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恐竜時代で放課後を  作者: 半ノ木ゆか
第4話 日本は海の底
16/45

#16 訪問者

「ただいま」


 傘立に紺色の傘とすみれ色の傘が差し込まれた。俺は文化祭の片付けがおわって、姉ちゃんとともに昼前に帰ってきたんだ。


「おかえりなさい」


 焜炉こんろに火を点け、母さんがこちらに目をくれる。


「お母さん、ただいま」


 姉ちゃんが鞄を置き、返事をした。


羽揺はゆる、おかえり」


「羽揺さん、おかえりなさい」


「ツキ、マキナさん、ただいま」


 ツキはソファーに腰掛けテレビを観ていた。母さんに貰ったのかな。珈琲味のチューブ型アイスを吸っていた。マキナさんもその隣に停り、物珍しそうに天気予報を観ている。


「関東平野は晴れる見込です」


 スーツを来た気象予報士が棒で地図を指し示す。俺たちの住む七姫市ななひめしは、降水確率〇パーセントだそうだ。


 姉ちゃんが二階へ上がる。俺も階段を駆け上がり、自室に入った。


 制服を着たままに椅子に腰掛ける。ふと、机の上に目がとまった。ぼろぼろの恐竜図鑑と開きっぱなしのノート。そしてシャープペンシルが転がっている。その脇に、文化祭で配った部誌が置かれていた。


 何気なく部誌をめくる。自分の小説を読み返し、愕然とした。


「なんだよ、これ……」


 気取った言葉遣い、独特すぎる比喩。完全に自分の文章に酔っている。とても人様に見せられる代物ではないと思った。


 耳が熱くなった。ツキの笑顔が脳裡をよぎった。ツキはおととい、これを読んで「おもしろいね」と言ってくれた。けれど、あの感想はお世辞だったんじゃないか?


 俺はいたたまれなくなった。勢いに任せてその頁をむしり取った。ぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に叩き込む。


 肩で息をしながら、ゴミ箱を見下ろす。その時、インターホンが鳴った。


穂乃香ほのか、出てくれる?」


 階段の奥から母さんが声がした。


「羽揺、出てくれない? 私、まだ着替えてるから」


 隣の部屋から姉ちゃんが顔を出した。


 姉ちゃんと目が合った。彼女の表情がこわばる。たぶん、俺がとても怖い顔をしていたんだと思う。


「……出てくるよ」


 顔を見られないよう下を向きながら、玄関へ向かった。


 扉を開ける。その向こうを見て、俺は思わず「わっ」と声を上げた。部誌のことなんてどこかへすっ飛んでしまった。


 玄関に仮面をつけた男が立っていたんだ。


「ど、どちら様ですか」


 びくびくしながら訊ねる。男は「そうだなあ」と考える素振をしてから、「ユウとでも呼んでよ」と軽々しく言った。


 ユウさんは俺よりほんの少し背が高かった。なぜか半透明のレインコートを羽織っている。その中に着ているのは白い半袖のシャツ。防水加工のある紺色のロングパンツを穿いていた。裾の下に見え隠れするのは黄色いレインスニーカーだった。


「ユウさん。ご用件は」


 彼は「あ、そうだったそうだった」とわざとらしく頭を搔いた。


「実は、この家に泊めてほしくてお邪魔したんだよ」


 白い中華風の仮面には目の穴が二つあいていた。黒い瞳が俺を見下ろし、微笑む。


 背筋がぞくぞくした。どうしてこの家に泊まるんだ? どうして顔を隠しているんだ? 意図がわからなくて、気味が悪かった。


「親を呼んでくるので、待っていてもらえますか」


 上ずった声で、やっとそれだけ言った。俺が振り返ると同時に、ツキが廊下にやってきた。


「どうしたの。羽揺」


 ツキが玄関を見た。そして、ユウさんの風貌にぎょっとする。


 俺はもう一度ユウさんを見て、ツキとは違う意味で目を見張った。彼は傘立を物色していたんだ。


「ユウさん、それ、俺の傘」


 ユウさんは紺色の傘を引き抜き、一人で外に出て行った。


 俺たちは頷き合うと、外に飛び出した。


「非道いじゃないですか。他人ひとのものを勝手に持ち出すなんて」


 俺は抗議した。ユウさんは俺の傘を携え、飄々と住宅街を歩いている。


「君らが濡れないように、俺が持っていくんだよ」


 ちらりと振り返ってユウさんが言った。俺は彼の言葉の意味が分からなかった。水溜りに青空が映っている。


 ツキが俺にこっそりと尋ねてきた。


「誰?」


 俺は首を横に振った。


「こんな変な人、知らないよ。勝手に訪ねてきたんだ」


「羽揺の知合じゃないの?」


「まさか」と言おうとして、俺は口を噤んだ。


 俺は、ユウさんの声に既知感を覚えていた。以前にどこかで聴いたことがあるような気がしたんだ。一人々々、知合の顔が脳裡に浮かぶ。けれど、なかなか思い当る人がいなかった。友人の声でもないし、親戚の声でもない。学校の先生の声でもなかった。


