新世、日本」
車外の景色が霞んで、しまいには真白になった。
霧が晴れるように、外の景色がだんだんとあらわになった。
はじめに見えたのは、フロントガラスに擦れる青い木の葉だった。それから、葉をつけた細い枝が姿を現した。横の窓に目を向ける。こっちも緑ばっかりだ。
マキナさんは緑の生い茂る森の中に停っていた。
「また森?」
俺はマキナさんに言った。
「場所は合っているはずですよ」
彼女が言った。
俺たちはマキナさんを降りた。人間に変身したツキがマキナさんの背後を指差す。
「海が見える!」
木々の間に白い雲が浮かんでいた。その下で、水平線が緩い弧を描いている。俺は走って森の外へ飛び出した。
陽射しが照り付ける。濃い青色の海が見渡す限り広がっていた。額に汗がにじむ。
「充電中、充電中……」
熱い砂浜の上でマキナさんが日向ぼっこを始める。緑色の充電ランプが車内で点滅していた。ツキは森から距離を取って、辺りの景色を確認している。
俺は森に向き直った。
浜辺の緑のなかに白い小振な花々が咲いている。そこへ、ブウンと低い羽音が近づいてきた。俺はぎょっとしてのけぞった。見ると、花の中に指先大の虫が潜り込んでいる。赤い腹をきらめかせる、虻のような姿の昆虫だ。虻が飛び立つと、花が跳ね返ってゆらゆらと揺れた。甘い香りがツンと俺の鼻を突く。虻の脚に黄色い粉がくっついていた。
浜を駆け降りる。
波打際に、何やら見憶えのある物体が打ち上がっていた。「あっ!」と声を上げる。俺は嬉しくなってそれを拾い上げた。綺麗な螺旋を描いている。一見すると、白い巻貝の殻みたいだ。俺も化石を持っている。アンモナイトだった。
表面の砂を払う。中から針金のようなものがはみ出て、ぴくぴく動いていた。俺は殻の中を覗き込んだ。同時に、瑠璃色のヤドカリが顔を出す。俺はびっくりして、それをぽとりと砂浜に落としてしまった。ヤドカリは細い触角で外の様子をうかがい、とことこと渚を歩いて行った。
その近くには足跡も残っていた。細い三本指は、鳥や肉食恐竜みたいだ。でも、それにしては様子がおかしい。ところどころ、おかしな足型が混ざっていたんだ。まるでFの字のような恰好をしている。
今まで見たことのない形だった。一体、どんな動物がこれを残したんだろう。
俺はあたりを見回した。西には森がある。東には海がある。過去のツキたちは陸から来るのかな。それとも海から来るのかな。
「二手に分かれよう」
ツキが提案する。すかさずマキナさんが言った。
「森を探します。私は泳げないので」
その言葉にツキが頷く。
「じゃあ、陸はマキナに任せるよ。僕と羽揺は海を探そう」
マキナさんが飛び立ち、森の向こうへ消えてゆく。俺はツキに訊ねた。
「どうやって海を行くの」
まさか、ヤドカリに変身して大海原に乗り出すわけじゃないだろうな。
ツキが海を眺めながら言った。
「泳ぎの得意な生き物に変身したいけど――ここは浅瀬だから、大きな動物は寄ってこられないね。少し移動しよっか」
俺たちは海に沿って歩いた。
砂浜に岩が混じりはじめる。二枚貝がくっついているものもあった。けれど、歩き進めるうちに貝附の岩は少くなった。もしかしたら、海が満潮に近づいていたのかもしれない。
磯でツキが立ち止る。俺は沖を見た。
緑色の島があった。木々の一本々々が辛うじて判別できるくらいの距離だ。
島と磯のあいだの水面下に、影が走った。白い波を立てながら、自転車くらいの速さで横切ってゆく。黒っぽい体がイルカのように飛び跳ねた。
「ポリコティルス類だよ!」
そう言いながら、ツキはもう千変鏡を取り出していた。全長二メートルほどの白い動物に変身して、海に飛び込む。しぶきが上がった。
「ツキ、待てよ!」
俺はそれを追った。靴を履いたままじゃぼじゃぼと海に入る。制服のズボンが濡れて、脚に貼り付いた。冷たかった。
胸元まで水に浸かる。ペンダントの宝石が水中を漂った。俺は滑る手でなんとか千変鏡を取り出した。鏡面には水滴がついている。
鏡を構え、さっきの動物が現れるのを待つ。
海面から黒い体が飛び出した。腹はカスタードクリームみたいな色をしていた。暗い紫色の目玉でこちらを見ている。俺は狙いを定めた。
体が大きくなってゆく。手のひらで水をかくと、足が底から離れた。随分深いらしい。俺は海の世界へ繰り出した。