 スーパーマーケットに入った。白髪のツキが一人いるだけでも相当目立つのに、今日はユウさんもいる。仮面をつけた男が買物籠をぶらさげている姿は、周りの視線を総なめにした。


 ユウさんは即席麺の売場へ向った。通路にはいろんな種類のカップ麺が所狭しと並んでいる。


「どうして顔を隠しているんですか」


 俺は尋ねた。


「どうしても隠さなきゃいけないんだ」


 仮面越しに棚とにらめっこをしながら、彼は答えた。


 ユウさんはレジへ向った。籠からはカップラーメンが溢れんばかりだ。


 その途中、ふと彼が立ち止った。


 パン売場の隅にカートがいくつか置いてあった。その中に和菓子が並べられている。よく見ると、一九八円のふぞろいどら焼七ヶ入が、一五八円に値下げしている。


 彼はそれを一袋、籠に入れた。


「やっぱり晴れてるじゃないか」


 ユウさんが会計を済せている間。店の外に出て、俺は拍子抜けた。道路に張った大きな水たまりが、昼間の日の光を反射させていた。


 ツキがふふっと笑った。


「『何が起るんだろう』って身構えてたけど、杞人の憂えだったね」


 俺たちは笑い合った。


 ユウさんが歩いてきた。大きな買物袋を片手に提げている。もう片方の手には俺の傘が握られていた。


「ユウさん。その傘使わなかったんですから、早く返してくださいよ」


 俺が声をかけた、その時だった。


 自動車が道路を走り抜けた。水溜りが巨大なしぶきになって俺たちに襲い掛かる。ツキが腕を盾にした。俺は目をつぶった。


 まぶたの向こうで、水が何かに当って弾けた。


 不思議に思って目を開ける。紺色の傘が開かれていた。水に濡れてキラキラ輝いている。一方、俺は濡れていなかった。ツキも無事だった。


 ユウさんが傘を畳む。彼の体は濡れていた。つるつるしたロングパンツが水滴をはじいていた。


「未来から来たんだね」


 いつもより低い声で、ツキが言った。


 そうか、と俺は納得した。ユウさんはこうなることが分かっていて、俺の傘を持ち出したんだ。レインコートを着てきたのも同じ理由からだ。


「誰? 何をしにやって来たの?」


 ツキが睨む。


 その剣幕を吹き飛ばすように、ユウさんは爽かに笑った。


「俺は『ただの助っ人』だよ」


 そう言って、俺に傘を返してくれた。




「ツキ、俺はもうかけたよ」


 俺の部屋で、ツキに免疫スプレーを手渡す。ツキはそれを受け取る前に、確認した。


「喉も?」


 俺は「あっ」と声を漏らした。


「忘れてた……今からかける」


 ユウさんは床に坐り込み、どら焼を食べていた。レインコートを脱ぎ、ズボンも履き替えている。仮面を少しだけずらし、口をもぐもぐさせていた。


「はい。これは手を付けてないよ」


 ユウさんが皿を差し出してくる。どら焼からは湯気が立っていた。バターと小豆の甘い香りも漂ってくる。俺はそっぽを向いた。


「遠慮します」


「どうして。好きなんだろ」


 鳥肌が立つ。ごくんと唾を飲み込んだ。確かに、俺はどら焼が好物なんだ。


「……どうして知ってるんですか」


 おそるおそる振り返る。ユウさんが未来人だとしても、果してそんなことまで調べられるのかな。誰にも話したことがないのに。どこにも書いたことがないのに。


「ユウさんって、何者なんですか」


「だから、ただの助っ人だよ」


 何度訊いても、同じ言葉を繰り返すばかりだ。


「『助っ人』と言いましても、一体全体、私たちの何を助けるのですか。人手はもう足りています」


 マキナさんが言った。ユウさんはどら焼を吞み込んで、彼女のカメラを見詰めた。そして、こう言い放った。


「これから陥るんだよ。ピンチに」


 マキナさんが黙り込む。ツキが顔を真青にさせた。俺は息を飲んだ。


 俺たちの反応をユウさんが笑い飛ばす。


「心配するなよ。本当のピンチになった時は、俺が颯爽と駈けつけてやるから」


 ツキが困惑気味に訊ねる。


「だとしても、どうして僕たちを助けるの? 僕たちと何の繋りがあるの?」


 ユウさんがペットボトルのお茶を一口含む。そして、ぴんと立てた人差指を口元に添えた。


 ツキは首をかしげた。

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